05

 その瞬間、撃たれたかと錯覚する。フェリトは小型の拳銃を携えていたはずだ。しかしクルシエが視線を走らせた先で、彼の拳銃はまだ少年の腰元に収まっていた。
 ならばなぜ。疑問に思うまま顔を上げれば、フェリトもまた呆然と空を見上げている。頭上にあるのは金属の天井と、無数の通風孔だけだ。
「落ちてから四日か……思ったより早かったな」
 フェリトはひとりごちて、億劫そうにクルシエの上から腰を浮かせる。最後に彼女を一睨みしていくことを忘れなかった。
「命拾いしたな、人形」
「今の銃声に心当たりがあるのですか」
「さて、どうだか。炎人形は知らなくてもいいことなんじゃないか」
 意趣返しのつもりなのだろう、フェリトの声はからかうような色を帯びていた。服にかぶった埃を払って、彼はわずかに顔をしかめる。
 続く、二度目の発砲音。今度はより近くに響いた。方向を見極めて顔を向ければ、人型を装った奇妙な物体が視界に入る。
 まるで不出来なマネキン人形のようだった。金属棒と球体を組み合わせた姿の鉄塊は、人には出し得ない速度で地下部を駆けていく。三度目の銃声はその人形から発せられた。
 鉄塊は銃を抱えている――正しくは、その体の一部が銃でできているのだ。腕に取り付けられた小銃は、ゆく手を阻む炎人形に火を吹いていく。心臓部の金属土台を打ち抜かれ、胸の炎を維持できなくなった彼女たちは次々と倒れていった。
「あれは……」
 クルシエには、眼前の光景を見つめることしかできないでいた。
 かれの姿を人型と呼ぶことが許されるのであれば、あれこそがまさしくフェリトの口にした「機械人形」に違いない。察されたのは、クルシエをはじめとした炎人形たちが、なにかとんでもない勘違いをしていたということだった。
 銃声に続く銃声と、悲鳴もあげずに死んでゆく炎人形。彼女らの願いはひとつ――かえりたい、ということだけだ。ただ、母のもとへ、もう一度。炎の一部になるために。
 声を為さない、しかし痛いほどの叫びに、クルシエは導かれるようにして立ち上がる。フェリトがぎょっと目を剥いた。
「なにしてる……おい!」
 彼の声が制止に変わる前に、クルシエは走り出していた。
 炎人形は孤独だ。生まれながらに母から切り離され、自分の中に燃え続ける炎だけをぬくもりとして育つ。彼女たちにとっての安らぎは、長い旅路の果てに訪れるもの。帰るべき場所へ辿りつくことだった。
 死期を悟った炎人形は、自ら母の元へと赴き身を投げる。しかし半ばで倒れた彼女たちにはそれが叶わない。母の炎に燃やされる幸福も知らないままだ。
「母の傍へ! お守りするのです、早く!」
 地下部の警備を担う娘が叫び、クルシエの目の前に踊り出る。呼びかける相手は地下をたむろする少女たちだった。一斉に走っていく彼女たちを見送って、クルシエは立ち尽くした。
 道を駆け下りてくる機械人形は、戦車のような威圧感を放っている。いつかは母を探りだすだろう。警備の炎人形はクルシエを目に留めると、切羽詰まった様子でその肩を押した。
 赤いレーザーを見た、と考えた直後、クルシエの視界に閃光が走る。
 先だって与えられた衝撃のまま、クルシエは地に尻を着いた。彼女の前に立ちはだかった娘は、やけにゆっくりと倒れていく。かちり、スイッチの切れるような音を最後に、娘はぴくりとも動かなくなった。
 ――帰らなければ。
 一言が、クルシエの耳に弾けて溶ける。
 続けざまに放たれる赤い光は、機械人形の発した照準だった。クルシエは娘の頭を抱き鉄塊を見上げる。モーター音は途切れることなくクルシエの鼓膜を震わせていった。
 視界が赤に染まる。母の炎には似ても似つかぬその色を、クルシエは諦めと共に迎え入れようとした。
「型式番号、NZ-56D387-RR二十八番弐型。生体認証請求」
 しかし、クルシエの背後から石のように投げかけられた言葉が、機械人形の動きを止める。鉄の中から響いたのは、拍子抜けするような女性の声だった。
「生体認証を行います。機体の正面にお立ちください」
 ぴ、ぴ、ぴ、と鳴りだすアラームはカウントダウンを模している。クルシエを押しのけるようにして、少年が前に出た。そこでようやく気付いたかのように、フェリトは彼女をふり向いた。
「……なんだ、お前、まだ生きてたのか」
 しぶといやつ。呟きは機械音声の中に紛れていった。機械人形は幅広の光をフェリトに浴びせかけ、快い高音を響かせる。
「認証を終了しました。ご命令を伺います」
「本隊に伝言を」
「録音機能を起動します。……三、二、一」
「こちらフェリト。ブロムディオン地下部と見られる空間より連絡。都市機能の完全な動作を確認。身の危険はないと判断、しばらくの単独調査を許されたし。構造と現段階での情報は弐型への添付資料を参照のこと。以上」
「録音を終了します。音声の確認を行いますか」
「必要ない」
 フェリトはさらに数枚のメモ書きを選別し、機械人形に受け渡す。人形は自身の暴虐を忘れ去ったかのように命令に従った。そうして元来た道を、今度はゆるりとした速度で上っていく。
 そこに至ってよくよく見れば、中枢部の壁には、機械人形がくぐりぬけられるだけの穴が開けられているのだった。自前のエンジンで不格好に宙を舞い、消えてゆく人形を、クルシエは何も言わずに見送った。
 力を失ったように落ちていく視線は、やがてフェリトの顔に行きあたる。その横顔を見つめ、クルシエは問いかけた。
「あなたは人間なのですか」
「ああ」
「……母から生まれたのではなく、地上から降りてきた、と?」
 重ねて問うと、フェリトが舌打ちをする。苛立った様子でクルシエを見下ろした。
「さっきからそう言ってる。お前が信じようが信じまいが勝手だけどな。……ただ、確かなのは、俺がお前たち人形を従わせる立場にあるってことと、お前がさっき好き勝手に吐いてくれた暴言を、俺はまだ忘れちゃいないってことだ」
 覚えておけよ。
 最後にクルシエに釘を差して、彼は再び坂を歩み下りていった。


 機能を停止した炎人形たちは、生き残った同胞たちの手によって、ひとりひとり母の炎の中に運ばれた。炎は手を差し出すようにして彼女らの身体を受け入れ、全てを揺らめきの中に溶かしていった。
 失われた機体は二十と五つ。その日じゅうに生み出された炎人形もまた同数。少女の姿で誕生したきょうだいたちは、殺された瞬間の記憶を炎の中に置いてきていた。新たな炎人形たちは手の不足した箇所にあてがわれ、そうしてブロムディオンは動き出す。
 フェリトが地上から落下して五日目。闇も、炎も、なにひとつ変わらないままにそこにある。ブロムディオンの、ほの暗い夜明けだった。


 都市中枢部の点検を終えて、壁際の端末に変化のない数値を打ち込んだ。
 頭上の壁面を割られたことも知らぬ顔で、母の炎は燃えている。赤い輝きをしばらくのあいだ眺めてから、クルシエは部屋をあとにした。
 警備の炎人形へのあいさつを済ませ、回りだす地下部の空調に耳をすませる。高台に立つクルシエの目に映るのも、やはりいつも通りの景色だ。
 足元で、フェリトがふてぶてしく座っていることを除いたならば。
「悲しみもしないんだな」
 ぼそりと告げられた言葉を、皮肉として聞き流すこともできた。しかしクルシエは仕方なく耳を傾け、少年が目を向ける景色を同じように見つめる。
「あれだけ母だなんだと言っておきながら、きょうだいに向ける情があるわけでもない。結局はただの人形か」
「一体、なにが悲しいと?」
 クルシエはフェリトを一瞥もせずに訊き返す。視界の端で、彼が鼻白んでいた。
「彼女たちは母とひとつになれた。生まれたところへ帰ることができた。嘆くとすれば、生きているうちにそれを感じられなかったことだけでしょう。彼女たち……炎人形の望みは叶えられたというのに、なにを悲しむ必要があるというのですか」
 機械人形の叫んだ不協和音は、いつまでもクルシエの耳の中に反響していた。役目を終えた空調が、ゆっくりと天井に身を潜めていく。フェリトは長く沈黙を置いた末に片膝を抱えた。
「人の形をしておいて、泣きも笑いもしない生命体、か。……悪趣味だな」
 ――そう感じるのもまた、あなたが人間だからなのでしょう。
 クルシエの喉に留まった言葉も、炎に焼かれて消えていった。
 なだめるようにして胸に触れる。フェリトを見下した際に感じた恍惚は、クルシエの中で火花のように弾けたきり、二度と蘇ることはなかった。
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