「最――っ低!」
 地に立つスコップに、ぐいと足を振り下ろす。付け根までを土に埋めたところで、てこの要領で掘り起こした。ざっくりと削れた土を後方へ放り捨て、再び大地にスコップを埋め込んでいく。
 地面にぽっかりと空いた発掘場の穴は、実際には直角の扇形をかたどっている。平面にあたる部分の地表には、杭と紐で印づけが為されていた。断面図を適宜記録しつつの掘削作業が続くため、遺構を掘る人間には相応の技術が求められる。遺跡掘りが専門職とされるゆえんだ。
 湿った赤土は粘度を帯びて、ルカの腕と脚に疲労を溜めていく。しかし疲れもなんのその、ルカは怒り任せにスコップを振るっていた。イシュドに感謝できることと言えば、作業への気合の入りようが段違いになったということぐらいなのだった。
「なあっにが、『励めよ』、よ! もやしみたいな顔して、人には無理難題押し付けてくれちゃって……!」
 イシュドが肉体労働を知らないのであろうことは、必要最低限にしか筋肉のない腕を見れば一目瞭然だ。ユ・タスの太陽のもとでは、数時間も立っていれば倒れそうなものだった。その首に乗った嫌味な笑顔を思い出して、ルカはきいいと声を上げる。
「こちとら、何年も、ここを、掘ってんの、よ! 一ヶ月で結果が出るなら、最初から、そうしているって、言うの、に……ああもうっ、腹が立つ!」
 スコップも放り出してしまいたくなるというものだった。願わくば、イシュドの頭を思い切り殴りつけてやりたい。ぎりぎりと歯を食いしばるルカに、穴の上のセシルは苦笑を浮かべていた。
 主人は観光にとユ・タスの街に出ている。セシルは監督として取り残されていたのだが、仕事を休んだことのないルカにとってはそれも無用だった。少年は穴の淵に腰かけて、ぱたぱたと両足を揺らしている。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
「謝られても困るわ、待遇が変わるわけでもなし……イシュドさんに取りなしてくれるっていうの?」
「それはちょっと」
「でしょうね」
 したたる汗をタオルで拭い、スコップを握り直す。土を掘り返し、山積みのそれを別の場所に払い、記録を取っては土を掘る。途方もない発掘作業が、ルカが遺跡掘りになってからこちら、毎日のように続いていた。
「遺物を掘り返すのって、そんなに難しいんですか」
 もぞりと体を動かして、セシルが問う。ルカは肩をすくめた。
「場所と人手によりけりね。遺構っていうのは、つまり大昔の人が住んでいた跡でしょう? 宮殿、お城、街の中心にあたる発掘場には、きっとたくさんの発掘品が埋まっているし、発見も珍しくはないでしょうけど」
 一度言葉を切り、掘ったばかりの穴を指差す。
「こんな街外れに、人の痕跡なんかあるはずもない。だから見つかるわけがないのよ」
「でも、ここは公認の発掘場に指定されていますよね? 土地が発掘場として認められるのは、そこで一度でも遺物が見つかったときだ、ってイシュドさまが言ってました」
「昔の話よ。七年も八年もね」
 ルカはスコップを蹴り入れる。力を込めたつもりが、切っ先は中ほどまでしか地面に埋まらなかった。
 はあ、と吐き出した息は重い。
「ここはもともとうちの敷地だったの。正確には、お父さんとお母さんの敷地ね。お父さんは遺跡掘りにあこがれていて、友達と一緒にずっと庭先を掘り返していた。資格を取るにも、どこかの発掘権を手に入れるにも、お金がかかるし……そんな大金は家にはなかったから」
 素人のまねごとだった。青年たちの情熱はルカが産まれてからも続き、大の大人が穴掘りに精を出すさまを、けれども少女はきらきらとした瞳で見つめていたものだった。
 ルカに物心がついたころ、母親は性質の悪い風邪で命を落とした。妻の死がきっかけとなったのか、父親はより熱心に発掘を行うようになった。母の代わりに家事をこなし、毎晩へとへとになった父を迎えに出るのが、幼いルカの役割だった。
「何年も続けていれば実を結ぶものね。お父さんたちはやっと古い腕輪を掘りだしたの。それが斡旋所に認められたから、この場所はめでたく三十一区発掘所として認定されたってわけ。私は報奨金で遺跡掘りの資格を取って、お父さんからここの発掘権を受け継いで」
「……今に至る、ってことですか」
 セシルは唇を引き締めてルカの話を聞いていた。小さな拳がきつく握りしめられているのを見て、ルカは笑う。
「そんなに真剣に聞かなくていいのよ。今はからっきし、ってだけの話なんだから」
 父親の発掘は、奇跡のようなものだったのだ。ルカがどんなに同じ場所を掘り続けても、壺の破片の一つも見つかりはしなかった。
 ひらひらと掌を振って、ルカは再び作業に戻る。
「じゃあ、ルカさんは、なんでひとりでここを掘っているんですか」
 スコップを操る腕は、そこに至ってぴたりと止まった。
 セシルの足が穴の壁面を叩く音も、いつからか止んでしまっている。背中に刃を押しあてられたかのような思いで、ルカは身を凍らせていた。
「お父さんは亡くなったって聞きました。でも、お仲間はまだユ・タスにいらっしゃるんじゃないんですか? ルカさんがひとりでここを掘らなきゃいけないのはどうしてなんですか」
 セシルにとってみれば、無邪気な問いかけの延長線であったのだろう。ルカは口をつぐんで答えない。
 漂う無言に、影を落とす第三者があった。ざり、と土を踏んだ足音が、ふたりの視線を引く。
「愛想を尽かされたからだって、言ってやったらどうだ、お嬢ちゃん」
 作業服で身を覆った男が、穴の上から少女を見下ろしていた。ぼさぼさの髪は伸び放題で、無精ひげにも手は入っていない。浅黒い肌は土にまみれていた。しかし首元には金鎖のネックレスがかけられており、手の指にはいかつい指輪がいくつも嵌っている。ルカは男を見上げ、苦い唾を飲んだ。
「ダグラスさん……何かご用ですか」
「ご用ですかとはご挨拶だな。昔のよしみで様子を見に来てやったっていうのに」
「愛想を尽かしたって、ご自分で言ったばかりでしょう」
 ルカの声は意図しないうちにこわばった。セシルがひょこりと穴のなかに飛び降り、少女の横に並ぶ。
「あちらは?」
「ダグラス・フェラーさん。お父さんのお友達」
「元、発掘仲間だ。今は別の現場で働いているけどな。あそこはいいところだぜ? 人出も出土品も多いし、なにより信頼できる監督がいる。お前んとこの親父がずぶの素人だったってこともよくわかった」
「……報奨金を横取りしておいて、何が素人ですか。図々しい」
 日差しを薄雲が覆い、赤土にむらのある影を散らしていった。ダグラスが眉を跳ね上げる。
「あいつは資格もない素人で、俺たちはれっきとした遺跡掘りだった。取り分は多くて当然だろうが、ええ? お前の親父にもちゃんと分け前をやったんだ、感謝されこそすれ、責められるいわれはないな」
 ぎち、とルカの奥歯が音を立てる。ダグラスは勝ち誇った顔で歯を剥いた。
「斡旋所から退去願が出されているんだってな、早いところ出ていったらどうだ。あの腕輪が最後の出がらしさ、ここにはもう何もない。あったとしてもお前じゃ見つからねえよ。遺跡掘りは甘ったれた女のがき一人に務まる仕事じゃ――」
「聞き捨てならないな。誰が遺跡掘りにふさわしくないと?」
 割り込んだのは、ダグラスの背に歩み寄っていたイシュドだ。ダグラスがぎょっと肩を震わせるのを、不遜な眼差しで見つめていた。
 どうやら買い物を終えた帰りであるらしい。青年の片手には紙袋が提げられていた。汚れ一つないシャツ、サスペンダーで吊ったズボンはまだ新しいもので、どちらも質のいい生地で作られた逸品だ。ぴんと立った襟は、イシュドの自信をまま表わしているかのようだった。
「なんだ、あんた」
「この土地の発掘権を買った人間だ。それの雇用者をしている」
「雇用? あんたがあいつを雇ったっていうのか」
「その通りだ。なにか問題でも」
 体格には熊と狼ほどの差があった。しかしぶれのない傲岸が、イシュドに確かな威圧感を生む。ダグラスは一度呑まれかけたことをごまかすように、地面に唾を吐き捨てた。
「後悔するぜ。無駄金を使ったってな」
「俺は自分の目を疑ったことはない。金の関わることならなおさらだ。それでも彼女を愚弄するなら、俺への挑戦と受け取るが?」
 息の詰まるほどの緊張の末、ダグラスは舌打ちをして立ち去っていく。ルカの横では、んべえ、とセシルが舌を突き出していた。すぐにだむだむと土を踏んで、頬を膨らませる。
「なんですか、なんなんですかあれ! 嫌な感じ! ルカさんも言い返せばいいのに!」
「そうしたいのは山々だけど。……半分以上は事実なのよね」
 資格のない父親と、遺跡掘りの友人たち。発掘を推し進められたのはほとんどが仲間の助力によるのもので、父親は友人を結束するだけの存在だった。
 ルカは自分の腕に手をやる。同年代の少女に比べれば太い腕も、成人男性のものには叶わない。同様に女性の遺跡掘りが少ないのは、体力仕事が発掘の大半を占めることに起因する。事実、ダグラスらが三十一区発掘所を離れてからというもの、作業の効率は著しく低下していたのだ。
 ルカを見下ろし、イシュドが唇の端を下げる。
「お前が落ち込むのは勝手だが、少なくとも発掘者としては、俺の下にいるという自覚を持ってもらいたいものだな」
 理解が追いつかず、ルカは目を眇める。イシュドは自分の胸元を叩いた。
「お前を雇うことにしたのはこの俺なんだ。この審美眼が偽りであったとは思わん。顔に泥を塗るような真似をしてくれるな、と言っている」
「横から土地をかっさらったんでしょう。審美眼が聞いてあきれますよ」
「ほお、言ってくれるな」
 イシュドはその場にしゃがこみ、除きこむようにしてルカを見た。紙袋を抱えたままであっても姿勢は曲がらず、器用に平衡が保たれている。青年の口元はにいと歪んだ。
「その口ぶりなら、自分がこき使われる立場であることは分かっているんだな? ちょうどよかった、俺は至極腹が減っている。そろそろ夕どきだからな」
「だからなんですか」
「察しが悪いな、飯を作れと言っているんだ。俺とセシルのぶんを」
「なんで私が」
 ちっちっち、とイシュドは舌を鳴らし、わずかにあごを持ち上げた。
「さっきの今で、自分が言ったことを忘れた訳ではあるまい。下働きでも何でもすると言ったろう」
「まったく関係ないでしょう! 私は遺跡掘りとして雇われたはずで、」
「人件費として借金返済に計上してやってもいいぞ」
「うっ」
「一月で結果が出るにしろ出ないにしろ、少しでも金を返しておいた方がいいんじゃないか? 恩を売っておくのも悪くない選択だとは思うがな」
 ルカが口を止めるのを、イシュドはにやついたまま眺める。セシルはそっぽを向いてため息をついていた。
「それに、食材の費用は俺が出してやる。自分のぶんを作るのも自由にしろ。ほら」
 投げ渡されたのはみずみずしい林檎だった。久しく果実を口にしていないルカの目に、赤い皮は燦然と光を照り返す。ルカはぷるぷると身を震わせた。
「私は私の好きなようにしか作りませんから。高級料理なんか作れませんし、イシュドさんの舌にあわなくても、一切責任を負いませんよ」
「構わん」
「っ、好き嫌いは聞きませんからね!」
「あ……ル、ルカさん、食材!」
 後悔させてやる、と家の中に飛び込んでいったルカを、数秒遅れてセシルが追いかけていった。
 従者の手に紙袋を預けたきり、イシュドはぽつりと取り残されることになる。くつくつと笑って、手元の林檎にかじり付いた。