穴を掘っていると、やくたいのないことを考える。
技術の要される職であるとはいえ、一度作業に入ってしまえば、それそのものは単調だ。土をおこし、放り捨てる。筋肉に負担の残らないよう、しかしスコップの切っ先が違わず土を切り裂くように。ともなれば、体の動きはやがて洗練されていく。洗練は慣れだ。体が覚えた作業の感覚は、取り残された頭に空白を連れてくる。そうして手持ちぶさたになったルカの思考は、主の掘り続ける穴のことを思わずにはいられないのだった。
太古に滅びた帝国の遺産を蘇らせようと、遺跡掘りは日夜土を掘り返す。担ぎあげられる夢の痕跡が、掘り手に富をもたらすためだ。けれどもルカという遺跡掘りがスコップを握る理由は、父を迎えるため以外にありえなかった。
どうしたかったのだろう、と、息をつく。静かになった発掘場に、日差しは心なしか穏やかに降り注いでいた。促すような光の群れを浴びて、ルカはわずかに目を細める。
父の骨を見つけたあと、自分はなにをしようとしていたのか。かつては自分の行く先を思うたび、まるで一本道に取り残された子供が、きつく目をつむり、細い足で歩いているのを、ただ見つめているかのような不安に襲われていたのを思い出す。――しかし、今は。
足がスコップの鍔を蹴る。ルカにとって、スコップは剣だった。刃が土の肉を断つならば、奥に抱かれた骸ひとつ、目覚めさせるために掘り起こすのではない。
夢を終わらせるため。知らぬ間に奪われていた命を、確かに殺してやるために。
ルカのそれは、弔いだった。
太陽は転げ落ちるように高度を下げ、大地を火の色に染め上げる。
日が暮れだした途端に急激に気温を引き下げるのが、ユ・タスを含む大陸西部の気候帯だ。数刻と待たずに凍えるような夜が来ることを、ルカは太陽を睨みつけながら予感していた。
「上着がいるわね……」
ぽつりと呟く。――それから、厚手の手袋と光源を。忘れないようにと早足で穴を駆けのぼると、家に積まれた発掘用具の山を崩していった。すっかり錆びついたライトを掘り起こし、まだ灯りが点くことを確認する。
「よかった」
ほっと息をつき、上着と手袋を身につけて、腰ほどの高さを持つライトを台車で転がしていく。数年ぶりに日の目を浴びたそれは、台車が小石を踏むたびにきいと軋んだ悲鳴を上げた。
ライトの電源をつけると、発掘所の薄暗闇には痛いほどの光が落ちた。ひとつうなずいて、ルカはスコップを取りなおす。
地を擦るような足音を聞いたのはそのときだ。大きく息をつく気配が続く。
おやと思って顔を上げた先、暗がりから光のもとに現れた少年は、細い影を作業場に落としていた。ルカは目を眇め、「セシル」と彼を呼ぶ。
「こんな時間にどうしたの。引越しの準備は?」
「ロイドさまが、今宵の宿に入られたので。今ならと思って」
肩で息をし、両の膝に手をついて、セシルはやっとのことで顔を上げる。
「ルカさん、よく聞いてください。イシュドさまに会うなら今晩だけです。ロイドさまのいない今だけ。明日の昼にはここを発つ手はずになっているんです、だから――」
変わらないルカの表情に、何を思ったとも知れない。セシルは唇を歪めて首を振った。
「……ですから、どうか、お別れを言ってさしあげて下さい。これが最後になってしまうから」
ほう、と吐き出された息は、一度白く染まったきり、音もなく夜に溶けていった。
魅力的な誘いだった。少なくとも数週間前の自分であったなら、一も二もなくスコップを放り出していただろう。もしくは所詮赤の他人なのだからと納得して、今も家を出てさえいなかったのかもしれない。
けれどもルカは、スコップを握った掌から力を抜くことをしなかった。セシルの目の前を通り過ぎて、作業場の土を踏みしめる。
「ごめんなさい、行けない」
「ルカさん!」
強情さと諦めの悪さは父譲りだ。人の諫言に耳を傾けようとしないところも。ルカはくすりと笑って、震え始めた手に力をこめ直す。
父はあのとき、確かに遺跡掘りだった。彼に見えていたのは土の向こうの遺産だけで、その先の財宝も、背に負っていたはずの娘のことさえ、頭にはなかったに違いない。
今日、このひと掻きの先にでも、夢を掘りあてることを信じていた。
ルカが瞳を輝かせて見つめていたのは、そんな父親だった。
「掘りあてたい。言葉でも思い出でもなくて、成果で自分を示したい。放り出したくないの。……ここでイシュドさんに会ったら、他でもない私自身が、これを遊びだったって認めることになるもの」
それだけは許してはならないのだ。ルカは呼吸を切り裂くようにスコップを振るって、土を背後へ払い飛ばした。聞き慣れたはずの掘削音も、夜空の下では降り積もるように響いていく。
堪えるような無言、遠ざかっていく足音を、作業の中に聞いていた。気化した汗は沁みるような冷気を呼び込んで、皮膚から体を凍てつかせる。
ルカはぶるりと身を震わせながら、夜に発掘をしたことはなかったなと頭の端で考える。ライトを灯すための電気代、次の日に持ち越される疲労、そこに父の事故の記憶が重なれば、夜の作業を避ける理由としては十分だった。
つん、と耳を叩くような冷気に襲われる。風はゆるやかに眠りについて、空を覆っていた土煙も静かに寝息を立てている。宝石をまき散らしたかのような夜空は、ぞっとするほどの寂しさに満ちていた。
嗚咽に変わりかけた呼気を、やっとのことで飲み下す。はずみで胸元を飛び出した紫石がさんざめくような光を放った。透明な輝きの中に自分の顔を見て、ルカはぎりと奥歯を噛む。
「……嫌」
これで終わり、と告げたセシルの声が、呪いのように耳を苛む。
鼻をすすって、ルカは大きく首を振った。しかし振り切るように突き立てたスコップに勢いは宿らない。縋りついたまま膝をついて、小さく身を震わせた。
「嫌、だ」
スコップの峰に爪を立て、立ち上がろうと力を込める。しかしわなつくだけわなついた膝は、ぐらりとかしいでルカを転ばせる。手を地面に落とした途端、体は鉛のように重くなり、指先の一本すら持ち上げることができなくなった。
とろり、と目蓋が溶ける。
黒に染まった土と目蓋の裏に、もう見分けはつかなくなっていた。