11

 母の設備に手をつけた人間のおかげで、ブロムディオンの地下部は、闇に侵食されていこうとしていた。
 炎人形たちの呼吸は扉の中に押し込められている。常ならば点々と歩き回っているはずのあかがね色も、今はどこにも見受けられない。人々は束の間の休息を取っており、フェリトとクルシエの外出に気付く者はいないようだった。
 靴音を隠し、息をひそめて、高台へ。中枢部を超えて、より地上に近しい一室へと足を急がせる。いくらか外壁を上った位置からは、円筒状の部屋の上部に開かれた穴を通して、母の炎が揺らめいているのが見えた。
「あなたの目的は、彼らとは別にあるのですか」
 クルシエの問いかけを制そうとしたフェリトだったが、途中で思いとどまる。小声の対話が他人の耳に入るはずもないのだ。彼は元の通りに前を向いて、低い声で答えた。
「炎はブロムディオンを滅ぼすだけの兵器を隠し持っている。お前が話した通りだ。奴らにはそれを報せていないが」
 伝える情報の選別を行っていた、ということだ。
 人間の部隊は地下部に備え付けられた装備を制圧したが、母本体の情報に関しては手をつけかねていた。クルシエという媒体を用いて直接干渉を試みたのはフェリトぐらいのものだったのだろう。
「それを手中に収めると?」
「母を従わせられれば、兵器を含めた都市機能がすべて手に入る。あとは母の設定をいじって戦闘用の炎人形を作らせればいい。ブロムディオンはそれだけで、無尽蔵の武装兵を生みだす装置に変わる。俺は本国にそれを売って……それから、あのくされた奴らを上から踏みつぶしてやるんだ。正統な権力をもって」
 都市のためにと作られた炎を、国を滅ぼすための火矢とする。躊躇もなく野望を語ると、フェリトはひとつ呼吸を置いた。
「やっかいなことに、母は人を信用していない。端末からの報告も、炎人形の指でないと受け付けないぐらいだ。だがお前たちからの説得があれば、あれも話を聞いてくれるだろうからな」
 説得。コードを炎人形の体に繋ぎ、母に直接干渉する行為を、彼はそう呼ぶのだった。体中を焼き尽くすような熱を思い出し、クルシエは腹に指をやる。情報を流しこんだだけで悲鳴を訴えた体が、母の根幹機能にまで手を伸ばせばどうなるか――推測することは容易かった。
「なぜ私を選んだのですか」
 問いを発する。フェリトの後頭部に、反応は見えなかった。
 クルシエの隔離が許されたのは、他の炎人形が持たなかった情報を知り得ている、という建前があったためだ。その情報が都市滅亡の記録に関するものであるとすれば、フェリトの垂れた能弁は決して間違ったものではない。
 だが彼の目的は都市そのものにあるという。ならばクルシエではなく、別の人形を隔離するよう訴えるほうがより確実だ。母との接触を経験したクルシエに、一分の機能の損失さえも起こらなかったとは言い切れない以上。
「あなたが言ったのでしょう。私たちには替えが効く。いずれ戦闘用として作り替えようというのならなおのことです。私である必要が、どこにあったというのですか」
 長い沈黙の果て、フェリトは鬱陶しそうに首を振ったきりだった。
 炎のちらつきを間近に聞いた。らせん状に続いていた道は、やがて中枢の上層部、地上へと通じる階段を伸ばす一室へ辿りつく。炎人形が近寄ろうともしないその場所は、母の炎の真上にあたる部屋だった。
 がらんとした空間の壁面には、十数枚のディスプレイが並んでいる。画面には母や地下部の光景、瓦礫の山と化した地上を写す映像が、刻一刻と流れ続けていた。円形の部屋の中心にはぽっかりと穴が開いている。それを視界に収め、フェリトは苦々しげに眉を寄せていた。
 ブロムディオンを発見した調査隊は、しばらくの間その一室に留まっていたのだろう。それを証拠づけるように、部屋の端々には大型の荷物がいくつも詰まれている。フェリトは偶然、あるいは故意に、中央の穴から足を踏み外したのだ。
 大きな怪我も火傷もないまま発見されたのは、母が彼を許したためか、それとも単に彼の悪運が強かったためか。クルシエに炎の意思を測ることはできなかった。
「悪い話じゃないだろう」
 端末の一部に触れ、フェリトはぽつりと言った。
「俺は力を得て奴らを見返す。お前は母とひとつになる。始めから望んでいたとおりじゃないか」
 つう、と機械音。肯定とも否定とも取れない音に、少年は嘆息する。
 フェリトはクルシエの腹を開くと、慣れた手つきで接続部を探り出す。端末から引き抜いたコードを差しこんで、ふたたびタッチパネルへと戻っていった。
 フェリトの指先が跳ねるたび、クルシエの炎は怯えるように震える。調子外れの電子音の歌を聞きながら、クルシエはフェリトの背中を眺めていた。
 地下部に落ちたときから、あるいは、調査隊に任命されたそのときから、フェリトはこの結末を探っていたのだろう。ブロムディオンの母の炎は、少年にとっての最後の銃弾だった。彼はそうして、ようやく引鉄に指をかけたのだ。
 ブロムディオンが目を覚ます。炎の悲鳴を聞いているのはクルシエだけだった。地下部の機能はここそこで産声を上げ、人の呼びかけに胎動する。
 フェリトは端末を操作しながら、明滅するディスプレイを見つめていた。痛々しいほどの光を瞳によぎらせても、かつてのような炎はどこにも見当たらない。怒りをそこに宿した、あの日ほどの煌めきは。疲れ果てたかのような色を、クルシエは吐息に埋めていく。
「……蔑まれるのは、そんなにも恐ろしいことでしたか」
 呟きは、諦めの淵にあった。
 少年の指が動きを止める。クルシエはゆるやかに言葉を継いだ。
「無駄、なことだとは、思わないのですか。罵られたところで、あなたが人であることは変わらない。棄てられたところで、あなたが心臓を持っていること、フェリトという名を得たことは変わらないというのに」
 違う存在である事実を羨んだことはなかった。隔たりを見せつけられたところで、クルシエの中に芽生えたのは理解のみだ。――人形と人は、別個の存在でしかないのだ、と。燃えかすと呼び忌み嫌った記憶も、すでに陽炎と化してしまった。
「ただ、誇ればよかったのです。フェリト。あなたは炎人形にないものを抱えて生まれてきた。笑えばよかったのです。この状況にあっても抵抗一つできない私たちを……人形の中に、人との相似を探ろうとするより先に」
 違っていたのだ、と悟る。なにもかも、始めから違っていた。与えられたものをただ受け取り、抱えたまま死んでゆくだけの炎人形に、己を顧みる必要などなかった。
「人形は人形に過ぎなかった。そうでしょう。私たちは、なにを害することも、なにを傷つけることも、なにを悔やませることもないままでなければならなかった――無為な存在でいなければ。そんな在り方さえ、もう叶わなくなるというのなら」
 都市の目覚めに地面が揺れる。
 振動は足元に収束し、クルシエの体をふらつかせた。

「――ならば私たちは、みな、あのとき燃え尽きてしまえばよかった」

 口角を持ち上げる。心を知らない炎人形にとり、それは最後の反抗だった。
 ブロムディオンは大きく揺れて、クルシエの足を跳ね上げる。捕まる手も場所も見つからないまま、体はやすやすと均衡を失った。一度背中へと倒れ込んでしまえば、辿りつくべき床はそこにない。
 熱が迫ってくる。目蓋を閉じる刹那、少年が手を伸ばすのを見た気がした。


 炎と、体。
 炎人形が抱えているのは、ふたつだけでよかった。他には何もいらなかった。
 母が娘たちに与えたもののなにもかもを彼女に返すため、人形たちは生まれてきた。いつか母のもとへ帰ってゆくために――汚れてしまった自分を、焼きつくしてしまうために。母から切り離されたその瞬間、もう純粋なままではあれないことを、人形たちは知っていたのだ。
 皮膚を舐める炎熱は、クルシエの体を執拗に苛んでゆく。余計なものを抱えすぎた、と、彼女は薄れゆく意識の中で考えていた。痛みを伴うのはそのせいだ。
 少年を燃えかすと呼ばわったことも、彼の激情にさらされたことも、母の記憶に触れてしまったことも、炎を乱すノイズにしかならなかった。人形が変化を求めない以上、どんな呼びかけもクルシエを揺り動かしはしないのだから。
 いくつもの後悔を拾い上げ、クルシエは炎の中で首を振る。
 ――もういい。もう、考える必要はない。
 母の声が聞こえる。鼓膜を絶えず震わせながら、クルシエはただ落ちていく。
 彼女の炎は全てを浄化するだろう。次に目覚めるとき、炎人形たちは戦場に立たされているはずだ。ブロムディオンの名も、地下に広がる人形たちの楽園の存在も、全て忘れ去った兵器として。

 しゅう、と。
 気の抜けるような音がした。
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