――大スクープですよ、旦那。
 そう写真をひらつかせる道化の顔に、信用があったわけではなかった。そもそも気をはやらせた報道が真実を伝えた試しはないのだ。見ず知らずの相手の言葉を真に受けるなど、愚の骨頂もいいところだった。
 だが、あまりにも時期が悪かった。ロイドはそう自省する。
 ホルムスの三男、つまりはロイドの弟が、なにも告げずに家を出てから半月と少し。送りつけた手紙への返事が届く様子もない。焦燥をはらみだしたロイドの胸中に、男はそっと火薬を落としていったのだ。
 写真は嘘をつかない、と思いこんでしまったのが昨晩のこと。灼熱照りつけるユ・タスの地に、数人の供を連れたホルムスの次期当主が降り立ったのはそういうわけだった。

「どういうことですか、これ」
 ルカの家に駆け込んだセシルの顔は、今にも卒倒しそうなほどに青ざめていた。
 少年の手に握られていたのは、くしゃくしゃに絞られた新聞紙だ。皺を伸ばし伸ばし記事に目を走らせたところで、ルカは呼吸を止めた。
 市の人波と、路傍に敷布を広げる露天商。彼らを背景に、青年と少女の姿が映っている。わずかに青年の背後に回った視点のおかげで、まるで口付けを交わしているかのような一枚が切り取られていた。
 頭が真っ白になった。ルカが辛うじて把握したのは、それが自分とイシュドの姿であるということだけだ。
「う、嘘ですよね。こんなの嘘だって、言ってくださいよ、ルカさん、ねえ!」
 高い声が耳をついて、ルカの思考を追いたてる。ふるふると頭を揺らして、ルカは眉を寄せた。
「……セシル、聞いて。あなたの思っているようなことは絶対にしていないわ。それだけは約束できる」
「だけって」
「心当たりがないわけじゃないの。それにしたって悪意が過ぎるけど」
 写真の側面には、ホルムス家の子息と遺跡掘りの熱愛を語る記事が綴られている。その配置こそ新聞の中ほどに留まっているが、読者が下世話な想像を働かせるには十分なだけの熱がこめられた文章だった。
 主題として置かれているのは、少女が肉体労働をしなければならないほどに蔓延したユ・タスの貧困。そして彼女らを食い物にする資本家の影だ。ルカは奥歯を噛みしめる。
 気をつけろ、と。
 警告した露天商の声が、耳元に蘇るようだった。
「新聞記者がうろつくようになったって聞いた。狙っていたんだわ」
 貧富の格差など、今になって取り上げるような問題ではないのだ。中央の人間が聞き流す類の、どこか遠くで上がった悲鳴でしかない。新聞に場所を得たこの記事すら、多くの識者は物騒だと呟きながら読み飛ばしていくのだろう。
 しかし記事が突き刺さる相手は、確かに存在するのだ。ご丁寧に実名を綴った文章に、立ち上がらざるを得なくなるような人間が。
 玄関先で物音がした。続いて轟いた怒号に、ルカは居間を飛び出していく。
「――お前は、自分が何をしたか分かっているのか!?」
 家の壁に震動が走る。突き飛ばされ、壁に叩きつけられたイシュドは、困惑も露わに相手を見つめていた。
 彼と相対しているのは、精悍な顔立ちの青年だった。触れれば硬そうな骨格に、服の外からでも見て取れる筋肉。イシュドとは体つきこそ対照的であったが、瞳の色、高い鼻筋を始めとして、顔のつくりには似通ったところが見受けられる。青年はルカの姿を見とめるとイシュドから顔を逸らした。
「ルカ・アマレット殿か」
 刺すような視線にうなずきを返す。青年は姿勢を正しルカに向き直った。
「ロイド・ホルムスという。イシュドの兄だ。愚弟が世話になっている」
「……いえ」
「ぶしつけで申し訳ないが、これは即刻故郷に連れ帰らせてもらう。加えて申し上げるが、あなたにも今後一切、イシュドとの関係を断っていただきたい」
「兄上、何を」
「お前は黙っていろ、ホルムスの恥さらしが」
 イシュドが言葉を飲む。ロイドは渋面でルカを見つめた。
「あなたも件の写真のことはすでにご存知のことと思う。こちらとしては、ホルムスの顔に泥を塗るような真似をしてほしくはないのだ。末弟が道楽で家を出たというだけでも、我々にとっては由々しき事態だというのに」
 道楽。その一言が飛礫となって、ルカの胸を容易くうち砕いていく。震える息を吐き出して、ようやっと口を開いた。
「あれがでっち上げだって言っても、ですか。事実無根の記事だとしても?」
「それは私が確かめることなのでな。行くぞ、イシュド。……セシルはどこだ!」
 大声に、ルカの背後に立ち尽くしていたセシルがびくりと身を震わせる。はい、ただいま、と答える声は、常よりも小さかった。
 ロイドに肩を掴まれて、イシュドは渋々身を起こす。しかし半歩を前に出したところで「待った」と兄を引き止めた。
「いくらなんでも到着が早すぎないか。家からここまで、早くとも一晩はかかる。新聞が当地に張りだされたのは今朝のことだぞ」
「親切な御仁が先だって報せてくれたのだ。新聞社に顔が効くと言ってな」
 ルカとイシュド、セシルが揃ってロイドを見上げる。三人の頭に浮かんだ顔は同じものだった。
「その御仁の名は?」
「ダグラス・フェラー殿だ。こちらで遺跡掘りをされているとのことだったな」
「……ダグラス・フェラー」
 太陽の光が、ふいに明度を落としたかのように思われた。イシュドの目はロイドを、そしてルカを順繰りに見やり、こらえるように一度つむられる。
 わかった、と低い声が答えるまでに、そう時間は置かれなかった。
「大人しく従おう。ただ、誓って言わせてもらうが、彼女が遺跡掘りとしての仕事をこなしてくれていたことだけは紛れもない真実だ。そのぶんの報酬は与えられなければならない。そうだろう」
 顔を跳ね上げたルカを、イシュドの一瞥が黙らせる。ロイドはふむとうなずいた。
「話は荷をまとめながら聞くとしようか。……では、アマレット殿。失礼する」
 折り目正しい一礼が、ルカの口出しを遮っていく。よぎるのは、目の前で受付のベルを鳴らされるのにも似た無力感だった。
 どうにもならないことは、いつだって慇懃な態度でルカを嘲笑っていく。小さな掌では掴みきれない望みを、目の前にちらつかせながら。握りしめた拳に力を込めて、ルカはロイドの背を睨んだ。
「遺物を、掘り起こしたら」
 声を震わせ、告げる。訝しげなロイドの瞳を射抜くように見つめていた。
「私が発掘の成果を上げたら、さっきの言葉は撤回してもらえますか。どんな誤解を受けたままでもいい、あなたの決断が変わらなくてもいい。それでも道楽だったなんて……イシュドさんがユ・タスに来たのが遊びだっただなんて、思ってほしくはないんです」
 ホルムスの誇りが剣にあったように、ルカの誇りは発掘にあった。
 どんなに希望が薄かったとしても、土を掘り返してきたのだ。過ぎ去った半月を、青年の夢の糧となるべく働き続けた日々を、笑われる覚えはない。
 拮抗する視線のあいだ、ひりつくような空気が流れる。あの、と声を上げたのはセシルだった。
「ロイドさま。ええと、ですね、大変お恥ずかしいことなのですが、実は借りた部屋がひどく散らかっていて。今から荷をまとめるにしても、一晩ほどは覚悟していただくことになるかと」
「……セシル。私はあれほど片付けを徹底しろと言ったはずだが」
「も、申し訳ございません」
 頭を下げる直前、セシルの目がちらりとルカに向けられる。
 理解した。残された期限は、引き延ばして一晩だということ。ルカははっきりとうなずいた。
「掘りあてます。あなた方がここを発つ前に、必ず。だから」
「無理を言うものではない、アマレット殿。空言は信用を落とすぞ」
 そう切り捨てて、ロイドは今度こそ踵を返す。断頭台の綱を断ち切るかのような足音を、ルカはしかし、静かな心地で聞いていた。
 同じことを考えていた、と自らを顧みる。一月の期間すら、この手には短すぎると思い込んでいた。それでも気付かされてしまったのだ――遺跡掘りはすぐそこにあるはずの遺物を、くり返し、何度でも、信じなければならないのだと。
 逡巡もいらない。ルカはくるりと身をひるがえす。手に馴染んだスコップを取り上げて、作業場へと駆け下りていった。