王都ほどには及ばないとはいえ、バームもまた広大な土地を持つ町である。
円形の広場を軸として、南北に向かって大きな通りが一本、町の中央を貫いている。その通りからは幾重にも枝分かれした道が延びて、ときには別の道と交わりながら家々を繋ぐ。大通りの最北端がバーム唯一の出入り口である一方で、南端には町の象徴ともいえる時計塔が、大掛かりな仕掛け時計を頭上に掲げてそびえ立っていた。
簡素なつくりをした町ではあるが、歩きやすいように整地が施されているのは大通りとその周辺に限られていた。少しでも中央を外れれば、空気に混じる程度だったはずの油の臭いも途端に鼻を突くようになる。
そればかりか、末端に足を延ばすに従って、陳列する家々の外観も目に見えて粗雑になる。白塗りの壁はまだらな塗り残しを露わにし、屋根の瓦にも欠けたものや穴のあいたものが用いられている始末だ。
しげしげとその様子を眺めていたアネットに、案内役を担う青年は「ひどいもんでしょう」と苦笑した。
「このあたりがユークシアに合併されてそろそろ二年です。援助を受けて継力の取り入れを行ってはいるんですが、俺たちみたいな技術者は、それまで継力のけの字も知らなかった人間ばかりなもんで。一応見よう見まねで動力として使ってはいるけど、まだまだ町を動かすには及ばない」
見て下さい、と彼が指したのは一軒の家屋。正確にはその残骸だった。かつて屋内で大爆発が起きたかのように、外界を隔てるはずの土壁は完全に崩れ落ちている。それが家であると判断できたのは、四方に建てられた鉄の支柱がかろうじて倒壊を免れていたからに過ぎなかった。
「あれ、もともとは製鉄所だったんです。去年から継力装置を取り入れて動かしていたんですが、最近になって装置の具合が悪くなりまして。とうとう爆発して、今はあんな有様です。周りの家もみんな一緒に吹き飛んじまって」
再び人が暮らせるようにと、周囲の建物だけは急ごしらえで建て直したのだ。しかし爆発を起こした側の製鉄所は、中に入るべき工業機械がなければただの抜け殻と変わらない。雨風に晒された骨組みは殺風景だが、撤去する手を回す暇もないのが実情なのだろう。
「そんな火事がずっと続いているんです。俺たちも継力に関しちゃずぶの素人だから、原因もなにも分からずじまいで」
「では、警察にご連絡いただいたのは?」
レナードが問うと、青年は愛想笑いを浮かべて頭を掻いた。
「いやあ、あんまりにも火事が続くもんですから。町の側から、誰かがわざと機械を壊しているんじゃないかって声が出ているんです。技師は回路に問題があるだけだって考えているんですが、とうとう連中は町長さんに依頼を出させたもんで」
徐々にレナードの顔つきが厳しくなる。
依頼を受け取った警察本部側も対処に困り果てたのだろう。バームからの訴えには人手を割くほどの信憑性は無いが、ユークシアに取り込まれたばかりの町との関係を悪化させるのも避けたい。そこでまずは様子見のためにとレナードら特務課の面々を派遣したのだ。
雑用係――そんな自分の言葉を早くも実感させられたのだろう。レナードは知らず知らずのうちに眉間に寄ったしわをほぐすように、指先で額に触れていた。
「頻発している火事の原因を調べ、町長殿に報告する、と。それでよろしいですね」
「そうですね。なにもないとは思うんですが……まあ、本当、簡単にでいいんで。とりあえず調べてもらえませんか」
「はあ、了解しました」
煮え切らない青年の態度によほど気力を削がれたらしい。レナードは生返事をし、被害を受けた家屋を疲れきった顔で見やった。
粗方の事情を頭に入れると、アネットはウィゼルのわき腹を小突く。迷惑そうな一瞥を返した彼に、「どう思う」と尋ねやった。
「どうって……」彼は一度、時計塔に目をやる。呆れたように溜息をついて口を開いた。「大方、熱暴走ってところじゃないの。見たところ、本当に技術もへったくれもないみたいだし。あの時計塔だってそうだ」
時間を刻む二本の針と、その頂点で踊る仕掛けの人形には、それぞれに過度な装飾と継力装置が取り付けられている。表面に露呈しなければならないほどの大掛かりな装置を、装飾によって取り繕おうとしているためだろう。
「継力回路を使うなら、たかが時計ひとつ動かすのにあんなに大げさなつくりは要らないだろ。旧来の機械ならまだしも、さ。ああいうのを小さい継力鉱石で動かそうとするから無理が出るんだ」
「どういうこと?」
「アネットさあ、学校でなにを教わってるわけ。効率的な居眠りの方法?」
アネットはむっと頬を膨らませる。そこに助け船を出したのはレナードだった。建物の残骸を見るよりは有意義だとでも思ったのか、ゆるく笑って腰に手をやる。
「継力の役割は二つ――そんな言葉を聞いたことは?」
「え……ええ、と」
同じ言葉をどこかで耳にしたことがあった。教科書の内容を思い浮かべ、アネットは必死に記憶を引き戻そうとする。ここで彼にまで馬鹿にされては恥の上塗りだ。
「確か、ブラックの」
「そう。継力の運用を提唱した、ブラック・リドルによる原理法則だ」
ことも無げにうなずいて、彼はぴんと二本の指を立てた。
「『継力の役割は二つ、継続と増幅である』。継力の元になっている継力鉱石は、新たな力を生みだすわけではなくて、あくまで本来ある力を継続、増幅させているに過ぎないってことだ。もうひとつ、鉱石同士の共鳴が加わって、三大継力原理とも呼ばれるな」
その性質ゆえに、継力鉱石は半永久的にその役割を果たし続ける。現存する一定の力をひたすらに継続させる――継力が継力と呼ばれるゆえんだ。
レナードに対抗心をかき立てられたのか、ウィゼルはつまらなそうに言葉を継いだ。
「継力による動力増幅の効率は、その鉱石の純度と大きさに比例する。だから回路の設計に無理があれば、継力回路は限界を越えようとして暴走するんだ。無駄なく、効率的に回路を組み立ててやることがセオリーなんだよ」
吐き捨てるように言って、時計塔をきつく睨みつける。
「あんなのは、どうぞ事故を起こして下さいって言っているようなものじゃないか。まだ動いていられるのも、よほど大きい鉱石でも使っているのか、それとも純度が高いのか……そんなの僕が知ったことじゃないけど、どっちにせよ無駄遣いにもほどがある。馬鹿馬鹿しい」
鼻を鳴らすウィゼルに、案内の青年は詳しいねと苦笑する。すぐにレナードの握りこぶしが少年の頭上に落ちた。失礼だ、と、無言でにっこり笑うことでそう伝えた彼は、ウィゼルからの非難の目を無視して青年に頭を下げる。
ふたりの故郷であるパーセルは、地中の継力資源の豊富さゆえに、ユークシア側からの技術提供が盛んに行われてきた。アネットらが通う市立の学校で技術教育が行われていたのも確かだ。
それを差し引いても、ウィゼルの知識は大人のそれに引けを取らない。似ていない姉弟、とアネットたちが指を指して言われる理由の一つでもあった。
誇らしいような恥ずかしいような、こそばゆい気持ちで胸を満たして、アネットはウィゼルを見つめていた。その視線に気付いて、ウィゼルは煙たがるように顔をしかめる。
あとはほんの少しでも愛想があればいいのに――そう口にしようものなら、数倍の皮肉になって返ってくるのだろう。浮かびかけた笑みを誤魔化すように、アネットはほんの少しだけ足を速めた。