太陽は高い。降り続いた雨のあと、ユ・タスにはながい晴天が続いている。人の血さえもたちどころに乾かしてしまいそうな空の下、古物のスコップを握りしめたイシュドは、まるで模擬剣を与えられた子供のような目をしていた。
 ルカはそれを渋い顔で見つめる――娘を作業場に入れたがらなかった父の気持ちが、ようやく分かった気がした。意気揚々と作業場に下りてくる青年を、ルカもまたなにかにつけて伺わないではいられなかったのだ。
 許しが出ないかぎりは勝手に地面を掘らないこと、水分をこまめに取ることだけはきつく言い聞かせてはいたものの、それもどこまで守られるかさえわからないようなものだった。いつ何時貧血を起こして倒れるか、あるいは腰を痛めて動けなくなるかと気が気ではない。ルカは眉の皺に指で触れながら、なにかの弾みで口を出しそうになる自分をこらえる。
「侮るにもほどがあるぞ、ルカ。これでも俺は男だ。立派な大人でもある」
 その日の朝。考え直すよう訴えたルカに、イシュドはそう豪語したのだ。ルカは彼の勢いに引きずられるほかになく、結果、胃を痛めながら作業場に立つ羽目になっていた。
 がきん、と固い物音がした。イシュドのスコップの刃先が石を突いたのだ。ただでさえ鈍っていた作業の手を、ルカはついにぴたりと止めた。
「イシュドさん、やっぱりやめておきませんか。仕事の様子なら、上から見ていればいいでしょう?」
「なにを言う。俺が手を貸してやろうというんだぞ、ありがたく受け取っておけ」
「ありがたいというか……迷惑というか……」
 尻すぼみになるルカの呟きも、イシュドの耳には入らないらしかった。きらりと目を光らせる。
「さては俺に先に手柄を取られるのが恐ろしいのだな? 天賦の才など発揮されてはかなわんと考えたのだろう」
「はあ」
「お前の心配は分からんでもないが、なに、それも必要ないというものだ。掘り起こしたものはすべてお前にくれてやる。俺は寛大だからな。喜べ」
「……涙が出そうです。会話ってこんなに繋がらないんですね」
 はなから話を聞く気がないのだ。ルカは首を振り、イシュドの存在を視界の外へと追いやる。
 思えば雇われることが決まったときから、かの青年は人に口出しをさせなかったのだった。横暴だ、とルカは再び心に呟く。
 集中しようと土を掘り起こし、背中に放り投げる。くり返しスコップを振るうだけの作業は変わらない。ルカにとっての目的にも、イシュドにとっての手段にも、決して変化はないままだ。
 しかし肩は軽くなった。切っ先を押し返していた岩盤が、雨によって緩められたかのようだった。心臓はいつからか、弾むように脈を打つようになっていた。
「……ありがとうございます」
 ルカは早口で呟いて、掘削にそれを紛らわせる。やり場のないむずがゆさから逃れようと、一心にスコップを操っていた。
 しかし気付けば発掘所にはひとつの作業の音しか響かなくなっている。不審に思ったルカが手を止めた途端、しんと静まった空気に鼓膜を押された。
 呟きが気取られたのかもしれない。ルカは唾を飲み、おそるおそるふり返った。
「イシュドさん? ……って、ええっ」
 スコップを杖にして、地面に膝をつく青年の姿が目に飛び込んでくる。慌てて駆け寄ると、彼の体はふらりふらりと揺れていた。
「ああもう、だからやめておこうって言ったじゃないですか。ほら、早く日陰に」
「立ちくらみを起こしただけだ。心配ない」
「それが危ないんです、変な意地を張っていないで休んでください!」
 日にあてられたか、あるいは。理由は判じきれないが、照りつける太陽の下に放っておこうものなら症状は悪化するだけだ。その場にとどまろうとするイシュドの足もふらつくばかりで、抗う力もないようだった。
 ルカはイシュドの腕を負い、引きずるようにして家のベッドに運んでいく。イシュドはシーツの上に倒れ込むと、くぐもったうめき声を上げた。
「今日はゆっくり寝ていてください。ユ・タスの太陽を舐めるからこうなるんです、馬鹿」
「馬鹿とはなんだ……馬鹿とは」
「自信満々で作業場に入ってきた揚句、貧血起こして倒れたど素人ですよ。馬鹿と呼ばずにどう呼べっていうんですか」
「……倒れてはいない」
「立てなくなっているんじゃ一緒でしょう」
 弁明を切って捨て、ルカは時計を確認する。昼にさしかかろうというころであるが、悠々と食事を取っている暇はなさそうだった。主の傍にいるべきセシルも、イシュドをルカに預けて安心したのか、ひとりで買い物に出かけてしまっている。
「セシルが戻ってくるまで、作業はお休みですね」
 イシュドは無言で顔を背ける。いい薬だとため息をついて、ルカは水とタオルを運んでくる。終始はらはらと過ごしていた午前中のおかげで、精神は疲労しているものの、体は元気そのものだ。
 頭に濡れたタオルを乗せてやると、イシュドはまぶしそうに目を細めた。
「お前を侮っていたことは謝る。いくら遺跡掘りとはいえ、女子供であることには変わりないと考えていた」
「私も謝ります。大人の男の人なら、もしかしたら働けるのかもしれないって考えました」
 そもそも比較の対象が間違っていたのだ。どんなに似た体格の男であったとはいえ、イシュドと父親とでは生きてきた場所も境遇も違っている。加え常日頃発掘に精を出していた父は、自分の限界もよくよく理解していた。体に無理を強いてへたり込むようなことはしなかっただろう。
 イシュドが沈黙するので、ルカはささやかな罪悪感を覚える。腕を組んで、ゆるゆると息をついた。
「これは私の仕事です。イシュドさんが身を張る必要はありません。遺跡掘りだって、あなたがたがこんなことにならないように斡旋されているんですから」
 資本を持つ人間に、相応の労働力を。ユ・タスの発掘作業はそうして進められてきた。遺跡掘りの発掘現場に雇用者が飛び込んでくるなど前代未聞だ。ルカはひとつ間を置いて、イシュドから目を逸らした。
「それとも、私は頼りなかったですか?」
「違う」
 一分の迷いもなかった。
 大きなてのひらに頭をなでられたかのようで、ルカは唇を引き結ぶ。――十分だ、と思った。雇用者に忌憚のない信頼を受けられたなら、それ以上に望むことはない。
「だったら、私に任せておいてください。遺物はちゃんと掘りだしてみせますから」
 言いきるや否や、はは、と乾いた笑い声を聞く。イシュドは自分の目を片手で覆って、小刻みに肩を震わせていた。
「借金を返さねばならないからな。お前にとっては死活問題か」
「……それもありますけど」
 玄関口に足音が立った。セシルが戻ってきたのだろう、とルカは背後に目を向ける。扉に手をかけて、ちらりとイシュドをふり返った。
「それより、あなたに報いたいじゃないですか。期待をかけてくれたぶんを返したいって。……なんですか、柄にもないってことぐらい分かってますよ。それでも嬉しかったんですから、仕方がないでしょう」
 言い繕うたびに墓穴を掘っているような気がしてならなかった。ルカは眉間にしわを作る。
 見れば、イシュドは大きく口を開いてルカを見上げていた。すぐに二度三度、とまばたきをして、ようやく我に返ったらしい。わざとらしく咳払いをしてみせた。
「あ、ああ、そうだな。うむ。その通りだ。しっかり励めよ」イシュドは挙動不審げにちらちらと視線をさまよわせ、ふたたびルカに目を止める。「……ところで、今のをもう一度言ってみる気はないか」
「絶対に言いません。調子に乗らないで」
 言い捨てて、音を立てて扉を閉じる。少年に頬の赤さを指摘されるそのときまで、ルカは懸命にむくれた顔を取り繕っていた。