言葉を失った。イシュドはルカの呆然も無視して、荷から文書を掴み上げる。
「権利書だ。このとおり印も捺されている。三十一区発掘所の発掘権は、正式に俺に委譲されたということだな」
「そんな……だって」
「だっても何もない。本来なら数日前から俺のものだった土地に、勝手に住み着いているのはそっちの方だ。斡旋所にも大層迷惑をかけていたそうだな?」
 冷たい風が吹く。ルカは反論することもできないまま、地面に目を落としていった。
 突如足元に大穴が空いて、大地もろともに崩れ落ちていくようだった。似た感覚をルカは知っている。忘れもしない八年前の夏の日、父親が命を落としたときと同じだ。父子家庭であったルカが、今度こそひとりで家に取り残されたことを知ったときの、あの、足場を失うような虚無感と。
「困り、ます」
 奇しくも先のセシルと同じ言葉を口に出して、ルカは縋るようにイシュドを見上げる。
「ここから追い出されたら、ほかに行き場なんてないんです。私には親戚もいなくて」
「そうか」
 イシュドの返答はにべもない。ルカは唇の内側を噛みしめた。
「手つかずの発掘所なら他にもたくさんあるでしょう。もっといい条件の場所も。ここからはほとんどなにも掘りだせませんし、他の場所でも……私にはここしか、なくて」
 悪あがきだということは分かっていても、ほかに取り得る策もない。ルカの声はあっけなく震えだす。地面を踏みしめる足裏には、懸命に力を込めていた。
「考え直してもらえませんか。今からでも、なんとか」
 イシュドはルカを検分するように目を動かす。ルカはつと目を逸らし、身を縮めた。皮膚を刺すほどの沈黙があって、イシュドがようやく口を開く。
「なにも掘りだせないことが分かっているなら、お前こそどうしてここにこだわっている? 遺跡掘りなら遺物を掘り起こすのが仕事だろう」
「それは……」
 口ごもったルカに、イシュドは鼻を鳴らした。
「言えないのか。相応の理由があるのか、それとも自分の技術を過小評価しているのかは知らんが、人にものを頼むならもっと方法と態度を考えることだな」
 言うだけ言って、イシュドは踵を返す。セシルはわずかに気の毒げな視線をルカへと投げたものの、主を説得するほどの意思は見せなかった。
 砂粒を蹴飛ばし、青年たちは歩き去る――ルカのすべてを取り上げて。
 突き動かされるようにして、ルカはイシュドの服の裾を握っていた。胡乱げにふり返った彼に頭を下げる。
「お願いします。下働きでも何でもします、だからまだ、この発掘所は取り上げないでください。……私に、ここを掘らせてください」
 礼服の手触りは滑らかだった。住む場所の違う人間なのだろう、とルカは考える。ここで手放してしまえば、もう話しかけることも叶わない相手だ。
 だからこそ、引き下がるわけにはいかなかった。ルカはぐっと歯を食いしばる。
 肺の中身が尽きるのではないかというほどの、長いため息の気配があった。ルカの腕はすぐにたやすく振りほどかれる。歯を食いしばって顔を上げた先で、青年はあきれ果てたように首をかしげていた。
「お前もしつこいな。これではまるで俺が悪人のようじゃないか」
「お金の力で女の人を追い出すのは、じゅうぶん悪人のすることだと思いますけど」
「うるさいぞセシル。使えるものを使って何が悪い」
 一切の躊躇もなく言いきって、しかしイシュドはふうむと考え込むそぶりを見せる。
「とはいえ俺も一応、案内の恩を受けた身だ。婦女子を路頭に迷わせるのも気が引ける。かといって土地を返してやる義理はない……」イシュドはしばらくうなり、眉を寄せた。「おい、そこの。ルカといったな。遺跡掘りということだが、腕はあるのか」
 え、と呆けた声を上げてしまう。ルカははっと首を縦に振った。
「あ、あります! 資格もちゃんと」
「それなら提案だ。俺はお前を労働者として雇用し、ここの発掘を任せよう。作業の方法も行程もお前に一任し、不備のないよう取り計らう。……わかるな、斡旋所に対するお前の借金を、すべて俺が肩代わりする形だ。賃金はお前に渡すが、一部は借金返済のために計上させてもらう」
「え、ええと……」
 イシュドが一度言葉を切る。ルカは必死に話の内容を咀嚼してから顔を上げた。
「もしも、の話ですけど。掘り起こした発掘品への報奨金はどんな扱いを受けるんですか」
 遺跡掘りの発掘は公的な事業の一環だ。発掘品はひとつ残らず斡旋所に集められ、公国中央の国立研究院へと送られていく。斡旋所での鑑定、さらに研究の結果によって、発掘品の献上者には相応の報奨金が支払われる仕組みになっていた。
 イシュドはルカの疑問にうなずいて、自分の胸に手をやる。
「発掘権は一貫して俺のもとにある。発掘の成果も当然俺のものだ、……としたいところだが、それでは借金が減らない。特別にお前の借金の返済に全額あてさせてやる、励めよ」
「……それって、私だけが有利な条件じゃありませんか?」
 少し考えてから、ルカは険しい顔で尋ねやる。賃金の高低を脇にやったとしても、依然ルカが優遇されていることには変わらないのだった。
 今後のイシュドの背中には、土地の発掘権を維持するための月々の納付金に、ルカの借金を重ねたぶんの負担がかかることになる。しかしルカはといえば、賃金と報奨金によって自身の借金を返すことばかりに集中することができるうえ、それまで滞納してすらいた納付金を支払う必要がなくなるのだ。金銭の流れを頭の中に描いたルカに、イシュドは満足げに笑みを浮かべた。
「もちろん条件をつけるつもりだ。それが満たされない場合、お前を解雇してほかの人間を雇うことにする。当然借金を返すまでは、その後も別の方法で働いてもらうがな。言っておくが、斡旋所の良心的な取り立てとは違うぞ。より過酷な労働を課すつもりだ」
 ルカは唾を呑む。一連の説明をする間、イシュドの表情はちらとも変わらなかった。やると言ったからにはやるのだろう、と確信して、おそるおそる問いかけた。
「その、条件っていうのは」
「今後一月で結果を出せ。一日たりとも譲歩はしない」
「ひっ、一月!?」
 唐辛子を喉に放りこまれたような驚きに、ルカは絶句する。ぱくぱくと口を開閉させ、直後大きく首を振った。
「できないに決まってるじゃないですか! 私が今の今まで、どれだけここを掘ってきたと思って……!」
「俺はあくまで結果を出せと言っただけだ。価値の大小にはこだわっていないし、それで借金を返しきれと言ったわけでもない。決して無理難題じゃないはずだ。……そもそも、明日明後日にでも掘りだせると考えているから、ここの発掘を続けているんじゃないのか? 斡旋所でそんな話をしていただろう」
 ルカはぐっと言葉に詰まる。とぼけたふりをして道を尋ねておきながら、イシュドはルカと受付嬢との口論をしっかりと聞いていたのだ。あと数日でいいからと机を叩いたことも、それがすげなく切り捨てられたことも。
「提案とは言ったが、お前にこの話を拒む権利はないんだ。三十一区発掘所を手放すつもりはないんだろう?」
 なよやかな風がやみ、砂粒が地面に落ちていった。晴れ渡り始めたルカの視界の端で、太陽は容赦なく大地を照りつけている。
 白光りする陽光の柱を見上げ、イシュドはそれまでのいつよりも爽やかに笑ってみせた。
「今日はいい天気だな。素晴らしい発掘日和だ」
 ――さあ、働け。
 かあん、と金槌で頭を殴られるような思いで、ルカはその宣告を聞いていた。