まるで家族だ、とため息をつく。熱を放ち続ける太陽は、ルカの疲弊を笑うようだった。
 意気揚々と地面を踏みつけるセシルも、出店の品ぞろえに興味津々のイシュドも、外出の供として連れるにはいささか頼りない。揃って腕の立つことを知ってはいても、手放しにすればいつどこへ去っていくとも知れない二人なのだった。
「目当ては野菜ですか、お肉ですか? それともパン? イシュドさまのお食事でもあることですし、今度こそ荷物は持たせてくださいね」
「そうは言ってもね。イシュドさんが増えたところで、この中で一番力がなさそうに見えるのがあなたであることに変わりはないのよ」
「子供の従僕なんて珍しくありません。誰も気にしませんよ、平気平気」
「だからって」
「おい、ルカ。あの紐はなんだ」
 反論しかけたルカの肩を、イシュドが指で叩く。にこやかに笑う商人の足元を流し見て、ルカはああと力なく声を上げた。
「ユ・タスの工芸品です、飾り紐。お腹の足しにならないので買ったりしないでください」
「あっちは」
「古代文明の文様を刻んだ首飾りですね。食べられませんよ」
「……お前、食えるか食えないかの判断しかしないのか」
「食事以外にお金を使ってどうするんですか」
 じろりとイシュドを睨み黙らせる。その間にもセシルが袖を引こうとするので、ルカの眉間には意図しない皺が寄った。
 家を出てからこちら、この状態が続いていた。食材の買い出しにとルカが発掘場を離れようとしたところ、腹をすかせた主従に運悪く呼びとめられたのだ。一度昼食を作ってやって以来、ルカが食事をふるまうことはすっかり恒例となってしまっている。この日の彼らの目的も胃袋の満足にあるようだった。
 ため息を外に漏らさないよう、ルカは唇を手で覆う。イシュドらの同行を断りきれなかったのは、先の発掘場への嫌がらせが後を引いていたからだ。ひとりで外を歩いているときに攫われようものなら、と、一抹の不安を抱いていたことは否定できなかった。
 ――それにしても。
 ルカはげっそりとした顔で、左右のふたりをそれぞれに睨む。
「どうしてふたりしてついてくるんですか。百歩譲って手伝ってもらうにしたって、ひとりで十分だったでしょう」
「だそうだが? セシル」
「イシュドさまに言っているんじゃないですか」
 ぱちんと火花が飛ぶのを見た気がした。ルカは続く攻防を視界から遮断して、買い物への集中を決め込む。普段の量の三倍近くを袋に詰めながら、一度ふたりをふり返った。大小の人影は通りの中央、立ち止まって動く気配はない。どうやら長引きそうだと判断して、ルカはこっそりと人ごみに紛れこんだ。
「嬢ちゃん、おい、そこの」
「……私?」
 呼びかけられた方向に、ルカは首をねじる。そこには敷布に売品を広げて笑う男の姿があった。ルカは彼をじっと見つめてようやく、一度見た顔だと思い出す。イシュドと初めて会った日の昼、言葉を交わした露天商だ。
「久しぶりね、おじさん。売れ行きはどう?」
「変わらねえさ、食いっぱぐれちゃいないだけましってなもんだ。あちらは嬢ちゃんの連れかい」
 異国の青年と少年が言い争う姿は、多少なりとも目を引くようだった。ルカは苦笑いを浮かべてうなずく。
「あいつらももぐらにゃ違いないんだろう、お遊び気分でユ・タスに来ていやがる。いい気なもんだ」
「……そうね。そうかもしれない」
 ルカの声は口の中にこもる。男がおやと眉を揺らした。
「歯切れが悪いな。どうした」
 なんでもないわ、とルカは小さく首を振ってみせた。露天商は鼻白んだ様子で首をかしげる。
「気でもあるのかねえ。ちいせえほうはまだ早いな、あんちゃんのほうか?」
「ち、違うわ。馬鹿言わないで」
「へえへえ。首を突っ込むつもりは毛頭ないが、せいぜい身の周りには気をつけてくんな」
 ルカはむくれた顔を元に戻しながら、「気をつける?」と尋ね返す。男は一度通りに目を走らせてから、わずかにルカに身を寄せた。
「ここ最近、新聞社の奴らがあちこち駆けずり回ってる。事件が起きた様子もねえってのに」
 露天商の言葉を裏付けるように、カメラを携えた青年が、市の通りを通っていく。彼は一瞬だけルカと目を合わせたが、歩調を緩めることなく去っていった。
「ユ・タスが物騒だってのは、俺も嬢ちゃんもよく知ってのとおりだろう。わざわざ取り立てる必要もないはずだ。だがあれだけ必死になってるのを見るとな……こんな言い方もしたくはねえが、まるであいつらが進んでことを起こそうとしているみてえだ」
「記者が人殺しや泥棒をするって? 冗談でしょう。そんなことをしたら、困るのは自分たちのほうじゃない」
「なにもそれだけが事件ってわけじゃないだろう」男は頭を掻き掻き言って、肩をすくめる。「ま、巻き込まれないように気をつけろってこったな」
「気をつけろ、って言ったって」
 気の張りようもない問題だ。文句をつけようとしたルカだが、露天商はすでに新たな客を引きこんでいる。ルカは彼の笑顔を見下ろして、からかわれたのかもしれない、と息をついた。
「おい」
 ふいに耳が引っ張られる。ルカは思わずひっと声を上げてから、知らぬ間に距離を寄せていたイシュドの存在に気がついた。
 掌を弾こうにも、両手は荷物でふさがってしまっている。耳がちぎれないようイシュドのあとを追うほかに、ルカにできることはなかった。
「い、痛いです、イシュドさん、離して」
「なにが、離して、だ。ひとりでふらふらとうろついておいて。ずいぶん探しまわったぞ」
「道端で立ち止まったそっちが悪いんでしょう!?」
「ほう」
 低い声がルカの耳を打ったと同時、急に体が自由になった。
 しかしほっと息をついたのもつかの間、イシュドはすかさずルカの両頬をつまみ上げる。痛い痛いとわめき立てるルカを、イシュドは氷のような眼差しで見下ろしていた。
「雇い主に雑言を吐くのはこの口か、うん? 謝罪はどうした」
「ああもう、ごめんなさい、謝ります! お願いですから離して下さい!」
「それでいい。用事が済んだなら帰るぞ。セシルは先に家に向かわせた、お前が最後だ」
「うう……」
 イシュドの手から解放されても、ルカの頬はひりついた痛みを発し続ける。紛らわせようと口をもごもご動かしながら、ルカは恨みをこめてイシュドをねめつけた。
「いくらなんでも横暴です。ご実家でもそんなふうだったんじゃないでしょうね」
「さあ、憶えがないな」
 イシュドは知らぬふりでそっぽを向く。図星かとルカは顔をしかめた。セシルの不遜さを見る限り、彼の唯我独尊も今に始まったことではないのだろう。
 しゃんと伸びた背を追って、ルカはとぼとぼと家路につく。イシュドの足取りに迷うところはなかった。日々ルカの家を訪れているうちに、道のりも覚えてしまったらしい。
 ルカは指折り数えて、期限まであと半月を残すばかりであることに気付く。いくらか迷った末、イシュドさん、と声をかけた。
 ふり向きもしない青年に、おずおずと問いかける。
「婚約のお相手って、どんな方なんですか」
 風がやんだかのような無言があった。
 立ち止まったイシュドの背中を、ルカはじっと見つめ続ける。そうしていなければ逃げ出してしまいそうだった。苛むような静寂のあと、はあ、と息をつく気配が伝わる。
「……セシルだな」
 顔だけでふり返ったイシュドに、ルカはこくりとうなずいてみせた。
「すみません。でも、聞いてしまったことを黙っていられなくて」
「いい、口封じをしたわけでもなし、どちらを責めるようなこともしない」
 そうだな、と顎に手をやって、イシュドはようやく踵を返した。
「あいつは家に待たせておくか。この際だ、ひとつ話を聞かせてやろう」