苛立たしげに土を踏み、ロイドが行きつ戻りつをくり返す。故郷ではまぶしいほどに磨かれていた皮靴も、主が単身ユ・タスを訪れてしまった今は、あれよあれよという間に砂ぼこりにまみれてしまったらしかった。胸元までを留めたシャツも遺跡の街の気候にはそぐわず、ロイドの額に大粒の汗を浮かばせる。
「まだか」
 端的な彼の問いかけに、
「そのようだ」
 とイシュドはやはり端的に答えを返す。その間にも太陽はじりじりと熱を放ち、ふたりの異国人とひとりの現地人を、影ごと焦がし尽くそうとしていた。抑えきれなかったらしいロイドの憤懣は、小さなうなり声となって彼の喉を震わせる。
「斡旋所に書類を出しに行っただけではないのか。こちらのサインに不備はなかったはずだ。私もダグラス殿も、揃って再三確認した。そうだろう、ダグラス殿」
「ええ、旦那。俺も目をよくよく開いて確かめたもんで」
 ダグラスが大きくうなずく。ロイドはイシュドをじろりとにらみ、当てつけるように言った。
「どうしてこうも時間がかかるんだ」
「……さて。あれも子供だから、道草でも食っているんじゃないか」
「お前と一緒にするな、この放蕩者が」
 手厳しいなとイシュドは肩をすくめてみせる。しかしそらを見た彼の表情はけろりとしたものだった。それが癇に障ったのか、ロイドは唇の端をぐいと引き下げる。お前、と発された声は、地を這うように低い。
「またなにごとか企んでいるのではあるまいな」
「企むもなにも。俺は先からここにいただろう? 故国に帰ると昨日確かに誓わされたはずだ。ホルムスの男子たるもの、嘘はつかん」
「そういうことは俺の目を見て言ったらどうだ」
 ホルムスの屋敷でも、幾度となくくり返された光景だった。ひとりの赤子に家風を押し込んで作られたような性質のロイドにとり、ふらりと姿を消すことの多かったイシュドは目の上のたんこぶであったのだろう。
 家に留まれば煙たがられ、一方でいざ家を離れてみれば、すぐに戻ってくるようにと便りが寄越される。生きづらいものだと嘆息するイシュドであったが、それをかつてほど気に病むことはしなかった。セシルが消えた街並みを見つめ、涼しい顔で立ち続ける。ずいぶん日にも強くなったらしいと上の空で考えていた。
 それから数秒を待たず、転がるように駆けてくる人影は、予想していたものより微かに大きい。ぱちり、とイシュドは目をしばたいた。
「……ルカ?」
 少女は必死に地を蹴っていた。昨晩イシュドが残していった上着を、まるで宝物のように抱きかかえながら。

 遠くの人影を捉えるや否や、ルカの胸にはどっと安堵が降ってくる。緩みかけた足を強いて前に出し、は、と鋭く息をついた。
「――つけ、ました……っ、見つけました!」
 紫水晶を気ままに跳ねさせながら、ルカは彼らの前に足を止める。目を丸くしたイシュド、無言を保ったロイド、それから訝しげなダグラスを順繰りに見つめ、やっとのことで呼吸を整えた。上着の中に握りこんだ掌を、慎重に表に現す。
 日のもとにさらされたのは、黄金に彩られた首飾りだ。彫り込みの入ったメダルをいくつも吊るした、遺構の財宝だった。
「これまでの発掘物と一致する文様が見られます。間違いなく古代文明の遺物です」
 喉はからからに乾いていた。静寂に飲まれないようにと、ルカは足の裏で地面を踏みしめる。
「斡旋所に持っていけば、中央で鑑定してもらえると思います。報奨金も出るはずです。……でも、それより先に、認めてもらわなきゃいけなかったから」
 ロイドを見上げ、首飾りをかざしてみせる。メダルの群れはざらついたその表面に光を躍らせ、物憂げに揺れていた。険しい顔でルカを見下ろし、彼はきつく唇を結ぶ。
「あなたが掘り当てたのか」
「正確には父が。発掘所で死んだ父が、今日の朝まで土の下で握りしめていたものです」
 思い出す。砕けた背骨、折れ曲がった大腿骨、ばらばらになった頭蓋骨。土砂に押しつぶされた父親が望みの綱であるかのように掴んでいた黄金の首飾りと、傍らに取り残された錆びたスコップ。
 父親はなぜ逃げ遅れたのかと、それを見てしまえば考えるまでもなかった。彼が骨の髄まで遺跡掘りであったことを鑑みれば。
「私たちは遺跡掘りです。父も、私も、スコップを握ることに誇りを持っていた。あなたたちが剣を握り続けたのと同じように」
 ロイドの右手が、彼の佩びた剣に触れる。彼は誰よりも、その重みを知っているはずだった。ルカはゆっくりとまばたきをし、腹に力を込める。
「だから、撤回してください。私のしてきたことも、イシュドさんがここを訪れたことも、遊びなんかじゃなかったって」
 長い沈黙があった。ルカとロイドが挑むように互いを見すえ、一度として息をつかないままで立つあいだ、ユ・タスの太陽は照りつけることさえ忘れてしまったかのように、まばゆい光ばかりを放ち続けていた。
 はあ、とため息をついたのはロイドだ。自分を納得させるようにくり返し頷いて、眉間のしわを指でほぐした後に、ようやくこわばった口を開く。
「約束は約束だ。……侮っていたことも認めよう」
 ロイドは渋るように唇を噛み、ふたたび息を吸う。
 しかし彼の声が言葉になる寸前、獣のような唸り声がルカの耳朶を打った。
「なに言っているんです、旦那。そいつは発掘ごっこで遊ぶがきでしかないんだ。その発掘品も間違いだ! そうに決まってる……!」
 呪詛じみた響きに、ルカがふり返る間もなかった。
 横合いから伸ばされた手が、首飾りを強引に奪い取る。追いすがろうとしたルカを腕の一振りで撥ねつけると、ダグラスは金の鎖を両手に握りしめた。
「返し……!」
「なにが遺跡掘りだ、なにが誇りだ、こんなものっ」
 両端に力を受けて、鎖が悲鳴じみた音を立てる。メダルは怯えるように震えていた。引き延ばされた首飾りが歪み、ちぎれかけた、刹那。
「――それは無粋というものじゃないか、ダグラス殿」
 ざり、と、地を踏む音があった。鋼が光を滑らせて、大地に白いしずくを落とす。首筋に添えられた刃に、ダグラスがひくりと喉を震わせた。
 それはルカが尻もちをついてから、数秒足らずのこと。剣を抜き払い、それをダグラスに付きつけたイシュドは、冴えた瞳で彼の横顔を見つめていた。
「彼女の父親にも同じことをしたのだろう? 他人の夢を取り上げることにも、もう飽いたかと思ったが。見苦しいとは思わないか」
 小刻みに震えたダグラスの手から、首飾りがこぼれ落ちる。イシュドはそれを危なげなく掴み取り、立ち上がったルカに受け渡した。流れるようにかかげられた掌は、ねぎらうように少女の頭に触れていく。
「イシュドさま、ロイドさま――!」
 少年の声が空を駆けたのは直後のことだった。高らかに地を蹴る彼には、戸惑いがちな足音が続く。ユ・タスの警察官を伴ったセシルは、胸を張って三人を見上げた。
「申し訳ありません、お待たせしてしまいました。新聞社の記者の方も、先日の暴力事件の犯人も、……ダグラス・フェラーさん、そちらの方に命じられたと証言してくれました」
「なっ」
 反論しかけたダグラスが、喉元の刃に制される。何故、と問う彼の瞳に、セシルはふんと鼻から息を吐き出した。
「本当のことを教えてくれませんかって、“ちゃんと”お願いしただけですよ。僕が子供だったから、正直に話してくれたのかもしれませんね」
「そん、な……馬鹿なことが」
 イシュドの剣も、もはや抑えにはならなかった。膝から崩れ落ちたダグラスは、縋りつく場所を探すように瞳を左右に揺らす。彼の手首に枷がはめられ、警察官に引き立てられていくそのときまで、ルカは呆然と目をしばたかせていた。
 ふむ、とうなずいて、イシュドは剣を鞘に収める。
「ルカ、セシル、よくやった。すべて願った通りだ。何事もこうでなくてはならん」
「何事もって……」
 ルカの抱えた上着を取り上げて、イシュドは唇の端をつり上げる。
「俺は俺のもとにある皆をなべて信じているからな。結果が戻ってくるのは当然のことだ」一度言葉を切って、ぐるりと首を回す。「さて、兄上。どうやら俺たちは、もう一度兄弟喧嘩をやり直す必要があるようだが」
 イシュドはロイドを仰ぎ見て、次は負けんぞ、と拳をふりかざしてみせる。ロイドは両目を手で覆い、力なく首を振った。
「お前という奴はこれだから信用がならんのだ。放り出しておくとなにをしでかすか、分かったものではない」
「ならばもう少し放り置いてみてはどうだ? 兄上がよそ見をしているうちに、ホルムスも建て直してしまうかもしれないぞ」
 ロイドはじっとりとイシュドを睨む。何食わぬ顔で兄を見返した弟に、ロイドはふたたび、苦虫をかみつぶしたような顔をしてみせた。
「喧嘩はそれも含めて、だ。セシル、荷運びを捕まえて来い。部屋の業者にも話をつけ直さねばならん」
「かしこまりました!」
 快い返事を響かせて、セシルは疲れも見せずに走り去る。続き自分に向けられたロイドの眼差しに、ルカは肩を震わせた。
「アマレット殿。先の非礼を詫びよう。それからもうしばらく、あなたに苦労をかけることになるかもしれないが……」
 言葉に迷うような間に、ルカは小さく吹き出した。
「構いません、一月は覚悟をしていたので。それに」
 言葉を継いでイシュドを見上げる。兄の死角で肩をすくめてみせた彼に、呆れ交じりの瞳を向けた。
「子供って、家族から離しておくだけで、勝手に成長するのかもしれませんし。ね?」
「おい、ルカ!」
 声を荒げたイシュドに、ルカが笑い声をあげてから数秒。
 ぽかんと目を見開いていたロイドもまた、「違いない」と口元をほころばせた。