02

 こちらへ、とクルシエが先導したのは、地下部の壁面に並ぶ小部屋のひとつだった。
 二百体あまりの炎人形には個々の部屋が与えられている。中には寝台と机、椅子、そして小型のライトがしつらえられており、どれもが劣化に強い合金で作られていた。
 飾り気のない室内に足を踏み入れるなり、少年は露骨に顔をしかめた。クルシエは彼に構わず扉を閉める。
 案内をするうちに知り得たのは、少年がフェリトという名であることと、進んで口を開こうとする性質ではないということだった。どうやら無駄話で浪費されかねない時間の尊さだけは学んで生まれてきたらしい。
 フェリトは部屋を見回した末に問いかけた。
「飯はどうしているんだ。支給でもされるのか」
「私たちは食事を必要としません」
「ふうん、そんななりでも機械人形ってことか」
 知ったような口ぶりに、クルシエは肯定も否定も返さなかった。代わりに指の節を額に添える。どうやらこの少年には、一から説明する必要があるらしい。
「金属製の人形と私たちは価値を異にしています。代謝こそ行いませんが、私たちは肉を持っている。十五歳程度の少女の姿で生まれ育ち、十年ほどの耐久期間を持つ。その間には身体的な成長が行われています」
 クルシエは説明を続けながら、自分の服の裾を掴む。通気性と保存性の両方に優れた、一枚布のチュニックだ。そのまま胸元までをぐいとめくり上げた。
 地下に暮らせば紫外線を浴びる理由もない。白く滑らかな曲線を前にして、フェリトが瞬時に顔を背ける。
「な、なんてもん見せてんだ馬鹿っ」
「性的魅力を誇張しているつもりはありません。早とちりです」
「そういう話じゃねえよ!」
「どういう話と見なしているのか不明ですが、話が進みません。説明を続けます」
 クルシエが自身の腰骨のあたりを探れば、指先はやがて小さな突起にゆきあたる。それを手がかりに、果物の皮をむくようにして、腹に設置された蓋を開いた。肉を押す手ごたえこそあるものの、腕にかかった負担は軽い。ためらわずに限界まで開ききる。
 胸の下から腰の上までを占める空間は、人間ならば本来臓器が詰め込まれてしかるべき場所だ。しかしクルシエのそこには金属の台座が据えられ、鼓動するかのように炎をうつろわせていた。フェリトが息を詰める。
「……炎」
「心臓の代わりに、私たちは腹に炎を抱えています。ゆえに炎人形。これはママから授かった命の断片です」
 体ごと背を向けていたはずのフェリトは、いつからか圧倒されるように腹の中の炎を見つめていた。しかしクルシエに見られていることに気付くや否や、つんと唇をとがらせる。
「その、母、っていうのはなんだ。さっきも言っていたな。まさか人形が胎生だってことはないだろう」
「あなたも見ていたでしょう。母とはブロムディオンの都市機能を動かすシステムの総称にして、その根幹にある炎を差した呼称です。彼女の熱から起こされる動力が、都市全域のそれを賄っています」
「さっきの炎が中核ってことか。なんで母なんだ」
「炎人形が、彼女の炎を受けて生まれてくるためです」
 この通り、と腹の炎を指し示し、クルシエは元の通りに蓋を閉じる。
「彼女は私たちの母親。ただひとり敬愛すべきひとです。……他人事のような顔をしないでください、あなたにとっても同じことなのですから。いずれは自覚するでしょう」
 まっぴらごめんだ、とばかりに、フェリトは唇の端を引き下げる。それが気を緩めるきっかけになったのか、彼の腹がぐうと音を立てた。
 渋面をした少年の傍らで、クルシエは首をひねる。
「食事を必要とするのですか」
 母もとんだ欠陥品を作りだしたものだ、と思う。生まれながらに与えられるべき知識を持っていない上、いたずらに食料を消費するなどと。
 クルシエはフェリトの顔を眺める。何度見直したところで、そこにあるのは炎に焼かれたあとのような髪の色、瞳の色ばかり。まるで燃えかすだ。その上未成熟な少年の身体を持っているともなれば、炎人形たちがざわつくのも無理はないことだった。
 しかしフェリトの監視につくと宣言してしまった以上、少年を立派な炎人形に仕立て上げることはクルシエの役割に違いなかった。同じ母から生まれた体なのだから、放り出すことはもとより、餓死させるなどもってのほかだ。
「地下部の一角に食料保管庫があります。理由を伝えれば、あなたの摂取に必要なぶんを受け取ることも可能でしょう」
「食料庫? 人形は飯を食わないんだろう。地下に人間がいるのか」
「もちろん地下部にいるのは母と炎人形だけです。ですがブロムディオンの地下部設計の際には、一帯をシェルターとして利用する案も出されていました。保存食が残されているのもその名残でしょう」
 六十三万の都市人口が、二ヶ月を健康に暮らせるだけの貯えがあるはずだ。保存状態にも問題はないだろう。クルシエは扉に手をかけた。
「あなたはここから動かないように。不要な外出は、場合により厳罰の対象となります」
 不具合が目に余るようであれば、場合によっては母の炎へと投げ返すことになる、と案に告げる。フェリトはわかったよと手をひらつかせた。
 クルシエは部屋を出ると、しっかりと戸を閉めて、しばらくその場で立ち止まる。中で動き回る気配がしないことを確かめてから、ようやく一歩を踏み出した。
 ――彼は未熟すぎる。信を置くには、多大な不安が残るほどに。
 ものを知らずに産まれることが許されるのは、人間の赤子ぐらいのものだ。母の命を受けて作られている以上、炎人形は呼吸を始めたそのときから、彼女の手足でなければならない。
 クルシエは居住区の続く坂を登り終え、三叉に別れた道を下りる。途中で幾人もの炎人形にすれ違ったが、誰もかれもが、まるで先ほどの一件など忘れ去ってしまったかのように日常を過ごしていた。
 食料庫番を担う二人もその例に漏れなかった。髪を一つにくくった少女、二本の三つ編みを垂らした娘が、保管庫の管理状態を確かめながら、一室の端から端まで行きつ戻りつを繰り返している。一日ごとに食料保存用のパックの個数を数えるのが二人の仕事だ。言いかえれば、彼女たちは端末に同じ数字を入力するだけの毎日を送っているのだった。
 クルシエが一方の名前を呼ぶと、三つ編みの娘が顔を出す。数度のやり取りでこと足りる用件ではないことを伝えれば、彼女は足早に保管庫から姿を現した。
「クルシエ。なにか問題でもありましたか」
 食料庫番は基本的に、密閉された空間から外に出ることをしない。中枢部の騒動も聞こえていなかったはずだと判断し、クルシエは簡単に先の経緯を説明する。彼女は「なるほど」とうなずいた。
「状況は理解しました。ですが、それと保管庫にどんな関係が?」
「その少年が空腹を訴えているのです」
「単に人間の真似をしているのでは」
「必要性が見受けられません。腹の音を意識して鳴らすことができるとも考えられない」
 娘が考え込むそぶりをみせる。それが迷いによるものではないことを、クルシエは心得ていた。彼女は自分の不信を覆すだけの判断材料を求めているのだ。仕方なしに言葉を足すことにする。
「彼は炎人形に必要な機能をいくつも失って誕生したようです。ブロムディオンのことや炎人形のことを、あまりにも知らなすぎる。私たちに母のご意思を推測することまではかないませんが、同じ胎から生まれたきょうだいを、みすみす餓死させるのは本意ではないでしょう」
「……わかりました。保存食を支給しましょう」
 娘は保管庫に引き返し、もう一人の炎人形に早口で説明を行う。二人は視線を絡ませあい、一度それをクルシエに向けてから、互いにうなずきあった。
 間もなく一抱えほどの数のパックがクルシエのもとへと運ばれてくる。こぶし二つ分ほどの大きさの、密封された保存用パックだ。中に詰められているのは固形の栄養食で、どれも生存に必須の栄養素を効率よく摂取できるようにと配合されている。ブロック状に形成されてはいるものの、人が抱えて運ぶには難儀する形状だ。
 収まりのいい位置を探るクルシエに、娘は端末に触れながら告げた。
「このことは管理室へ報告します。追って人の指示が下されるでしょう」
「賢明なご判断に感謝します」
「いえ」
 形だけの言葉で告げたクルシエに、娘もまた形ばかりの謙遜を返す。しかしパックを抱え直すクルシエをじっと見つめたあと、彼女はぽつりと言葉を添えた。
「その少年、くれぐれも監視の目をゆるめないように。機能不全があるというのであればなおのことです。私たちは決して、母に抗う者であってはならないのですから」
「承知の上です」
 クルシエはすげなく返す。
 ――全ては母のため。炎人形を生みだし、名前と役割を与えたあの炎のために。
 踵を返したクルシエの背には、長く二つの視線が突き刺さっていた。
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