広場の周囲を大きく一周するように歩き、青年は時計塔の前で立ち止まる。
「案内はこんなもんですかね。火事を起こしたところはまだあるんですが、そちらもまずは町長さんにお会いしたいでしょうし」
 日はすでに頭上高くへと昇っており、うだるような暑さと共に渇いた大地を照らしている。レナードはじりじりと熱を放ち始めた土を鬱陶しげに踏みしめて眉を寄せた。
「行ったり来たりするのもめんど……時間の無駄だな。二手に分かれるか。ニール君、きみは弟君を連れて先に現場を見ておいで。俺は彼女と一緒に町長殿に挨拶に向かうから」
 言いながら、アネットの頭を叩く。瞬時に目の色を変えたのはウィゼルだった。
「な……なに勝手なこと言ってるんだよ!?」
「勝手じゃないさ。きみたちだけで野放しにするわけにもいかないだろう? 俺はもちろん代表として町長殿のところに行かなきゃならない。ニール君の継力の知識は豊富だし、きみも言わずもがなだ」
「そういうことを言っているんじゃ、」
「ああ、お姉ちゃんと離れるのが寂しいか?」
「……っ!」
 頭に血を昇らせたウィゼルが、初めて言葉を詰まらせる。
 それが怒りゆえのものか羞恥ゆえのものかを見定めることはできなかった。声をかけようとしたアネットへと勢いよくふり向いた彼の顔は、同様に素早く他方に逸らされる。殺気立った背中をレナードに向けたまま彼の放つ沈黙は、何よりも雄弁に屈辱を示していた。
 ニールは苦虫をかみつぶしたような表情でレナードを見やるも、無駄だと知って首を振る。案内の青年に穏やかな声で「お願いします」と告げ、背を向けた。彼らのあとに続くウィゼルの拳は、いつまでもきつく握り締められたままほどけることはなかった。
 遠ざかる三つの影を見つめ、アネットは唇をとがらせる。
「ウィズをからかうのはやめて下さい。ただでさえ怒りっぽいのに……口をきいてくれなくなったらどうしてくれるんですか」
 一度へそを曲げたらそれからが長いのだ。ただでさえ反抗的な態度が目につくようになってきたというのに、これ以上機嫌を損ねられてはかなわない。じっとりとレナードを睨みつけたが、彼は軽く肩をすくめるだけだった。さっさと踵を返して歩いていってしまう。
「ちょっと、レナードさん」
 語気を荒げても聞く耳を持たない。代わりに呆れたような声が返された。
「きみも大概危機感のない子だな。彼のように誰彼構わず噛みつくのも考えものだが」
「はあ?」
 大股で進んでいた彼が、そこに至って急に立ち止まった。
 小走りで追っていたアネットは彼の背に顔をぶつけそうになって、危ういところで身を引く。その鼻先に、ぐるりとふり返ったレナードの指が付きつけられた。
「自分の弟が、どういう人間か。まるで理解していないように見える」
「……どういう、って。どういう意味ですか」
 微かに眉をひそめたアネットの眼前に、彼は大儀そうに身をかがめた。
「きみは彼のことを、少しばかり物知りなひねくれ者の弟だとしか考えていないんだろう。確かに子供も子供、さっきの対応も可愛いものだった、が」逆接を挟み、緑の目から温度が消える。「彼の持つ知識量も、技術も、継力のことをよく知っているなんて言葉じゃ足りないんだよ。独力で継力銃を作るだなんて、パーセルの教育を受けているにしても度を逸している。――あれは、兵器を作る人間の頭だ」
 ぞわり、と、背筋を冷たいものが走る。
 焼きつくすような日差しが、その数秒間だけかき消されたかのようだった。レナードの瞳に映り込んでいる自分のこわばった顔を見てアネットはうすく唇を噛む。
「ウィズは、そんなこと」
「……人に、過ぎた知を与えるもの。きみは何だと思う?」
 唐突な問いかけに勢いを呑まれた。咄嗟には答えが浮かばず、アネットは黙りこむ。対するレナードに返答を待つつもりはないようだった。
「簡単だ、熱望だよ。理由と呼んでもいい。人を知識に及ばせるのも、その欲に制止をかけるのも。きみの言う通り、確かに今の彼はなにもしないだろう。だがもしも彼のたがが外れたら? ……本音を言おうか。俺は、頻発しているとかいう火事よりも、彼のほうが遥かに恐ろしいよ」
 過ぎた知がもたらすもの。想像しようとして、アネットはすぐにその思考を投げ出した。
 ウィゼルは弟だ。親を亡くしたアネットにとって、唯一残された家族と呼べる存在だ。昨日会ったばかりの他人に勝手なことを言われる筋合いはない。
 少しずつ灯りだした反感を読み取ってか、レナードはやれやれと首を振った。
「ともあれ、毒になるか薬になるかは使いようだ。彼だって上手くすれば大きな恩恵をもたらすだろう。短い間とはいえ放りだしておくのは不安だが、手元に置いたままにしておくのも惜しい」
「……それじゃあ、私を離したのは、人質のつもりですか。ウィズを思い通りにするために?」
「ご明察」
 胸の奥に黒々とした嫌悪感が沸いた。彼の力を警戒するばかりでなく、なお有効に利用しようとするその思考。傲慢、汚さと呼び得るもの――虫唾が走る。それまでアネットを支配していた悪寒は、たちまちに怒りへと色を変えていた。
「理解してくれたならそろそろ行こうか、町長殿をお待たせするのも申し訳ないからな」
 アネットは返事をしなかった。しかしレナードが足を動かせばついていくよりほかに道はない。彼女がウィズにとっての人質であると言うのであれば、ウィゼルもまた、彼女にとっての人質であることに違いは無いのだ。
 程なくして辿りついた町長の邸宅に、彼らは二言三言で迎え入れられた。町の指導者が住むには簡素な屋敷の中を、彼らを迎えた夫人の案内のままに歩く。初老の男性が黙々と公務をこなしていたのは奥まった扉の向こう側だった。
 彼はユークシア警察の制服で身を包んだレナードの姿を見るや、おお、と感嘆の声を上げる。
「よく来て下さいました、遠いところをご苦労様です」
「いえ、お構いなく。ユークシアの国民のため身を削るのが我々警察官の喜びですので」
 言って、レナードは悪意など微塵も感じさせないような清々しい笑みを浮かべる。
 一歩引いたところで、アネットはうすら寒い気持ちで彼を見つめていた。少なくともレナードの言葉は、町に到着するまで気候と荒れた土地とに悪態をついていた男の発していいものではない。しかし容姿の整った警察官が口に出すそれは、彼を知らない者からすれば模範的な公務員の姿勢に見えるらしかった。
「いやはや、あなたのような方に来ていただけてありがたいです。私はエリック・ジェラルド、こちらで町長を任されておる者です」
「ユークシア警察特務課所属、レナード・ヘルツです。今回は継力機器の故障についての調査と伺いましたが」
「ええ、まったく、困ったもので。最近になって故障が相次いているようでしてな。ユークシアの援助として受け取った継力鉱石を用いた装置でして、……私はどうも詳しくないのですが、どれも純度の高いものを用いていたとか。爆発もそのせいで大規模になるのか、復旧も困難になるばかりで」
 手帳に要点をまとめながらうなずいていたレナードが、ぴくりと眉を跳ねあげた。しかしすぐに表情を元に戻し、淡々と「他に変わったことは?」と尋ねやる。
 いくらか考えて、ジェラルドは左右に首を振った。しわの寄った目を細めて深い溜息をつく。
「発展、……いえ、復興も著しく遅れておるのですよ。我々もユークシアの庇護を受け入れ、やっとのことで戦火の痕を消そうとしているというのに」
 戦火、とアネットはくり返して呟く。黙っているようにとレナードが視線を寄越したが、ジェラルドはそこで初めて彼女に気付いたかのようにおやと声を上げた。
「そちらの方は?」
「警察官を志す若者です、邪魔はさせませんのでお気になさらず。……ともかく、ひとまずは調査を致します。発見があればお伝えしますが、くれぐれも過度な期待をなさらないようお願いします」
 事務的な口調で答え、最後に一礼する。よろしくお願いします、というジェラルドの声を受けて、ふたりは屋敷を後にした。