疲労に負けて倒れたことはついぞなかった。
それというのも、遺跡掘りの男たちが口を酸っぱくして水分と塩分の補給の重要性、日と気温の危険性を説いて回るからだ。発掘を始めた当初から、ルカも体力の管理にだけは常に気を払っていたのだった。
とはいえ、一度倒れてみなければ先人の偉大さにも気付かないものだ、と思う。ルカは身動き一つ取ることのできない体を持て余しながら、静寂に耳を澄ましていた。
やりきれなさばかりが募る。指の一本にでも力がこもるなら、すぐにでも土を掻いていたというのに。無力を実感させられるぐらいなら、意識など失ってしまえばよかったのだ。
――ルカ。
声が聞こえて、願いが通じたのかもしれないと考えた。
夢を見ているのだろう。視界は暗く閉ざされたまま、呼びかけだけがルカの耳朶を打つ。ともすれば現実味すら帯びるその声が、イシュドのものであることは明らかだった。
言葉に迷うような間があって、暗い嘆息がこぼれ落ちる。目蓋にかかったルカの前髪を、固い指がかきわけた。
「すまなかった」
夢だ、と思った。
イシュドは謝罪など口にしない。少なくともルカの知る彼は、尊大で、横柄で、いつ何時も自分の信義にもとるような――自ら謝らねばならなくなるような言動はしないような男であったはずだ。
柄でもない、と笑い飛ばしたくとも、唇は縫い留められたままで微動だにしなかった。
「一月の期限を定めておきながら、俺の都合でそれを無碍にした。いかんともしがたい裏切りだ。せめて、約束の日までは発掘をさせてやりたかった……言っても、栓のないことではあるが」
ぽつぽつと吐き出される言葉の、懺悔のような響きにぞっとする。ルカの額には大きな掌が寄せられて、主の熱を伝えていった。
「お前からはもうなにも取り上げない。負債もできる限りで片付けておこう。今後はお前の頑張り次第になるが、なに、心配はしないさ。必ず掘りあてられる。俺の信じた遺跡掘りだ。間違いであったとは決して思わん」
動けと叫ぶ。そうしてイシュドの横顔を張らずには、ルカの気は収まらないのだ。自分の見る夢が、彼から自身を取り上げるようなものであってはならない。だというのに。
つ、と流れ出した涙に、こらえは効かなかった。身じろぎをするような衣ずれの音があって、ルカの目元が拭われる。冷えた体はいつしか、熱をはらんだ衣に覆われていた。
「立派な遺跡掘りになってくれ。歴史に名を残すような発掘を成し遂げて、都にも名声を響かせて欲しい。……そうでなければ、どうにも踏ん切りがつかなくてな。険しい顔をしていれば、またラジエンテのご息女を泣かせてしまう」
額の手が離れていく。もぐりこんだ冷気が、名残さえも吹きはらおうとする。反射で身を震わせたルカをなだめるように、額にはかすめるような熱が降った。
「お前だったらよかったのにな」
早口の呟きは、いや、という直後の声に打ち消される。けれどもイシュドの口は、それ以上の否定を形にすることはない。
「ありがとう。ルカ。お前が力を尽くしてくれたことを、俺は誇りに思う」
離れ行く気配に、待ったをかけることさえできなかった。
――そんな言葉が、聞きたかったわけではなかったのに。
跳ねあがるように体を起こしたとき、太陽はとうに穏やかな光を作業場に投げかけていた。もうもうと立ち込める土煙、熱気をはらんだ風までも普段のユ・タスと変わりない。半月前にイシュドがルカのもとを訪れたことさえ、夢であったかのような朝だった。
呆けたまま体を起こし、ルカは呆然とまばたきをくり返す。身を起こしたときに剥がれ落ちたのであろう、一枚の上着が、自分の膝の上に縮こまっていた。
薄手でありながらつやめくような上質の生地だ。持ち主の名を思い浮かべることは容易い。汚れた手袋を脱ぎ、震える手でそれを抱え上げた。
「……イシュドさん」
名前を口に含む。彼らがユ・タスを発つのは太陽が真上にのぼったころだ。未だ山の端を超えきらない光を睨みつけ、ふらふらと立ち上がる。その拍子に腕からこぼれ落ちた手袋を、ああと拾い上げようとして、ルカの手は動きを止めた。
穴の壁面からこぼれ落ちた土くれが、呆けたように日を浴びる。その狭間には白くひび割れた骨片が数枚、もの言わぬままに佇んでいた。