01

 中枢部にちりちりと揺れる、計器の針はせわしない。
 それを眼差すのは緋色の瞳だ。数秒で区切りをつけ、振れの範囲を見計らう。続き、隣の計器へ。さらに隣へ。一列に並ぶ全ての針の点検を終えると、クルシエは壁際の端末に身を寄せた。
 細い指が端末のパネルを叩くたび、光と音階の群れが紡がれる。重ね、歌うようにつぶやいた。
「点検日、大陸暦三三七年六月九日。最高室内気温前日比0・06度、誤差の範囲内、調整の必要なしと判断。湿度、排熱量、内圧ともに異常なし。観測機体、クルシエ。母の与える、健やかなる一日を祝福します」
 ママ――それはブロムディオンを支える炎。
 数多の炎人形たちを産み落とした、鼓動なき都市の心臓。
 そこは機械都市ブロムディオンの地下部において、ただ一か所、地上へと繋がる中枢部だ。円筒状の部屋の天井は、炎の熱によって絶えず歪んでいる。ライトのない一室に光源として存在するのもまた、中心に燃えさかるその炎のみだった。
 クルシエはしばらくの間、魅せられたかのようにその炎を眺め続けていた。ごうごうと燃える炎の猛りに晒されても、彼女の額には汗の一筋も浮かんでいない。まばたきもせずに三つ呼吸を行ってから、ようやくくるりと踵を返した。
 クルシエに課せられた仕事はひとつ。日に三度、母の住む地下部中枢の計器表示を確認することだ。
 彼女が彼女として生み出されてから四年、以前数十年をさかのぼっても、計器の表示に異常が現れたことはない。しかし都市の機能維持を役割とする炎人形にとって、役割の放棄は存在理由の否定に等しい。当然クルシエも、一度として自身の任を欠かしたことはなかった。
 その日二度目の点検を終え、クルシエは部屋を退出する。背を追う熱を扉で遮れば、冷えた空気は途端に肌をさらった。炎の輝きに慣れた目に、ブロムディオンの地下は薄暗い。
「お疲れ様です、クルシエ」
 警備に立つ炎人形が目礼する。クルシエも同様に彼女の名を呼び、労をねぎらった。
 そうした行為を炎人形に教えたのは、母を創造した人間に他ならなかった。人が母へ、母が子である炎人形へ。言葉や習慣、身振りに至るまでを体に刻みこまれた状態で、炎人形たちは生を受ける。行為が示す意味を教える者がいない以上、目礼は目礼であることに変わりはなく、挨拶もまた言葉ばかりのものに過ぎなかった。
 頭をかき回すように、エンジン音ががなりたてる。地下部の空気を入れ替える設備が働いたのだ。中枢部への扉が据えられた高台から、クルシエはブロムディオンの地下部を見下ろした。
 六十三万の人口を抱える機械都市は、完全な球体を半分地中に埋めた形をしている。
 人間は一人残らず地上部に居を置いているため、地下部に暮らしているのは、都市機能を担う母と労働用の炎人形たちのみだった。すり鉢状に広がる居住空間には、今も二百の炎人形たちが住みついている。
 地下部の天井は金属板で覆われており、光を落としているのはまばらなライトと母の炎ばかりだった。夜も朝も、地下部の明度に変わりはない。
 クルシエは虚ろな瞳で眼下を見つめ、つられるようにして、資料室の灯りが切れかけていたことを思い出す。
 備品補給係の炎人形に、再構成の日が近いことは知っていた。ちょうど期を同じくして資料室のライトが寿命を迎えたのだ。係の交代が行われているうちは、誰かが代わりを務めなければならない。
 空き時間を活用するにはちょうどいい案件だ。クルシエが足先をそちらへ向けたときだった。
 からり、と金属の転がる音がする。
「今の音は」
 真っ先に反応したのは、中枢区の警備を担う炎人形だった。クルシエは応えるように首を傾ける。
「先ほど見たときは、特に異常はありませんでしたが」
 自分の点検に漏れが出たことはない。見落としもまた同様だ。
 しかし耳にしたばかりの物音を否定するだけの材料は、どこにも見当たらなかった。
 クルシエは傍らの炎人形とうなずき合い、母へと通じる扉を開く。ごう、と燃える炎の熱に押し返されそうになって、わずかに眉をひそめた。振り切るようにして踏み入れた先に、母の炎は変わらず燃えている。
 気温、湿度に異常はない。母の熱を動力に変換するエンジンにも、目立つ変化は見つからない。クルシエはそのまま視線を下げて、そこでぱちりとまばたきをした。
 変化があるとすればただひとつ。母の足元に座り込んだ、ひとりの少年のみだった。
「い……っつ」
 黒い髪、同じ色の切れ長の瞳に、カーキ色をしたひと揃いの上着とズボン。緩い腰元を締め上げるベルトには、小ぶりなナイフや拳銃がつり下げられている。
 ふらふらとクルシエを見上げた彼の顔は、そこに至ってきつく歪められた。
「誰だ」
 クルシエは無言で母に目をやる。炎の揺らめきによどみはなかった。だとすれば、彼女から現れるのは炎人形のみであるはずだ。しかし。クルシエが返答に窮しているうちに、騒ぎを聞きつけた炎人形たちが続々と部屋に集まってくる。
 身長や髪形、体型は様々だが、皆が皆女性の姿をしている。彼女たちは同じ緋色の瞳に少年を捉えるなり、我先にと口を開いた。
「彼は」
「炎人形でしょうか」
「その判断は早計かと。炎人形ならば、あかがね色の髪と緋色の瞳を持っているはず」
「それにあれは男性型をしています。私たちはみな女性体で産まれるのでは」
「炎人形でないとすれば、一体なんだというのです」
「母の判断系統に異常があったのでは」
「ですが、母に間違いなど」
「――間違いなど起こるはずがありません。彼女は私たちの母なのですから」
 錯綜する言葉の数々に、クルシエが終止符を打つ。ぴたりとやんださざめきごとの残響を、彼女は早々に耳から追い払った。
 少年は固く唇を引き結んでいた。クルシエが一歩を踏み出すと、彼は警戒の目でその顔を見上げる。漆黒の瞳に映った少女が、肩先で切り揃えられた髪を揺らした。
 あかがね色の髪は緋色の瞳と共に、母から生を受けた者の証だ。しかしそれを持たないといえども、少年が母から生まれ落ちた存在であることに変わりはなかった。
「最初に彼を見つけたのは私です。ひとまずは監視下に置き、様子を見ましょう。炎人形ならばそれ相応の行動を身につけさせればよいだけのこと……彼もまた、母を愛する子供のひとりなのですから」
 少年の眉が跳ねる。クルシエはそれを気にも留めなかった。
「これ以上の集合は仕事に支障をきたします。以降の対処は私に任せてください」
 クルシエの一声に、炎人形たちは列をなして元来た場所へと戻ってゆく。警備の少女が最後にその場を後にした段階で、クルシエは少年をふり返った。
「あなたを私の自室に連れてゆきます。決して勝手な行動はしないように。母を傷つけたくないと思う機能が、あなたにも備え付けられているのであれば」
 信頼すべきか、否か。少年の目に迷いがよぎるのを、クルシエは視界に捉えていた。しかしそのどちらに秤が傾こうとも、彼のとり得る行動はひとつしかない。
 少年は腰を上げ、挑むようにクルシエをねめつける。
「従ってやる。案内しろ」
 低くかすれた声は、緊張のためかわずかに上ずる。けれどもそこにさなぎのような頑なさを秘めたまま、クルシエの鼓膜を震わせた。
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