09

 人間と機械人形の手によって、ブロムディオンの地下部は瞬く間に占拠された。
 炎人形に抗う術がないのは当然のことだった。彼女たちは本来、人に従い母を守るべく作られた生命体だ。母が侵入者を排除しようとしない以上、炎人形たちが身を賭してまで地下部を防衛する理由は存在しない。
 人間はそれを心得ていた。母の周辺機器には傷一つ付けないようにと徹底した上で、地下部の武器を端から制圧下に置いたのだ。炎はそれを起動させることもかなわず、炎人形に敵対の意思を芽生えさせることもできないまま、粛々と彼らに従わされていった。
 絶えず、軍靴の靴音が炎を揺るがす。都市を目覚めさせたのが一人の少年であったことを、クルシエだけが知っていた。


 加減なく締めつけられた手首からは、すでに感覚が薄れていた。二百を超える炎人形の拘束にあたり、人間たちは鉄枷の使用を渋った。代わりに用いられたのは合成繊維で編まれた縄だ。クルシエもまた手足を柱に縛りつけられ、身動き一つ取れないまま、座りこんでいるほかになかったのだった。
 他の炎人形と共に集められるのだろうとばかり考えていたが、その予想も軽々と裏切られた。フェリトは彼女ひとりを個室に放り込んだきり、他の大部屋に移動させることをしなかったのだ。彼の行動は一群の隊長――男たちを取りまとめていた一人を、彼はそう呼んだ――に許可を得たものであるようで、少なくともクルシエの前において、フェリトが他人と言い争っている様子は見受けられなかった。
 はらり、と書物の頁がめくられる。
 クルシエの監視に付けられたのは、件のフェリト自身だ。彼は日がな飽きもせずに資料を読みあさっている。少女が拘束されていることを除けば、一室の光景は、それまでふたりが日々を過ごしていた場所となんら変わりばえのしないものだった。
 ふと少年が資料を閉じる。ちらとクルシエを見やり、つまらなそうに目を背けた。
「抵抗もしない、か」
「必要のない消耗は、母に与えられた体の損傷を招きます」
 優先すべくは母、人間。そして、母に与えられた自分たちの体だ。人の占拠から五日経った今も、炎人形に反抗の火が芽生える気配はない。それはクルシエをとっても同じことだった。
 彼自身が語ったことによれば、フェリトは国軍の一員として、ブロムディオンを捜索する調査隊に属していたという。しかしいざ目的の機械都市を見つけ出したところで、彼らの知識では、母の解析に手間取っているのというのが事実であった。
 ブロムディオンの位置情報は彼らの本国に送られ、ほどなく新たな人員が補填されることになるだろう。クルシエらが捨て置かれるのはそれまでだ。
「炎人形は一人残らず確保した。抵抗する奴らはすぐに始末されて、今も一か所に放置されている」
「それを私に伝えてどうするのですか」
 縛られた炎人形には、彼女たちを母の懐に戻してやる術もないというのに。言外に含めたクルシエをフェリトはせせら笑う。
「仲間が殺されたところで何も感じないか。……分かっていたけどな」
 クルシエは眉をひそめる。無為なやりとりも、もう何度目かを数えていた。
 同胞の死が、炎人形に動揺を与えることはない。それを知りながら、まるで期待するかのように、フェリトはクルシエに言葉を投げかけるのだった。――人形が機械であることをくり返し確かめる、その傍らで。
 部屋に留まった空気は、呼吸の中に淀んでいく。無表情でそらを見ていた彼は、そこでようやく思い当たったとでもいう風を装って、クルシエに視線を向けた。
「あのとき。俺を燃えかすとかなんとか言ったときだ、お前はなにを考えていた」
「なにを、とは?」
「俺が炎人形より劣って見えたか。決まりきった行動を取るしか能のないお前らよりも」
 そう問いかけながら、フェリトの口調には、答えを聞こうとする意思がうかがえないのだった。クルシエを視界の中心に入れつつも、彼はその瞳に焦点を合わせていない。
 自己完結した問いに答えを与えることに、どんな意味があるのだろう――考えながら、クルシエは無造作に口を開く。
「あなたは炎人形を蔑んでいる。私たちはあなたにとり道具にすぎないのですから、当然のことでしょう。私もまた同じことをしたまでです」
「なにが言いたい」
「私は炎人形にもなれなかったあなたを、燃えかすであったあなたを嘲った。私たちにできることのできないあなたが――私たちの知っていることさえ知らないあなたが、愚かしくて仕方がないと、ただ、侮蔑のもとに」
 眼前にちらつく熱が目障りだった。それを踏みにじった快感を反芻しては、クルシエの胸は容易く震えようとする。思えばそれも、男を憎んだ母が炎人形に植え付けた、潜在的な敵愾心であったのかもしれなかった。
 ならばその恍惚さえも、母から与えられたものに過ぎなかったのだ。淀んでいると称されたクルシエの炎は、ただわずかな刺激に火花を散らしただけだった。
 クルシエはほうと息をつく。自分はまだ、母の意に沿った娘であれていたのだ。
「あなたが私たちを蔑むように、私はあなたを蔑んだ。それが腹立たしかったというのであれば、それはあなたが人であるからでしょう。……無意味なことです。当然の差異を恐れるならば、鏡だけを眺めて暮らせばいい」
 フェリトがクルシエの頬を張る。目の前をくらませるような衝撃に、クルシエは悲鳴の一つも洩らさなかった。
 わなわなと唇を震わせるフェリトにもまた声はない。彼が乱暴な足取りで部屋を出ていくのを、クルシエは無言で見送った。
 頬が遅れてひりついたのは、その足音が遠くなったころだった。
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