道の途中

 都市へと向かう道すがら。何の変哲もない街路の、誠実に並ぶ白石の煉瓦をすこし避けたあたりにむき出しにされた大地を、じっと見つめる人がある。
 かれが姿を見せるのは年に一度。とはいえ都市の祝祭の日でもなければ、なにがしかの記念日というわけでもない。年によって祝日であったり平日であったりする、春の月のなかごろに置かれた一日だ。まるでそこに咲くと決まっている花を待つかのように、かれはふらりと現れてはそこに立ち尽くし、なにをするでもなく地面を眺め、暫くしたのちにまたふらりと去っていくのであった。その間地面に異変が起こるはずもない。あるのは大地。ただそれだけだ。
 連日道を行き来するのはわたしのような行商人ぐらいのもので、平原の端にはどんな目印も存在しない。そこは単に、道の途中にすぎない場所だった。かれの存在も初めは気に留めることさえしなかったが、この七年間――ときには大雨が降る年もあった――欠かすことなく同じ顔を見るともなれば話は別だ。その行動の奇妙なこともあって、かれという人物は、わたしの頭の中に色濃い染みを残す存在に変わっていった。
 声をかけたことは一度もない。理由を考えるなら、まずかれの人相が、お世辞にもいいとは言えないことがあった。硝子片のような眼光に、引き結ばれたまま動かない口元。猫背気味の姿勢で、常に片足に体重をかけた立ち方をする。その上まばらに切り落とされただけの髪は見かけるたびに長さを変えているのだ。関り合いを持とうとせずとも、かれに一分の愛想すらないことはうかがわれた。だからこそ疑問に思わずにはいられない、そんな人間が、毎年同じ場所を訪れるなどという……言ってしまえば、そう、信仰じみた行為を、なぜ七年も繰り返してきたのだろうか、と。
 かれを見かけるようになってから八年目の同じ日、幌馬車を揺らして都市へ向かう道すがら。やはりそこにはひとりの青年が立っていた。かつては少年の顔つきであったかれも、今では立派に背を伸ばし、働き盛りの男の顔をこしらえている。しかし地面に向ける目は変わらず無色のもの――なにを思っているとも知れない、もしくはなにも思ってはいないのかもしれない、そんな瞳だった。
「探しものかい」
 道行きの間にかれのことを考えていたのがきっかけだろう。問いはぽろりとこぼれ出て、発したわたしを驚かせた。
 一方かれは声に気付くと、顔をわずかに持ち上げて、前髪の下からねめつけるようにしてわたしを覗き見る。その上で自分に害為す存在ではないと悟ったのだろう、戸惑い気味に視線をよそへやった。
「なにも」
「それなら……失礼ながら、誰かが?」
 可能性のひとつとして抱えていた疑念であった。かれはいっとき眼差しをわたしに向けたものの、うすい吐息と共に首を振る。
「誰もいない。俺だけだ」
 そう、まるでそこが旅の終着点であるかのように言う。わたしはとうとうかける言葉を失って、かれと一緒に地面を見下ろした。今年もやはり花の一輪も咲いてはいない。
 ――さっきはああ言ったが。
 かれはわたしを見上げもせずに、ふいに言葉を吐き出した。
「探しもの、だったのかもしれない。昔にたったひとつだけ、ずっと持って歩いたものがあって。それをここに埋めたんだ。使えなくなったから」
「こんなところに? ごみなら相応のところに捨てたらどうだい」
 告げてから、失言だったか、とも思う。なにせかれにとっては、長く持ち歩くだけの思い入れがあるものだ。ごみ扱いは忍びない。しかしかれは表情を濁すこともなく、ただ「そうだな」と返すのだった。
「ちゃんと燃やして、灰にして……そうしてやったほうがよかったのかもしれない」そこまでつぶやいたところで、声なく笑って首を振る。「よかった、じゃあ、まるで人間相手だ。なんて言えばいいんだ、こういうときは」
 自嘲じみた苦笑を浮かべながら、どうにも奇妙なことを口にする。かれに相槌を打つように、馬がぶるると鳴いた。しばしの沈黙。かれが言葉を探るための時間に、いまだ答えは出ないらしい。わたしははばかりつつも、彼の思考に待ったをかける。
「ものの供養をしてやることは――それをかれのためだと称することは、そんなに不思議なことなのだろうか」
 黒目がちなかれの目が、太陽のように見開かれる。そうして出来上がった表情は、かれの面影に、わずかに幼い印象をよぎらせるのだった。
 かれは口を開こうとして、しかしそのまま押し黙る。またやってしまった、とわたしは渋面をした。人の問題に首を突っ込みたがるのは、十年来の悪い癖だ。都市に置いてきている妻にもうるさがられた趣味だった。青年を前に、頭を掻き掻き声を抑えることとする。
「まあ、なんだ。過剰にものを大事にしたところで、だれも責めはしないだろう、ということで――」
「あいつは幸せだったのか」かれは弾かれたようにつぶやいて、そこでつかえたかのように唇を震わせる。「……違う、違うんだ、幸せなんてものは、……そうじゃないんだ」
 そうしてまた口をつぐんでしまう。照り付ける太陽の光ひとつ、吹き付ける春の風ひとつ、かれを苛むには十分であるかのようだった。八年という年月をかけてもいまだ見つけられないものを、かれはひとりで探し続けてきたのだろう。あるいは八年の日々の、その前からずっと――。
 なるほど探しものか、とひとりごちる。開いた沈黙は、不用意に声をかけたことを悔いるには十分だった。
「すまなかった。余計な口を挟んでしまったようだ」
「いや」
「来年もまたここに来るのかい」
「……ああ、なんだ、見られていたのか」
 かれは眉の端を下げる。すまないねと伝えてやれば、かれはいくらかやわらかい空気を纏って、今度はまっすぐにわたしを見上げた。
「適当な理由をつけて満足できればいいが、答えを出すには、まだ時間がかかりそうなんだ。もしかしたら永遠に見つからないのかもしれない。でもそれが、ここにあることだけは確信できるから」
「辿りつく場所、というわけか」
「そういえば聞こえはいいけどな。ただの置き土産だ、呪いみたいなものだよ」
 かれが自身の荷を負い直す。漂泊の身であることは、もう数年前から気付いていることだった。煉瓦の道に戻ろうとしたところを呼び止め、わたしは馬車を指してみせる。
「乗っていくといい。道は同じだ」
 反射のように否やの形を取った唇を、かれは考えこむように結んでみせる。しばしの間の後、頼む、よければ、と告げた青年から、わたしは猫を懐かせたときのような喜びを得ていた。かれが馬車に乗り込むのを待って、ふたたび馬に鞭を入れる。途端流れを作った風が、幌の中へと潜りこんでいった。
 穏やかな昼下がりだ。目を刺すほどではない陽光が、幌馬車の影を伸ばしている。良い日だね、と思わず声をかければ、幌の青年は生欠伸の後に小さく笑った。

「うん。……良い空だ」

 蹄鉄の音が響く。
 真白い太陽を灯した、あの空の果てまでも届けばいい。そう思った。


BACK  TOP  NEXT