12

 炎人形が知らないものは、心と、水と、それから風の音。


 あちらこちらに染みついた火傷が、クルシエの脳に不快感を訴える。ひりつく痛みを追い払うようにまばたきをくり返しても、網膜に映った景色は変わらなかった。
 クルシエの背中は、円形に切り取られた金属の土台に支えられている。ブロムディオンに生を受けて数年、それは一度として見たことのない台座だった。四つん這いになって地面と向き合い、しばらくして、ようやく既視感が頭に落ちてくる。
 それは円筒の部屋の中心で、炎をたたえていた台座。母が座っていた椅子だった。
「……母、は」
 炎の残滓、火花のひとつさえクルシエの周囲には残っていない。彼女を取り囲んでいるのは、崩落した地盤と、それに埋められた金属の瓦礫だ。どこを見回しても人間も炎人形も見つからない。思考を放棄したはずのクルシエがまず取り組まねばならなかったのは、地下部を崩壊に追いやった原因に頭を向けることだった。
 炎は装備を押さえつけられていた。人間ならば永久機関をみすみす破壊しようとはしない。当然、炎人形が母を危険に陥れるはずもなかった。ゆえに母が消え、崩れ落ちた地下部を概観して、クルシエが下せる判断はひとつ。
 母はその腹に抱えた兵器を――地上部を炎の海へと変えた兵器をもって、自らの心臓を焼き尽くしたのだ。
 危機を悟った人間たちが逃げ出したのか、炎人形もろともに土に埋もれたのかは定かではない。確かなことは、地上に通じる中枢部に留まっていた者だけが、地下部の崩落を免れたということだ。大穴の底に取り残されたクルシエは、呆然と土の壁を見つめていた。
 だとすれば、それを命じたのは。
 からりと土くれが転がる。瓦礫の山を踏みつけて、小さな影が姿を見せた。
「まだくたばってなかったのか。しぶとい人形だな」
 おぼつかない足取りで鉄くずを蹴り、土を踏み抜きながら、フェリトはやっとのことでクルシエの元に辿りつく。座り込んだクルシエを一瞥するなり、少年は唇の端を引き下げた。
「もうここには何もない。全部ぱあだ」
 兵器を呼び起こした少年が、ひとつくしゃみをする。
 フェリトの顔面は黒くすすけていた。少年の瞳に映り込んだ自分もまた同じ姿をしていることに、クルシエは遅れて気付く。フェリトは少女を指差し、それから自分の胸を叩いて、深く息を吐き出した。
「燃えかすだ」
 俺もお前も。
 怨むように吐き捨てる、フェリトの声からはくぐもりが消えていた。頭上から降る光を浴びて、漆黒の瞳はつややかに輝いている。
 吊る糸が切れたかのようだった。クルシエは仰向けに倒れ込む。フェリトがびくりとするのを視界の端に捉えながら、ひとつふたつと瞬きをした。腹の中をくりぬかれたかのような喪失感が、呼吸を静かなものへと変えていた。
 ブロムディオンの天井に、ぽっかりと穴があいている。円の形に切り取られているのは、クルシエが初めて見つめた空の色。
 両の目を焦がす、蒼穹だった。


Fin.
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