吹きつけた風に、窓はかたかたと震えている。八年前の夏の日にも、ルカは同じようにして震える窓を見つめていた。
「その夜も、お父さんはお友達と一緒に、遅くまで発掘をしていました。現場は今よりずっと深くて、大きな穴で。私はいつもみたいに、作業が終わるのを待っていたんです。そうしたら突然、作業場で大声が聞こえて」
 かじりつくようにして作業場を眺めていたルカの耳に、家ごと震わせるような歓声が届いたのだ。それはまるで鬨の声のようで、幼いルカを跳びあがらせたのだった。
「見つかったのは古王朝の腕輪で、それひとつで莫大な報奨金が下りるほどの価値があるものだったって、後で知りました。お父さんたちは腕輪を掘り起こすのに必死で、地震の前触れに気付かなかった」
 小さな揺れは、後の本揺れを報せるものだ。落盤事故は遺跡掘りが最も忌避するもので、その危険性をルカもよくよく心得ていた。窓の前で立ちつくしたまま、男たちが穴から逃げだしてくるのを待っていたのだ。
 地震はすぐにユ・タスの全域を襲った。十年に一度も起こらないほどの揺れだった、と、後日街の新聞社が伝えたのをルカはよく憶えている。
「ダグラスさんたちが出てくるのを見ました。押し合いになりながら、腕輪を抱えて。でもお父さんだけが助からなかった。……家に、帰ってこなかった」
 一晩中、待った。
 父親は命からがら作業場を抜けだして、疲れ果てて座り込んでいるだけなのだと信じていた。やがて庭先の明かりが消え、ぞっとするほどの冷気が家に訪れても、ルカは一睡もせずに父の帰りを待っていたのだ。
「次の日、ダグラスさんが家に来ました。小袋いっぱいにお金を詰めて、私に投げてよこしたんです。昨日掘りだした報奨金の、お父さんのぶんの分け前だって」
 ルカは自嘲するように笑う。ゆるゆると首を振った。
「まだ子供だったから、なにも疑わなかった。でも、あとになって斡旋所に確かめたら、あそこで発掘をしていた人たちの等分にも足りない額でした」
「その金でほかの発掘所に移っていったのか、あの男は」
「……はい」
 うなずいて、唇を噛んだ。
 発掘での怪我は自己責任だ。他人を責め立てることもできない。あっけなく訪れた父の死を前に、ルカは墓を立てることさえ考えられなかった。
「私は父子家庭でしたし、もともと貧乏でしたから、仕事を探さなくちゃいけなくなりました。……本当は遺跡掘りでなくてもよかったんです、靴磨きでも何でも、自分ひとりが生きていけるなら。でも、お父さんたちの作業場が、国定の発掘所にされるって聞いて」
 ダグラスの受け渡した腕輪に、高値がついたことがきっかけだ。国はルカの家の庭先を三十一区発掘所と名付け、相応の土地代を支払って買い上げていったのだ。
 子供ひとりの訴えは誰にも聞き入れられなかった。毎日幾人もの人間が訪れては、土地を調査し、そこに値段をつけていった。斡旋所に張りだされた写真を、ルカはただ呆然と眺めていたものだった。
「あそこにはお父さんがいます。ほかの誰にも荒らされたくなかった」
「遺跡掘りになったのはそのためか」
「はい。私が発掘権を買ってしまえば、誰もここには出入りできないでしょう?」
 肺の中の空気を吐ききって、ルカは目蓋を下ろす。
 まなうらに思い描くのは、細面で笑う男の顔だった。スコップを握るには頼りない体で、父親は夢を掘っていたのだ。
 ルカは指を組み合わせる。ざらりとした感触を、まだ指先が憶えている。泥の中でようやく触れた頭蓋は父親のそれに違いなかった。
「おかえりなさいって、言いたかったんです」
 もう叶わなくなってしまったけれど。
 添えて、首を振る。作業場は土に埋もれてしまっているだろう。雨と地震の影響で、地に打ち付けた杭も倒れてしまっているはずだ。
 漂った無言に、ルカは居心地を悪くする。恥じ入るように作り笑いを浮かべた。
「遺跡掘りだなんて言ってすみませんでした。私には初めから、遺物を掘りだすつもりなんてなかったのに」
 イシュドの瞳は一心にルカを見つめていた。父親も同じ目をしていたのだろう、とルカは思う。夢を追う人は、磨かれた鉄のように鋭い光を抱いている。その光が、ルカの目にはまぶしかった。
「私を解雇して下さい。イシュドさんには目的があって、異物を掘りださなきゃいけないんです。やる気のない遺跡掘りなんか雇っていたって意味はないでしょう。迷惑がかかるだけですから」
 胸を侵食する闇に、ルカは歯を食いしばって耐えていた。――もう、諦めなければならないのだ。いつまでも執着していたところで、自分の胸のうちしか救われない。そのことにはもう気付いていたというのに。
 涸れたはずの涙が浮かびあがろうとする。ルカは両手で目を覆った。どうしようもない泣き虫を、懸命に飲み下す。
「馬鹿を言うな」
 イシュドが言い放ったのは、その直後だった。
 ぽっかりと口を開いたルカに、イシュドはふんと鼻を鳴らす。
「申し出は却下だ、さっきから聞いていれば、辞めるだの何だのと。いいかルカ、俺は正統な契約のもとでお前を買ったんだ。みすみす手放しはしないし、今後そうするつもりもない」
「お……横暴です!」嗚咽が混じるのをこらえて、ルカは叫ぶ。「解雇を認めないなんて、それのどこが正統な契約ですか! こっちは辞めるって言ってるんですよ、却下するっていうならそれらしい理由を――」
「辞任の言い訳が気に入らん」
「はあ!?」
 声を裏返して叫んだルカの、手首が掴んで持ち上げられる。その拍子にぼろりと涙が落ちた。
「お前が発掘をやめたいというなら俺は何も言わん、好きにしろ。だがお前はいま何と言った? 俺に迷惑がかかる? 言わせてもらうがな、ルカ・アマレット。俺はまだ、一度としてお前に落胆させられたことはないぞ」
「でも、私は嘘をついていて――」
「それがどうした。求めるものが遺物であれ骨であれ、お前のすることは変わらんだろう」
 放り捨てられたルカの手が、ふらりと膝の上に落ちる。呆けて顔を上げるだけのルカに、イシュドは尊大に胸を張ってみせた。
「そも、労働者が心おきなく働けるようにするのは、雇用者である俺の務めだ。俺の顔色を伺って仕事ができないというのでは本末転倒だろう。お前はそこにある発掘場を、今まで通りに掘ればいい。腕は俺が保障している。それももう嫌になったか」
 ルカはぶんぶんと首を振る。「うん?」と尋ね返すイシュドに、顔を上げて言った。
「嫌、じゃないです。掘りたい。まだ、掘っていたい……」
「よし」
 力強くうなずき、イシュドは椅子を蹴って立ち上がる。部屋にまどろんでいた埃が舞い立ち、窓からの光を受けてきらめいた。イシュドは薄明かりの中でぴんと背を伸ばす。
「ならば今日からでも作業は再開だ。遅れた分を取り戻さなければならん。俺もいつまでも待ってはいられないな、少し働いてみることとしようか」
 言って、ぐい、と腕の筋を引き延ばす。シャツの袖から覗いた腕には、しなやかな筋肉がついていた。ユ・タスを訪れた日に佩びていた剣も飾りではなかったのだろう、とルカは記憶を辿って考える。
 しかし、それとこれとは話が別だ。ルカの眉間にしわが寄る。
「待って下さい、働く? イシュドさんが? どこで」
「ここで、だ。他にあるまい」
 どっと膨れ上がった嫌な予感に、ルカの顔がこわばっていく。お構いなしににいと笑って、イシュドは腰に手をやった。
「労働環境を知らねば改善のしようもない。ならば、まず体験してみないことにはな」