08

「ブロムディオン……この都市は、かつて行き場を失くした技術者が作り上げた街でした。彼らは当時の最先端の技術をもって機械都市を作り上げ、その中心に永久機関となる炎を取りつけた。名もなき動力源――あなたの背後に燃えている炎のことです」
 周囲の国々から独立し、ブロムディオンは辛うじて自治を推し進めていた。風の噂に存在が知られるばかりだった楽園は、しかしいつからか、かすかな傾きを見せるようになる。
「年々問題となっていたのは、人口の減少でした。人手不足は都市の機能を鈍らせて、人々に大きな負担をかけた。やがて必要とされるようになったのは、市民の代わりに都市を動かす人工知能でした」
「労働を人間から切り離すために、か」
 フェリトの言葉に、クルシエはええとうなずく。
「技術者たちは炎を都市機能に接続し、その中に思考回路を埋め込みました。命令系統が人の操作を離れ、自律的な判断を行うように」
 当時先鋭的であった案も、間もなく人々のあいだに賛同を得た。やがて機械都市は炎のもとに回り、人々は労働を忘れるようになった。
「ですが、都市機能の自動化も、人口減少への根本的な解決にはなり得なかった。ゆえに人々は、より直接的に新生児を誕生させる方法を求めました。炎人形が作られ、炎が母と呼ばれるようになったのはそのときです」
「お前たちが人間の代わりだとでも言いたいのか? 人がいなくなっても、人形が残ればいいって?」
 馬鹿馬鹿しい話だな、と吐き捨てたフェリトに、クルシエは首を振る。
「いいえ。彼らは私たちを、市民だとは認めませんでした」
 当然のことだった。炎人形の設計は、都市を人の手の中に置き続けるための処置――裏を返せば、機械から都市を守り続けるための方法であったのだから。
 炎人形たちに求められた在り方は、女であること。人形であること。
 そしてなにより、母であることだった。
「私たちは、人間の代わりに子を生むために作られました。受精卵をこの胎に収め、出産するまで育て上げる、出産のリスクをすべて引き受けた母体として」
 炎人形が女性の姿を取ったのも、人の姿を模した結果だった。労働用の人形たちは、単なる副産物に過ぎなかったのだ。母を管理する一部の炎人形だけが地下へと潜り、残りの炎人形たちが使い捨ての揺り籠として、地上へ送られることとなった。
「新たな出産システムは、低下の一途を辿っていた出生率を、ようやく踏みとどまらせました。都市はそうして少しずつ立ち直っていくはずでした。……一人の男が、身重であった炎人形に手を出すまでは」
 それが起こることを、誰もが予期していた、という。母の記憶が耳元に囁きかけるので、クルシエは一度ゆっくりと息を吐き出した。
「私たちは、独力で卵を作るだけの器官も持ってはいなかった。それが好都合だったのでしょう。あれはただの人形遊びでした」
 秘密裏に処分される炎人形の数は徐々に増えていった。研究費外の経済が生まれても、人も人形も、ひとりとしてその理由を口外することはなかった。全てを見ていたのは母だけだ。
 またひとつ、涙の粒がクルシエの頬を伝う。
「けれどあの炎は――彼女は、まさしく母親でした。母は痛みを知らない炎人形を哀れみ、深く人間を憎んだ。内蔵した兵器をもって、ブロムディオンを焦土と化したのです」
 目蓋を閉じる。ぎらつく熱線が、眼裏の都市を駆けていった。一夜にして炎に包まれたブロムディオンは、もはや再起も叶わず、瓦礫が詰み上がるばかりの荒野に変わり果てたのだ。
 母は黙した。彼女にできることは、地中に残った炎人形たちに常世の夢を見せ続けることしかなかった。鉄の天井の先に都市の幻を描かせたまま、役目に没頭する喜びを教えること以外には。
「ここには、もう人間なんていなかった」
 クルシエの生まれる数十年は昔から、地下の歯車は空回りを続けていたのだ。
 フェリトはきつく唇を結んでいた。クルシエは彼に目を向けることもやめ、「見てきたのでしょう」と言葉を放る。
「地上から来たあなたなら知っていたはずです。今のブロムディオンにあるのは、母と、私たちだけだったということも」
 滅び損ねた都市。燃えかすのような機械たち。それが今のブロムディオンだった。
 クルシエの胸には、数多の針に刺されるかのような痛みがくすぶっている。延々と流れ続ける涙の止め方もわからず、自力でぬぐうことさえできないまま、彼女は炎を見つめていた。
「可哀想なママ。やさしいひと」
 孤独に耐えかねた母は、炎人形に、彼女の持たない命のすべてを託した。呼吸をし、歩きまわり、個別の存在として母と共にあることを。しかし生まれ落ちた子供たちは、母親の胎に戻ることしか願ってはいなかった。
 都市は歪んだまま、いつまでも続いていくはずだったのだ。地下に残された人間の残り香が潰え、風化するそのときまで、誰にも開かれることのないままで。
 楽園を暴いたのは人間だった。
 ふいに、クルシエの視界をよぎるものがあった。フェリトの舌打ちを皮切りに、沈黙は瞬く間に破られる。
 炎の熱気にくねっていた天井から、いくつもの人影が降ってくる。記憶の残滓かと錯覚を起こしかけたクルシエだったが、人々はその傍に下りたつや否や、確かに足音を響かせた。
「制圧!」
 一声、命が飛ぶ。
 真っ先に反応したのは機械人形だった。耳障りな雑音を轟かせて、続々と部屋をあとにしていく。それに続いた男たちは、みな一様にカーキ色の服を纏い、小銃を両手に抱えていた。大小の影が群れをなして中央区を飛び出していくのを、クルシエは言葉を失ったまま眺めるほかにない。
 残された影は四つ。クルシエ、フェリト、そして一人の男と、一体の機械人形だった。男は室内を睥睨し、少年に目を止める。
「フェリト。単独行動は慎めと教えたはずだ。厳罰を下すぞ」
「俺のおかげで突入作戦の計画も容易だったでしょう。それで帳消しだ。内部の地図や情報は役に立ったのでは?」
 フェリトをひと睨みで黙らせ、男は鼻を鳴らした。
「忌々しい餓鬼が」
 呟きに、相手の耳を慮る様子はない。フェリトもまた雑言を右から左へ受け流し、男の渋面をじっと見上げていた。
 歳は四十に届こうかという壮年だ。黒髪の端々には白髪が覗いているが、目つきは研がれた刃のように鋭い。彼は低く唸った後に、再び口を開いた。
「ブロムディオンの存在は明らかにされた。我が隊の調査活動も報われるだろう。数日の調査の後、当地点の座標を本国に報告する」
「炎人形については」
「炎人形? ……ああ、女型の機械人形か」
 男の視線が、無遠慮にクルシエの身を滑る。
「本国からの指示が下りるまで、可能な限りは無傷で捕縛するよう命令を出している。体に武器を隠し持っていることはない、と報告したのはお前だったな」
「ええ、間違いありません。数体は体術を身につけているようですが、銃器や刃物を扱う様子は見受けられませんでした。無傷で帰還した弐型が証拠になるかと」
 銃声が鳴りやまない。炎人形たちの叫び声が飛び交い、地下部の混乱を伝えてくる。
 立ち上がることもできないまま、クルシエは地面の振動を感じ取っていた。つい先日炎人形を圧倒したばかりの機械人形を前にすれば、炎人形では手も足も出せないであろうことは察された。
 クルシエの瞳と男の瞳がかちあう。彼は煙たげに顔を背けた。
「人形は数か所に分散させて捕えておく。そいつを片付け次第、お前も手伝え」
「了解」
 機械人形を伴い、男は部屋を出ていった。がらんどうになった一室に、フェリトは一度足音を響かせる。クルシエを見下ろして言った。
「話は聞いたな。お前にもじっとしていてもらおうか」
 こわばった唇は、地下部に降り立ったばかりの彼を想起させた。先ほどまでは爛々と輝いていたはずの瞳も、今では靄がかかったように沈んでいる。
「あなたはなにを望んでいるのですか」
 同じ服装や会話の内容を鑑みれば、男たちとフェリトとのあいだの繋がりを悟ることは容易だった。先だって地下部に降り立った彼がその構造資料を探っていたのも、外部で待機していた仲間に情報を流すためであったのだろう。
 しかし当のフェリトに、彼らの突入を歓迎する様子は見受けられないのだった。彼はクルシエをじっと見つめたあとに、「本国は」と主語をすげ変えて口を開く。
「俺たちの祖国は、ブロムディオンの永久機関――お前たちが母と呼んだ炎を欲している。機工技術の発達した理想郷の噂は、俺たちの国にも伝わっていたからな。以来調査隊を派遣して、ずっとここを探し続けてきたってわけだ……まさか滅んでいるとは思わなかったが」
 諦めたように語り、フェリトはクルシエの傍らに膝をついた。
「お前たちの処遇については、さっき言われたとおりだ。とはいえ、殺さないように指示されたところで、俺は炎人形に替えが効くことを知っているからな」
 鉄の拘束具に繋がれたままのクルシエの腕を、フェリトは強引に引き上げる。痛みに顔をこわばらせたクルシエに、銃口を突き付けるようにして言った。
「反抗しない限りは捨て置いてやる。手足をばらばらにされたくないなら……いいや、母の中に戻れなくなるのが嫌だっていうなら、黙って大人しくしていることだ」
 止まり続けていたブロムディオンの時計が、秒針を一歩前に出す。
 クルシエはフェリトの肩越しに、沈黙を続ける母の姿を見上げていた。
BACK  TOP  NEXT