ダグラスはセシルを一瞥すると、はっと小馬鹿にするように笑う。
「雇い主のあんちゃんの姿が見えないな。あれだけの啖呵を切っておいて、まさか邦に帰ったわけじゃねえよなあ」
「……イシュドさんは」
ルカは思わず口ごもる。日にあてられて寝込んでいる、などと伝えようものなら、嘲笑を浴びる羽目になるのは明らかだ。
自分やセシルが呆れるのはまだしも、部外者であるダグラスにけなされるのは我慢がならない。家に残っています、忙しいそうだから、ともごもごと口にするのが精いっぱいだった。ダグラスは揶揄するように眉を上下させる。
「忙しい、ねえ? ……斡旋所で聞いたぜ、あいつはお貴族さまなんだってな。随分なお家柄だそうじゃねえか」
「ええ」
「それがわざわざユ・タスくんだりまで来て、有り金使ってギャンブルか。しかも賭けた馬はひよっこと来てる。負け戦に身を投じるってのはどんな気分なんだろうな」
ルカの唇が引きつる。まただ、と掌に爪を食いこませた。
宝の山を切り崩す場に立つダグラスは、どうあっても未熟な遺跡掘りを嘲らずにはいられないのだ。小さな発掘所に固執する知人の娘を――あるいは過去の自分の痕跡を、一刻も早く拭い去ってしまいたいのだろう。発掘物を横取りされたと横から騒ぎたてられるのを、厭うているに違いなかった。ダグラスはルカの沈黙に増長し、一段と声を張り上げる。
「あいつもかわいそうな奴だな。せっかくの金を、役立たずに投げ打つなんてよ」
セシルが顔を跳ね上げた。口を開いた彼を、ルカは寸前で引き止める。
「……ルカさん、」
縋るように、セシルがくしゃりと顔を歪めた。
優しい子だ、と思う。セシルがいきりたったのは、間接的にけなされた主のためばかりではない。自分の身さえ顧みることをしなかった遺跡掘りのため、侮辱を甘んじて受け続けた娘のために、彼は代わって腹を立てたのだ。
息を吹き返したかのように、ルカの心臓がどくりと音を立てた。詰まりきった血が、再び全身へと流れていく。
そうして考える。――思い返せば、この上もなく失礼なことだった。
力強い手に支えられた。泥濘に埋まった足が引き上げられた。土色に染まった視界に、ようやく朝の光が差したのだ。
掘り起こされたのはルカの方だった。それだけの優しさを受けておきながら、どうして自ら傷つき続けることができるだろう。
「かわいそうな人、にしないために、私がいます。私という遺跡掘りが」
深く吸い込んだ息は、ルカの声に力を与えた。ダグラスが瞳に険を宿す。
強く、自分に言い聞かせる。不遜に。傲慢なほどに。胸を張って。瞳を逸らさずに。頼りない胸に意志が宿るとすれば、それは頭に乗せられる掌の温もりを知っているからだ。
「自分を卑下するのにも、ため息をつくのにも疲れたから。だからもう十分。私はあの場所を掘り続けます」
「……はっ、四六時中土を見ていたせいで、とうとうとち狂ったか」
きつく眉を寄せたルカを、ダグラスが鼻で笑う。
「思い出せよルカ、俺たちは何年もあそこを掘り返していただろう? それで掘りだせたのがあの腕輪一つだったんだ。お前ひとりじゃもう見つかりっこねえよ」
「半分を掘って成果が出なかったことが、もう半分をあきらめる理由になりますか」
そのとき、ダグラスが初めて口をつぐんだ。
ルカは知っている。ダグラスが持ち得ているのは、ルカの未熟さを苛む言葉ばかりだった。心を折り取ってしまえば、もはやダグラスを責める遺跡掘りはいなくなる。それが彼の望みだ。
興味はない、とルカは首を振る。ダグラスが誰に褒めそやされようと、怨むつもりは毛頭ない。奪われていった報奨金を求めることも、ダグラスの居場所を羨むことも、もうする必要はなくなった。
ルカがすることはひとつだけ。
愚鈍でめくらなもぐらのように、一心に土を掘り続けることだけだ。
「私は遺跡掘りです。スコップを握っている限り、誰に恥じることもない。父にも、あの人にも、……あなたにも」
セシルの手を引いて、ダグラスの横を通り抜ける。凍りついたように立ちつくす彼の影は、あっけなく遠のいていった。雑踏はルカたちをユ・タスの街に取りこんで、なにごともなかったかのように流れ続ける。
ルカの呼吸は驚くほどに穏やかだった。終始息を詰めていたのはむしろセシルの方だ。しばらくしてから、音もなく吐息を漏らす。
「びっくりしました」
ぽろりとこぼして、セシルはようやく表情をやわらげた。
「また、我慢するのかなって。だったら僕がって。……勝手に、口を出すところでした。ごめんなさい」
「ううん、そうしようとしてくれたから勇気が出たの。あなたのおかげ」
ルカがダグラスに口答えをしたことは何度もあった。しかしどんなに文句をつけたところで、毎回無理を通されて言いくるめられるばかりだったのだ。
大きく伸びをすると、背中はこきりと音を立てた。うつむきながら歩いた日々を振り捨てるように、うん、とうなずいてみせる。
「もう少し頑張ってみるわ。期限の一月にはまだ時間があるし、やれるだけのことはしてみたいもの」
「イシュドさまのために、ですか?」
え、と尋ね返すと、セシルは面白がるようにほほ笑んでいる。ルカはぱちくりとまばたきをした。
「イシュドさんのため、っていうか。ほ、ほら、借金もあるし、まだ遺跡掘りをしていたいから」
「でも、さっきはそうおっしゃっていましたよね。あれは口から出任せですか?」
「出任せ、ってわけじゃないけど。その、ね、あまり深い意味は」
「歯切れが悪いですね。雇い主の発展を願うのは、働き手としてそんなに恥ずかしいことでしょうか」
「発展……?」
ルカはおうむ返しに呟いてから、はっと息を飲む。
勘違いをしていたのだ――それも、少年の目論みどおりに。気付けばセシルはにいと唇の端をつり上げている。すぐさま大声で叫んで誤魔化したい気持ちにかられたが、どうあがいても裏目に出るに違いなかった。ルカは舌に苦みを感じながら首を振る。
「……お願いセシル、今のは秘密にしておいて」
「はあい、了解です。そんなに心配しなくとも、あの方なら喜ばれると思いますけど」
「だから嫌なの。変に調子に乗らせたくないもの」
つい先ほどルカが似たことを口走ってしまったときも、イシュドは終始口元を緩ませていたのだった。これ以上いたたまれない気持ちにされるのはごめんだ、とルカは唇を噛む。
しかしセシルは考え事をするように空を見ている。ややあって、彼は力なく眉尻を下ろした。
「なににせよ。もしもルカさんがあの方のことをよく思って下さっているなら、余計に一月を無駄にするわけにはいきませんよ」
「そうね、お給料のぶんは働かないと」
セシルはゆっくりと首を振る。
「それだけじゃなくて……ねえ、ルカさん、一月なんていう期限は、決してイシュドさまの思いつきなんかじゃないんです」
ルカは疑問符を瞳に浮かべた。セシルは一度口を開閉させてから、意を決したように顔を上げる。
「一月後を期日にしているのはあなただけじゃない。イシュドさまにとっても、この一月は、ご自分の夢に許された最後の猶予なんですよ」