付き添い
 ユークシアが王国として独立したのが百五十年前。以来、継力技術を推進力とした同国家は、周囲の小国を取りこんでその領土を広げてきた。
 バームもまたユークシアに組み込まれた町のひとつである。その領土には未だに直通の列車が走ることはなく、国土の南端に位置するバームに向かうには、最寄りの駅から自動車を回すことになる。
 アネットがもの珍しげにそのつくりを眺めていられたのはその町を出るまでだった。荒れた道を走る車が断続的に大きな振動を伝え続けるばかりか、眺めるような風景もこれといって存在しない。窓の外に目を向けたとしても、荒涼とした大地がひたすらに広がっているばかりだ。後部座席のアネットが早々に黙りこんで以来、車内に話題を提供するのは助手席に座ったレナードの役目となっていた。
「しかし、ここまでくると荒れ放題だな」
 げんなりとした声を漏らした彼に、運転を担うニールが苦笑する。
「雨がほとんど降らないらしいですね。空気も乾燥しているとかで」
「死んだ大地ってわけだ。まったく、息苦しくてかなわないな」
 会話を切って、レナードはぐるりと後ろを振り返る。揃ってうつむいているふたりを見て愉快そうに口角をつり上げた。
「死した大地は人をも殺す、と。はは、大丈夫かい」
「ちょっと、黙って下さい……頭、痛いんですから」
 アネットは足元を睨みつけながら低い声で唸る。ただでさえ車の振動が吐き気を催すというのに、人の声が鼓膜を打つたびに脳を直接揺さぶられているような心地がするのだ。横に目を向ければ、ウィゼルはむっつりと黙り込んだまま微動だにしない。
 レナードはけらけらと笑いながら再び体を前に向ける。
 見かねたニールが窓を開けると、涼しい風が吹き込んでいくらか呼吸が楽になった。くり返し深呼吸をして、アネットは頭に手をやりながら顔を上げる。
「レナードさん、本当に警察官なんですか。人間性に問題があるっていうか」
「失敬だな。そんな俺に捕まっているきみたちもきみたちだろう」
「……正直まだ疑ってます。特務課なんて聞いたことないし」
 文書を盗んだと思われる子供を追いまわし、確保したかと思えばその身柄を拘束、かつ文書は自ら議事堂に届け、一方で警官に被害を出したふたりを罰としてその公務に同行させる。それらがすべてひとつの部署の管轄で行われているのだから不審にも思えてくるというものだ。
「まあ、うちも新しいからな。まだ作られて十年と経っちゃいない」
「何をしているんですか?」
 肩をすくめたレナードに代わり、なんでもするよと答えたのはニールだった。
「民間からの依頼に応えてね。人探しだとか、逃げた犬を追いかけたりだとか」
「警察の雑用係だ」
「班長、身も蓋もないです」
 道理で、とアネットは遠くに見えてきた町並みの影を眺める。
 寂れた町だ。石を積み上げたような建物、目立って高くそびえ立つ時計塔。その町に彩りをもたらすはずの街路樹も思い出したようにぽつぽつと植えられているのみで、ひび割れた土には石畳が申し訳程度に被せられている。ユークシアの王都に引き比べれば、その暮らしの味気ないことは一目見れば理解できた。
 特務課とはすなわち、他の部署が動くまでには及ばなくとも、民間人の手には負えないような事案に出向かされる部署なのだろう。犯罪とは断言できないような案件、公的さのみが必要とされるような場合に、彼らは場所を問わず出向かされる。――そこがバームのような辺境であっても、ユークシアの領土である限りは。
「案内が来るはずだったな?」
「ええ。時間には少し早いですから、待つ必要がありそうですね」
 指定された場所に車を停めて、四人は久方ぶりの地面を踏みしめる。鼻孔に潜り込んだのはすすけた鉄と油の香りだ。気分の悪さを加速させるようなそれに、アネットは思わず顔をしかめた。
「この臭い」
 呟くと、レナードは数度鼻をひくつかせてからうなずいた。
「バームの動力源はまだ継力に移行しきれていないらしい。まだ従来の方法を使っているところも多いんだろう。……今はいいが、町の人の前でそういう顔はするなよ。失礼だから」
「わかってます」
「きみじゃない、弟のほうだ」
 言われるままにウィゼルの顔を窺えば、これ以上ないと言うほどのしかめ面がそこにある。
 文書盗難の容疑をかけられたばかりか、本意ではないバームへの同行にひどい車酔い。彼の機嫌を損なう要素を数え上げればきりがない。そもそも彼はユークシアに長居することを拒んでいたのだ。アネットが名を呼んで注意するも、彼は不機嫌をひっこめようともしない。
「なんだって僕らがこんなところに」
 挙句の果てには、何度目かになる不満をこぼす。レナードがやれやれと首を振った。
「俺の部下に随分な怪我をさせてくれたのはそっちだ。打ちどころの悪かった奴は病院送りだった。きみたちをこき使っておかないと警察の面目が立たないのさ」
「やわな鍛え方をしてるからだろ」
「誰も、継力銃なんて物騒な代物を子供が持っているだなんて思わないだろう?」
 取り上げられていた継力銃も、今では元通りにウィゼルの腰へと戻されている。誤解が解けたことの証明ではあったが、ひとことの謝罪もないままの状況を彼は快く思っていないらしかった。
「諦めよう、ウィズ。今回は私たちが悪いよ」
「完全に観光気分で言わないでくれる」
 うっと言葉を詰まらせて、アネットはぎこちなく顔を背けた。
 ユークシアの王都だけでなく、国の辺境にまで訪れることができる。そう考えたアネットが、昨晩から心を躍らせていたことは否めない。その一部始終をウィゼルは冷ややかな目で見つめていたのだった。楽天家、能天気、お花畑、と浮かれたアネットに針を飛ばしていたのも覚えている。
 へそを曲げかけたアネットであるが、レナードが手を叩いて気分の切り替えを促した。
「ほら、そこまでだ。案内が来た」
 申し訳なさそうに駆けてきたのは、作業服を身に付けた二十台ほどの青年だ。袖の短い服から伸びた腕には筋肉がつき、肌も日に焼けて浅黒い。彼は人の良さそうな笑みを浮かべてレナードとニールに目礼するが、アネットとウィゼルに対しては不思議そうな顔を向けた。
「彼らは?」
「警察官志望の若者です。公務を見学したいとのことで。支障が出そうであれば帰らせますが」
 さらりと嘘が並べたてられる。レナードを睨みつけてやりたい気持ちは山々であったが、アネットは必死にこらえて頭を下げる。彼らの人違いも、自分の失敗も、露わにされないならばそれに越したことは無いのだ。
 幸い、青年は勘ぐることをしなかった。構いませんよと笑って歩き出す。ほっと息をついて、アネットは彼らのあとに続いた。