三日後。
 用意された宿の一室で、アネットはベッドの上に腰を下ろしたままうつむいていた。
 流れ作業で進められた消火活動の結果、隣家二軒を炎上させたところで火の手は収まったらしい。あれよあれよという間に現場から追いやられたアネットは、二人の警察官に連れられるままこの一室に放りだされ、その夜になるまで放置されていた。
 現場検証は翌日から行われるようになったが、アネットにはそこに近づく許可が下りなかった。レナードらはその一帯に誰も立ち入らないよう厳しく町民に言いつけてからというもの、原因となった継力装置の断片を拾いあげては元の形を推測する作業を進めているという。
 新たに発生した火事に騒然とした町も、一日が過ぎればそれを日常の風景として受け入れたらしい。くり返される災害に慣れ切っていたバームの人々は、何食わぬ顔をして現場の横を通り過ぎるようになった。
 ふわり、開かれたままの窓から生温かい風が流れ込む。純白のカーテンは斜陽の色に染まり始めていた。アネットがその日何度目かのため息を漏らしたところで、唐突に部屋の扉が開かれる。煤けた制服姿でずかずかと入り込んできたのは件のレナードだ。
「やあ、今日も辛気臭い顔をしているな」
 会話の拒否を訴える代わりに、アネットはついとそっぽを向く。無論引き下がるような彼ではなく、無遠慮に椅子を引っ張り出して、そこに我が物顔で腰を下ろした。
「三日間どうしていたんだ?」
 問いかけられては答えないわけにもいかない。むくれた顔で口を開いた。
「……弟を、探していました」
 外出を禁じられたわけでも、部屋の鍵が閉められたわけでもない。アネットはバームの町での自由を保証されたまま、あとは好きにするようにと投げ出されていたのだった。
 役に立つわけでもない子供の存在を持て余したというのが彼らの本音なのだろう。警察官の仕事を学ぶという形ばかりの言い分も、いざ事故が起これば忘れ去られたかのように意味を失くしていた。
「現場には近づけなかったから。町の人たちに聞いて回ったり、近くの家を訪ねていったり」
「ほお、それで? 結果は」
「見て分かりませんか」
 レナードが足を踏み入れるまでは、その部屋にはアネットがひとりぽつりと座り込んでいただけだった。姉弟が寝泊まりするためにと二つ用意されていたベッドの片方は、しわの一本も寄らないまま放置されている。
 町じゅうを探しまわったアネットだが、その結果は芳しくなかった。
 茶髪に青い目の少年など、この大陸ではさして珍しくもない。それはバームでも同じことだ。情報を訪ね歩き、手掛かりを得て向かった先で落胆する――そんなことが何度となく繰り返され、成果のないまま疲れ果てて部屋に戻ってくるだけの三日間は瞬く間に過ぎていった。
「どこにもいないんです、どんなに探しても。宿の場所は知っているはずなのに、帰っても来ない。……もしかしたら、あのとき」
 顎が震え、奥歯が小さく音を立てた。
 考えないようにしていた可能性がじわりと頭を浸食して、黒々とした絶望を生みだそうとする。一度不安がちらつけばもう留めはきかなかった。決して弱みを見せないようにと自らに徹底してきたアネットの顔が、そこに至って初めてくしゃりと歪む。
 見かねたレナードが二枚の写真を放って寄越した。アネットは目だけでそれを追う。
 一枚は現場の概観、もう一枚はそこに残された物品を映したものだ。ぐにゃりと曲がった鉄塊や砕けた継力鉱石の欠片が映っている。怪訝に思ってその顔を仰いだアネットに、彼は写真を顎で指してみせた。
「現場に残されていたのはそれが全部だった。……くり返すぞ、それが全部だ。焼死体はひとつも見つからなかった」
「……それ、じゃあ」
「まずきみの心配するようなことは起こっていない。弟は無事だ」
 居場所までははっきりしないけどね、と継がれた言葉も、もうアネットの耳には入ってこなかった。
 糸が切れたように体から力が抜ける。震える息を吐き出して、腕ごと自分の身を抱きしめた。――生きている、彼は、まだ生きている。何度も疑いかけたそれを、噛みしめるように心でくり返す。
 その様子を眺め、レナードは安心とも呆れとも取れない微笑みを浮かべた。
「調査活動は今日で終わりだ。明日には王都に戻る。きみのことも解放しよう、ここで弟を探すなりなんなりすればいい」
「……いいえ、私もパーセルに帰ります」
 首を振ると、レナードはぴくりと眉を跳ねあげた。
「意外と薄情なんだな」
「誤解しないでください、約束があるんです」
 もしも二人がはぐれ、再会が困難になったなら、必ずパーセルで待ち合わせること。それは二人が幼い頃に交わした絶対の約束だった。三年前、ウィゼルが同様にアネットの前からふらりと姿を消したときも、一週間後には悪びれるふうもなく家に戻ってきたのだ。
 信じている。信じられる。彼は、自分にとってたったひとりの弟なのだから。
「必ず帰ってくる。だから、待ちます」
 へえ、と目を細めたレナードは、しばらく面白がるようにアネットを見つめていた。その決意の揺るがないことを知るや、彼女の傍らに散らばった写真を拾い上げる。そうして「火事のことだけどね」と切りだした。
「町長殿にはただの事故だと言ってある。……問題なのは、ここと状況のよく似た火事が王都でも起きているということだ。継力鉱石が粉々になるような爆発を伴った故障事故、それも、どこも純度の高い鉱石を用いた場所ばかりが、立て続けにね」
 バームの町長に町の近況を尋ねたとき、レナードが一度だけ不審げな表情を見せていたことを思い出す。ウィゼルによる継力鉱石の説明と練り合わせればその理由は明らかだった。
 純度の高い鉱石は、粗雑なものに比べ明らかに高い動力増幅率を誇る。そんな鉱石を稼働させている場所ばかりが事故を起こすなど、本来なら起こり得ないことなのだ。その上、現代の継力技術を牽引する立場にあるユークシアの王都でも同じ現象が起きているとなれば、人為的な干渉が加えられていたと考えてもおかしくはない……そこまで考えてアネットは首を振った。
「私には関係ないことでしょう」
 何を聞かされようとも、それはユークシアの警察に属するレナードらが調査すべきことであって、アネットの頭を悩ませるような問題ではないのだ。突っぱねようとする声はにわかに固くなったが、レナードは聞く耳を持たなかった。
「現場に残された継力鉱石の解析はまだ終わっていない。疑わしきは、その鉱石の破片が本来そこにあるべくしてあったものなのか、ということだ。ああも粉々になっていては、元の鉱石と比べようもないからな」
「だから、それがなんだって」
「きみの弟が姿を消したのは、現場のすぐ近くだった」
 斧を振り落とすかのような一言に、アネットは息を飲んで凍りつく。まさか、と首を振った。
 まさか、まさかこの男は、行方を眩ませたウィゼルの犯行を疑おうというのか。バームに連れて来られ、なにも知らないまま不慮の事故に巻き込まれた、むしろ被害者であるはずの彼を。本来ならば今頃、いつものようにパーセルの自宅で休日を過ごしているはずの彼を、バームにまで引きずりまわした張本人が?
 ――冗談じゃない。
「さっきから聞いていれば、知ったような顔でぺちゃくちゃと……! あなたがウィズの何を知っているって言うんですか! 勝手な妄想に、人の弟を巻きこまないで!」
「それはいい、単なる妄想で済むなら、俺も諸手を挙げて喜ぶところだ……と、はは。そう睨んでばかりいると眉に痕が残るぞ」
 そよ風程度にも堪えていないといった表情でひらひらと片手を振る。アネットの激情を鎮めるように一つ呼吸を挟み、ふとまじめな顔をして見せた。
「俺も言ったことを違えるつもりはない、きみのことはちゃんと解放する。王都に送り届けたらそこでさよならだ。ただし、万が一にでも、行方知れずの彼がこの事件に関与しているようなら……きみともう一度顔を合わせるのも、そう遠くはないかもしれないな?」
「……っ」
 有り得ない。
 そう否定することは容易なはずだった。しかし喉を突くはずの言葉は、そこで凝り固まったままついに吐き出されることはない。苦いものを感じて掌を握りこむ、その頭にこだまするのは、弟の過ぎた継力知識を危険視するレナードの言葉だった。
 ――曰く。
 あれは、兵器を作る人間の頭だ、と。