汗の臭いの入り混じる、斡旋所の混雑は変わらない。あちらこちらで上がる怒声、弾かれる硬貨の金音に、苛立ち気味の受付嬢たち。ちいん、とベルが鳴り響くたび、遺跡掘りたちが一喜一憂してみせる。ユ・タスの縮図とも言い変えられるであろうロビーの壁に、ルカは背中を預けて立っていた。
「よかったんですか」
 並ぶ青年に、声だけを投げかける。ルカの瞳は人波を眺めたまま動かなかった。なんのことだ、としらばっくれるイシュドは、人気に呑まれたのかげんなりとした表情を浮かべていた。
「報奨金を私の借金返済に充てたことですよ。イシュドさんの取り分、ほとんどなくなったじゃないですか」
「構わん。もとからそういう契約だった」
「起業の資本金が欲しかったんでしょう。あれで足りたかは分かりませんけど、それでもまとまった金額ではあったんじゃありませんか」
「くどいぞ、ルカ。俺は約束を違える男じゃない。たとえそれが口約束であったとしてもだ」
 ――ホルムスの男である以上。イシュドが疲労を見せていなければ続いていたであろう文句を、ルカはひとり唇でなぞる。頑固者は兄も弟も同じだ、と考えたことは、口にしないでおこうと心に決めた。
 しばらく雑踏を眺めてから、イシュドは「それに」と言葉を継ぐ。ルカの注目を受けて、彼は芝居がかった動作で肩をすくめた。
「お前が有能な遺跡掘りであることも、ユ・タスの地に望みがあることもわかった。今のところはこれで十分だ」
 満足げな口調の裏に、確かな自信が見え隠れする。ルカはぱちぱちとまばたきをくり返してから、そうですか、と目を逸らした。
 臆面もない誉め言葉にはまだ慣れない。それがイシュドにとって、自身への賛美に伴うものなのだと知っていてもだ。胸元に留まることを許された紫水晶は、恥じらうようにころころと揺れては、ランプの光を反射させていた。
「それより、お前の方こそよかったのか。あの首飾りを斡旋所に渡してしまって」
「どういうことですか?」
「父君が握っていたのだろう。お前からすれば、形見のようなものじゃないか」
 優にひと呼吸置けるほどの時間があって、ルカはあっと声をあげる。馬鹿にするように唇を歪めたイシュドに、大きく首を振った。
「い……いいんです。お父さんはお墓に入れてあげられたので。私にとって大切だったのがお父さんと遺物だっただけであって、二つのあいだに、関わりはありません。だから」
 いいんです、とくり返して、ルカはひとつ息をつく。納得しきれないようすのイシュドには、首の水晶をかかげてみせた。
「イシュドさんから頂いた首飾りもありますから。“今のところは”これで十分です」
 意趣返し、とばかりに歯を見せて笑う。
 しかしイシュドは真顔でルカを見つめたきり、しばらく黙りこんでいた。触れてはならないところに触れただろうか、とルカが不安になったころ、彼はついとそっぽを向いた。
「……今のところは、か。ふむ」
「イシュドさん?」
「なんでもない。……おい、呼ばれているぞ」
 促されて前を向けば、髪をひっつめにした受付嬢が、ベルを叩いてルカを呼んでいた。
 小走りで現れた少女を目に映すなり、彼女はわずかに眉をひそめる。見た顔だ、とルカが気付くのも早かった。幾度となく受付でルカを追い払った女性だ。
「アマレットさんの納付金が受理されましたので、三十一区発掘所の発掘権は引き続きあなたのものです。それから申請のあった十七区の発掘所の発掘権についてですが、正式に許可されましたのでご確認ください」
 立て続けに受け渡される書類を胸に収めつつ、ルカは口の端をひきつらせた。
「あの、拗ねてません?」
「いません。あなたと違って、仕事に私情を持ちこんだりはしませんので」
 彼女が指す出来事は明らかだった。ルカはカウンターを両手で叩く。
「だ、か、ら! あの新聞記事は間違いだって発表されたでしょう!?」
「それだけの距離にいらっしゃったことは事実でしょう。文面はまだしも、写真は嘘をつきません。……ああ、話がそれましたね。アマレットさんにはこちらを」
 顔を赤くしたルカの前に、一枚の書類が差し出される。活字に目を滑らせて、ルカは首をひねった。数人の顔写真と略歴が綴られたリストだ。出身地こそ様々であるが、誰もかれもが一財を築いた資本家ばかりだった。
 これは、と呟いたきり口を開閉させるルカに、受付嬢は説明を添える。
「先だっての発掘が知れ渡って、あなたへの雇用要請がいくつか寄せられているようです。労働条件も同じ書類にありますのでご確認くださいね。引き受けられるようでしたら斡旋所に仰っていただければ、こちらのほうで手配しますので」
「ま、待ってください、昨日今日まで見向きもされなかったじゃないですか!」
「遺跡掘りは成果こそすべてでしょう。ご希望であれば面会の口添えも致しますから、どうぞお気軽に――」
「いらん」
 受付嬢の声を遮るように、リストが取り上げられる。ルカの背後に立ったイシュドは、不愉快を隠そうともせずに紙面を睨みつけた。ひらひらと書類を揺らした直後、勢いよく二枚に引きちぎる。
「ちょっと、イシュドさん!?」
 文句をつけようとしたルカであったが、ふり返ることも許されない。片腕で引き寄せられたのは、イシュドの胸の中だ。薄い筋肉を後頭部に感じるなり、顔面がかっと熱を帯びた。
「これは俺の労働者だ。他にやる気はさらさらない。こいつらにも断ると言っておけ」
「はあ、そうですか」
 書類の残骸を取り戻して、受付嬢は半眼になる。ルカは遅れてイシュドの腕を叩いた。
「誰が誰のものですか! いつもいつも横暴を働いて……! 仕事を選ぶ権利ぐらい私にあります!」
「俺が一番うまく使ってやれる」
「毎朝毎晩人に食事を作らせておいて、どの口が――」
 ちいん、とベルの音が響く。
 鉄面皮を顔面に張りつかせていたはずの受付嬢が、にっこりと笑ってルカの視線を出迎えた。
「痴話喧嘩なら外でどうぞ。仕事のお話は以上です」
 とどめとばかりに鳴らされたベルに、ルカは唇をひくつかせた。押しかけた遺跡掘りに、投げ出されるように突き飛ばされた先、ロビーの床で引きつったように息を吸う。困ったものだと頭をかいたイシュドに向かって、ふるふると腕を震わせた。

「い……イシュドさんっ、の、馬鹿あああっ!!」

 汗と夢とが踏み固めた地、暴力と貧困を笑う場所。それがユ・タス。遺跡の街。
 怒れる少女の叫び声程度では、砂塵が震えることもなかった。