体の節々が軋んでいる。
階段を一段上るたびに、限界を訴えて筋肉が悲鳴を上げているのがわかった。無理を承知で続けてきた訓練ではあるが、レナードの言う通り休息を交えなければいたずらに体を傷めつけるばかりなのだろう。
とはいえ、ニールに呼び付けられたからには急行する他に選択肢はない。継力機器に触れる機会があれば見学させてほしいと頼み込んだのはアネットの方だ。
歯を食いしばって三階へと駆けあがり、廊下を抜ければ、目指す管制室は突きあたりに存在する。失礼しますと声を固くして呼びかければ、聞き慣れた声が入室を促した。
扉を開いた先で椅子に座っていたのはニールだ。他に数人の警官が、室内に設置された大型の継力機器の前で何ごとか会話を交わしている。彼らの視線は一斉にアネットに集まったが、すぐに蜘蛛の子を散らすように逸らされていった。
誰もが皆、良くも悪くも継力回路ばかりに関心を傾けてきた者たちだ。過剰な注目を受けないことにほっとして、アネットはニールの傍に寄る。
「すみません、わざわざ呼んでいただいて」
少々待たせてしまったかもしれない。そう考えて頭を下げたが、ニールは構わないよと一笑した。
ニール・フラットレイ。素朴な雰囲気を纏った、穏やかで真面目な青年だ。レナードの部下として西へ東へと放りだされることの多い彼だが、どれもそつなくこなせるだけの能力を持ち合わせている。特に継力技術に才があるようで、普段は警察の所持する防衛継力機器の管理に携わっているようだった。
彼はぐるりと他の警官たちを見回し、邪魔にならないよう声をひそめる。
「実際、ここにいてもすることはないんだ。ほとんどが彼らの管轄で、俺はそれを見ているだけだから」
「彼ら、っていうと」
「警備局の継力対策・管理課。扱っている機器が機器だから、軍との接点も多い部署だよ。あっちより小回りが利くぶん、有事のときに先に動くのは大抵こっち」
ユークシアが抱える王国軍は、多規模な戦争が発生しなくなった昨今においても体勢を変えることなく維持されている国家武力だった。その総指揮権は国王に一任されており、自身の意志で行動することは許されていない。
一方警察は自らの判断のもとでその場の行動を決定することが可能であるため、軍の防衛機能の一部が割り振られた形で様々な部署が設けられている。継力機器を取り扱うここ継力対策・管理課もそのひとつだ。
説明を受けるうちに、継力機器に向けられていた視線が再び二人の元へと集まり始める。そそくさと頭を下げ、ニールはアネットの背を押して管制室から抜け出した。
「少しうるさくしすぎたかな。多分彼らも気が立ってるんだ、仕事も増えているだろうし」
アネットが首を傾げると、知らないかな、とニールは二本の指を立てた。
「二ヶ月後、火の月の十四日。式典があるんだけど」
「……ユークシアの、建国150周年記念式典……」
「そうそう」
にこりと笑ったニールに対し、アネットの表情は暗く沈んでいった。
レナードに従い、ユークシア警察の特務課に身を寄せてから今日でちょうど二週間が経つ。ウィゼルに関わる情報を手に入れ次第自分にも伝えることを条件に、アネットはその身の処遇を彼らに預けることを約束した。ナタリーの下で行われている稽古もその一環だ。命じた側のレナードが何を思っていたのかは未だに分からずじまいだが、その判断に文句をつけるつもりはアネットには無かった。
ウィゼルが警察をも動かすような場所へと足を踏み入れるのに、一般市民であるアネットがのうのうと暮らしてはいられない。体を動かしていれば考え事をしなくて済むということもあって、アネットは果敢にナタリーに挑み続ける毎日を送っていたのだった。
「さあ、着いた」
ニールの先導で訪れたのは、ユークシア王都の外壁に時計の目盛りのように設置された監視塔の一つだ。石造りのその塔の登頂と地上とを結ぶ螺旋階段を上れば、解放的な屋上に辿りつく。塔の頂上からは外壁の上を伝って歩いていくこともできるため、王都の周りをぐるりと一周することも可能になっている。もっとも、気の遠くなるような時間と体力を浪費する覚悟があれば、の話であるが。
配属された警備員たちに挨拶をすると、ニールは慣れた足取りで一角に設置された継力機器の操作盤の元へと近寄っていく。その本体は塔の中に隠されているのか、表からは全容が見えないつくりになっているらしかった。彼は雨風を防ぐための覆いを取り除き、アネットから隠れて一続きの文字列を入力する。
「これは王都全体を守る装置」
「え、はい?」
無言で操作を続けていたニールが唐突に口を開いたので、アネットはきょとんとして目をしばたかせる。知りたそうだったから、と笑って、彼は指を動かしながら器用に説明を続けた。
「継力を使った防衛機能の最たるものだよ。パーセル争奪戦争のときに作られて、以来ずっと設置されたままだ。砲撃の雨から王都を守る、傘みたいなものだと思ってもらえばいいかな。制御装置はさっきの管制室にあるけど、ときどきはこっちも見てやらないといけない。いざというときに動かないと困るしね」
淡々と言い終える頃には調整も終わっている。元の通りに覆いをかぶせ、ニールは大きくうなずいた。
「これで点検は完了。なにか勉強になったかな」
予想外の問いかけだった。アネットはしばしの間考え込む。
ウィゼルの行動理由を探る手がかりになればと随行を願ったが、継力機器の仕組みについては何ひとつ理解できなかった。彼とは素地が違うのだからと諦めて、代わりに別の視点を探る。
「……戦争が生み出したものもあるんだな、と」
見当はずれな物言いを恐れたためか、言い方は思わず曖昧になった。続きを促すようにニールがうなずいたので、言葉を選ぶための間を置いてからもう一度口を開く。
「戦争で作られるのは、武器だけだと思っていました。……敵を、倒すための。でも、戦時中に作られたこの機械が、今もユークシアを守るために使われているんだって考えたら、それは」
迷う。判断に困って、結局言葉は出て来なかった。
沈黙が続いたことを彼女の答えと取ってか、ニールは神妙な表情でうなずいた。
「いい、悪いの判断はできないだろうね。俺もまだ若いから、大きなことは言えないけど……武器を作るなら、相応の防具を作らなくちゃ意味が無いと思うんだ。同じ武器で攻められて負けるんじゃ元も子もないだろう?」
剣には盾を、銃には防弾の着衣を。それは現代に至るまで、幾度となく繰り返されてきた競争であったろう。ニールは感慨深そうに、先ほどまで扱っていた操作盤に触れている。
「武器を作らなくていい世の中ができたら、きっとそれは素晴らしいことだと思う。でも俺たちは主張しあわずにはいられない生き物だから、その分、守らなくちゃいけない。そのために警察が、俺たちがいるんじゃないかな」
「ニールさんが警察官になったのは、だから、ですか」
「そうだね。面と向かって言うと少し恥ずかしいな」
こめかみを掻いて、空の向こうへと顔を背けた。天気は晴天。一点の曇りもない青空が頭上を覆っている。ニールはしばらく眩しいほどのそれに目をやっていたが、何を思ってかふと表情を引き締めた。
「……今は、継力を無力化する装置を研究しているんだ。最近になって試作品が上がったけど、まだその範囲にも効果にも不安が残ってる」
でも、もし完成したら。ニールの瞳が夢見るように透き通る。
同じ目だ、とアネットは感じていた。
それは追い求める人間の目。果てなき夢想を顕現させるために、作り続ける者の目なのだと初めて気付く。ならば彼にも、のめりこむようにして知を取り入れ続けた少年にも、叶えんとする夢があったのだ。
――復讐だよ。
彼はそれを夢と呼ぶのだろうか。たとえそれが、怨恨を糧とするものであったとしても。