06

 白昼堂々、という言葉が見合うのか否か、クルシエは判断しかねていた。
 ブロムディオンに訪れるのは薄暗い昼と明るい夜ばかりだ。機械人形が破壊していった天井の穴も、すでに修繕が行われている。地下部の天井から外界の光や闇が覗くことは最後までないままだった。
 どちらにせよ、クルシエの部屋で行われているのは、人目をはばからない行為だった。騒動のさなかに第二資料室――機密度の高い資料の収められた一室だ――に押し入っていたらしいフェリトが、そこから盗み出した書物を端からめくっているのだ。
 彼はとうとう部屋の主への遠慮さえかなぐり捨てたようで、椅子に片足を乗せ、それをひじ掛けにしながら書物に食らいついている。ひっくり返りそうな体勢を支えていられるのは、ひとえに彼の平衡感覚のたまものだった。
「……転んでしまえばいいのに」
「聞こえてんぞ」
 フェリトは顔を上げもせずに吐き捨てる。その拍子に数枚の紙が机からはみ出し、床に落ちた。クルシエは無造作にそれを拾い上げ、角を揃えたうえで机に乗せ直す。
 フェリトが積み上げる書き写しの枚数は、ここ数日で増加の一途を辿っていた。紙とインクがなくなったからとクルシエに補給を求めるありさまだ。仕方なしに地下部の貯蔵庫から備品を与えたところで、彼はその古さにぶつくさと文句をつけるのだった。
 人間は満足を知らない――クルシエの頭に、また不要な知識が蓄えられる。
 乱雑な字を無言で見下ろしていたクルシエに、少年はちらりと目を向けた。
「不細工なツラ」
 理解が遅れる。言葉を返すまでに、わずかな間があった。
「労働用の炎人形に外見美を求めるほうが間違っています」
 そもそも美の概念には個人差が生じるものだ。フェリトの発言は雑言の体をなすこともない。淡々と告げるクルシエに、彼ははっと笑った。
「くそ真面目。さすがは人形だな」
「正確な言い回しを要求します」
「そういうところが可愛くないって言ってるんだよ」
「曖昧が過ぎる」
「性格不細工」
「あなたに言われたくありません」
「……おい今なんて言った、おい!」
 クルシエはそっぽを向いて、聞こえないふりをする。フェリトもまた不愉快も露わに読みものへ戻り、狭い部屋には再度の静寂が満ちた。
 少年が炎人形ではないと明らかになった後も、日々は変わらなかった。クルシエが三度の点検を行う傍らで、フェリトは一日中書物をめくり続ける。あたかもブロムディオンに氾濫する情報をみな取り込もうとするかのようだった。
 母。炎人形。都市機能。それがクルシエたちのすべてだ。限りなく続いていく線の果てを見定めるつもりはない。フェリトの写した文書に目を向けることもなく、黙って虚空を眺めていた。
「労働用の人形だって言ったな」
 ふいにフェリトが口を開いた。クルシエははいと首肯する。
「それならどうして女……そもそも人間の姿をしているんだ。都市機能を動かすのが目的なら、もっと適した形があるはずだろう」
 クルシエの記憶の端に、炎人形を虐殺していった鉄塊の姿が思い浮かぶ。機械人形は武器と移動用の機能を搭載し、人間の命令には従順に従った。兵器はかくあるべき、とされるあり方を体現したのがその姿であったのだ。
 暴虐の前に、炎人形たちは為すすべを持たなかった。本来警備を務めるはずの者たちさえも軽々と地に伏していったのだ。クルシエの沈黙を探り、フェリトは「それに」と言葉を添えた。
「人形に個体差が生まれているのも、時間経過に従って成長するのもおかしい。さっきお前自身が言ったことだけどな。どうして同一個体を作らない? 姿形には違いを出すような真似をするくせに、機体の最適化を図らないのはなぜだ」
 考えようとして、やめた。思いを傾けたことさえ悔いるように、クルシエは首を振る。
「あなたの質問に返す答えは同じです。それが母の意思であるから、ということ」
 フェリトが忌々しげに舌打ちをした。
「例外処理もできないのか。人に楯突かないぶん、機械人形のほうがまだましだな」
「用途が異なります。比較対象になり得ません」
 少年がふんと鼻を鳴らすのは、会話を打ち切る合図だ。クルシエは追及を諦めた。すぐに筆記音が再開されるので、放っておいても構わないだろうと床を踏む。
「追加の保存食を請求してきます。くれぐれもここを動かないように。……言っても無駄なことだとは理解していますが」
 言いつけには一瞥すらも向けられない。クルシエは食料保管庫への道を歩みながら、今後フェリトに叩きつけるべき文句のことを考えていた。


「もう一度仰っていただけますか」
 クルシエが他者の言葉を聞き返したのは、それが初めてのことだった。
 食糧保管係には、変わらずふたりの炎人形が常駐している。以前からいくつか数量を減らした保存食の個数を数え、炎人形たちはやはり記録を続けているのだ。クルシエの対応に出た少女は、同じ口調、同じ声色で、同じ言葉をくり返した。
「淀んでいますね」
 二度目の発言を耳にしても、クルシエには趣旨を理解することができない。同胞の言葉を掴みかねているという事実そのものにさえ当惑せずにはいられなかった。
「主語を明らかにしてはいただけませんか」
「あなたの炎が淀んでいる、と言ったのです。自覚はないのですか」
 一定の抑揚は、ややもすれば非難のようにも響く。言葉に詰まったクルシエに向け、少女型の炎人形は再び口を開いた。
「あなたが預かっている少年……どうやら人間であるようですが、それに奉仕を行うことに問題はありません。人間はブロムディオンの創始者にして、母の作り主です。彼らが母を傷つける存在にならないかぎり、私たちには彼らに従う義務が発生する」
 あくまで、母が従う相手であればこそ。
 炎人形が人間に頭を垂れるのは、彼らと母との繋がりが見出されているためだ。母が人に向かって引鉄を引かない以上、炎人形が敵意を見せることはない。だが、もしも母が反乱を選んだそのときは、娘たちもまた母に従う兵へと変わる。
 フェリトの勘違いもそこに起因するものだ。前提のすれ違いにようやく気が付いて、クルシエは眉を上下させた。すなわち彼は、機械という存在を人間と区別する一方で、全幅の信頼を寄せているのだった。機械人形が人間の命を受け入れるように、炎人形もまた、決して人を裏切るものではないはずである、と。
 そうしながら迷っている。炎人形を人とおくべきか、機械とおくべきか。過剰にクルシエを侮蔑する理由も容易に悟られた。
 だからといって彼に向ける対応が変わるわけでもない。クルシエは保存食を受け取りながら、炎人形の言葉に耳を傾けていた。
「クルシエ。あなたの行動には、炎人形のあるべき姿から逸れたものが見受けられます。母の炎による記録の消去、再構成を検討すべきかと」
 やまない雑音が鼓膜をつついているように感じられた。クルシエは十数個のパックを両腕に抱え、挑むように少女を見つめ返す。
「考えておきましょう。あなたのお節介が、炎人形の規格から外れたものではないと言い切れるのであれば」
 炎人形は怪訝そうに首をひねる。答えが見つけられない場合、反射で行うように、と教えられた行動だった。クルシエはなにも言わずに彼女に背を向ける。
 性質の悪いウイルスに感染したようだった。母は炎人形に、皮肉じみた物言いなど教えてはいない。他者の発言の最中に別の内容を頭に浮かべるような行為も、そもそも同じ炎人形の言葉を理解できないような浅薄な思考回路も、母から与えられたものではなかった。
 母は炎人形に、不要なものを与えない。
 ならば怪我を負ったフェリトに対して抱いた快感もまた、母が望んでもたらしたものであったのか――疑念が浮かんだ瞬間、クルシエはぴたりと立ち止まった。
「馬鹿馬鹿しい」
 クルシエは自身の足音のみに集中する。居住区に辿りついた途端に思い起こされたのは、空になった室内と、散乱する書物の山だった。鍵をつけられないままに留まっている扉に手をかけて、探るように押し開く。
「帰ったか」
 珍しく上機嫌な声が、クルシエを出迎えた。
 拾う者のいない紙切れは、部屋のあちこちに散らばっている。それらをほとんど踏みつけるようにして、フェリトが椅子から足を下ろした。
「行きたいところがある。ついて来い」
「私はあなたに仕えているわけではないのですが」
 反論は一言二言のうちに唾棄された。クルシエは口を開くことをあきらめる。意気揚々と出ていったフェリトとすれ違ったところで、なぜ自分を待つ必要があったのだろう、とひとつまばたきをした。
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