式典当日、見物人の少ない町並みを、アネットは特務課の職務室から見下ろしていた。
室内は厳かだ。警官たちが無言で待機し、張り詰めた空気を漂わせている。その中に姿が見えないのは、レナードやナタリーといった課の精鋭たちばかりだった。
眼下の中央広場では、紺色の軍服をまとった集団があちこちに待機している。特務課の面々も同じ衣服に包まれているはずと睨んでアネットは一度目をこらしたが、砂粒のようにしか認識できない顔の判別までは不可能だった。
「楽しい?」
「全然」
呆れた声を上げて隣に並んだウィゼルに、声を落として返す。窓際に佇む子供二人には、先ほどから痛いほどの視線が突き刺さっていた。
「でも、レナードさんがここにいろって言うなら、動くわけにもいかないし」
「まあね」
揃って外に顔をやれば、調子の外れたファンファーレがこだまする。
ラッセルやレナードらがやっとのことで無理を押し通し、警備部隊として割り込んだのは、国王が行う市街地行進の護衛だった。町中を一周するルートのあちこちには、やはりまんべんなく軍人の影がある。その光景に異様な雰囲気を感じ取ったのか、町人たちは家の中からその様子を伺っているようだった。
「戦争でも始めようって雰囲気じゃないか。ここは軍事拠点か何か?」
「冗談にならないよ、ウィズ」
「分かって言ってるんだよ」
神経を尖らせているのはアネットもウィゼルも同じことだ。ウォルターによる襲撃が予測されるともなれば、そこに微かな苛立ちが混じるのも当然だった。沈みきった職務室を一瞥し、アネットは目を眇める。
「……来ると思う?」
「まあ、奴本人は来ないだろうね。いくら王様が出てくるからって、わざわざこんな針のむしろに」
まともな神経なら。一言付け足して、ウィゼルはからかうように首を傾けた。
即位一周年を記念する式典に、国賓の影は無い。それを先日の襲撃を省みた王室の配慮であるとする意見の一方で、この式典の挙行意義を疑問視する声が上がるのも当然だった。粛々と形式的に執り行われるばかりの儀礼には先例がないという。
「罠、だって。聞いたけど」
張り巡らされた防御網と通信路を見下ろして、アネットはぽつりと呟く。ウィゼルの生返事がそれに続いた。言葉を交わす二人をよそに、ついに国王を乗せた馬が蹄を掲げる。
ふんだんに金糸が織り込まれた王衣は目に眩しく、首に腕にと吊り下げられた装飾品の上では色とりどりの宝石がきらめいた。その周囲に二重三重と並ぶのは、慣例に習いユークシア建国当時の騎士に扮した軍人たちだ。さらに行進の先頭と最後尾にはそれぞれ十と幾人を数える護衛が付き添い、銃を掲げながら油断なく歩を進めている。
奇妙な取り合わせの行列が神妙に街路を抜けていくのを、アネット達は眉を寄せたまま見つめ続ける。その緊張の糸もぷっつりときれそうになった頃、ウィゼルが険しい表情で首を振った。
「ウォルターが、同じ手を使うとは思えない」
「……え?」
「あいつはいつも、意表を突いたからこそ被害を生みだしてきたんだ。十年前も……つい最近だってそうだろう。ウォルターの“兵器”は、軍が動かなかったからあれだけの犠牲を生んだんじゃないか」
それじゃあと見やった先は王都の全景だった。国民の誰もが家に立てこもっているため、道を歩むのは伝令を担う軍の者たちだけだ。先の祝祭において、ウォルターの放った襲撃者たちは、民間人に溶け込むことで王都の奇襲に成功した。さらには軍の出動の遅れ、足並みのずれた警備が、多大な犠牲者に繋がったのだ。
しかし現在の町並みには彼らが隠れこめるような場所が存在しない。密に取られた連絡網をかいくぐって軍人になり済ますなどということも不可能だろう。
「もしも、……もしもここを襲うなら、」
ウィゼルは口の中で言葉を紡ぎ、ふと、顔を上げる。
頭上には晴れ間が広がっていた。澄みきった青空には筋のような雲が走り、穏やかな日差しが降り注いでいる。勇ましい行進曲が響きゆく空を、ウィゼルはきつく睨み据えていた。
だからこそ、それに気付くのは早かった。
「――え」
思わず、声を漏らす。
見開かれたアネットの目に映ったのは、青空を切り裂いた純白の閃光、その雷のような一閃だった。光は航空機を越える速度で空を渡り、中天に近づくにつれて急激に速度を落とす。歪な放物線の行く先は火を見るより明らかだった。
「……落ち、」
呼吸が止まる。――その光景を、どこかで見た気がした。
閃光は一直線に降下し、あたかも天から降り注ぐ槍のように、ユークシアの大地を目指す。その真下に位置するのは中央広場だ。今にもそこへと差しかかろうとしていたパレードの一団は上空を仰いで目を剥いた。
彼らに降りかかる、その瞬間。しかし閃光は傘のような防壁に阻まれて四散する。
すんでのところで王都を覆い隠したのは、外壁から伸びた半球状の壁だった。半透明のそれをしばらく呆然と見つめ、アネットはあっと声を上げた。
忘れもしない。いつかニールと共に点検に向かった、継力を利用した防衛機能だ。外壁を形作る塔のひとつひとつに設置された継力機器が作動し、王都を砲弾から防いでいるのだろう。遅れて鼓動を刻む心臓を胸の上から抑えつけてアネットは大きく息をついたが、ウィゼルは一喝した。
「まだ終わりじゃない!」
部屋にどよめきが走る。はっとして顔を上げれば、二発、三発と、同じ閃光がユークシアを目指していた。
「くそっ」
「ウィ、ウィズ!?」
単身飛び出していったウィゼルを追いかける。廊下を、階段を、大股で駆け抜けて辿りついたのは、防衛機器の頭脳に値する管制室だ。体当たりするようにして扉を開けたウィゼルに、警官たちの視線が集中する。彼らの背後に控えていたニールがぎょっと目を見開いた。
「き……きみたち、職務室にいたんじゃ、」
「――第二撃、三撃、続けて来ます!」
鋭い警告が放たれた直後、建物に振動が走る。
前面の窓から外を窺えば、半透明の障壁は微かに揺らぎを見せていた。閃光の勢いを完全に削ぎ落とすことは敵わず、波打った衝撃は地面へと伝播する。アネットは歯を食いしばって騒音に耐えていた。
残響に紛れ、通信機が鳴り響く。慌てて取り上げたニールがびくりと体を震わせた。
「はっ、はいこちらニール・フラットレイ……、は、はい、ええ」
あえて耳を澄ますまでもなかった。ニールの耳元からは、レナードの大音声が漏れ聞こえてくる。
外界から遮断された署の中でさえ、鼓膜を破らんばかりの雑音が耳朶を打つのだ。一歩外へと出たならば、砲撃のまき起こした轟音は不可視の暴力として襲いかかってくるのだろう。ニールは通信機をわずかに耳から遠ざけながら、室内の機器に目を走らせる。
「発射位置は南方。バーム方面から撃っているものと思われます」
『あと何発だ!』
「……同じ発射頻度で、保ってあと半日。それ以上は確実に被害が出ます」
舌打ちの音が響いて来るようだった。そこで通信は途切れたのか、ニールは苦渋の表情で通信機を下ろす。
耳をつんざく高音の中では、沈黙だけが雄弁だった。現状を知ろうと管制室に転がり込んだウィゼルでさえも唇を引き結んで、窓の外を睨みつけていた。そうしている今も、雲間を抜けた先からは、新たな閃光がユークシアを目指して空を駆けてくる。
光の正体は継力をまとった砲撃だ。ひとたび障壁が崩されれば、その先を想像するまでもない。膨大な質量を持った衝撃波は、合金製の建造物も、石畳の地面も、その全てを巻き込んで灰塵と化す――まさに継力回路の暴走が、バームの火事を呼び起こしたように。
「……違、う?」
違和感が頭に引っ掛かり、こぼれた囁きが騒音に溶けていく。アネットは遥か遠方の閃光を、瞬きもせずに見据えていた。