レナードの案内で町中を歩き、つるりとした石造りの建物に連れ込まれる。
 警察署本部と銘打たれたその建物の外観はまだら模様の石に覆われていたが、中に入ってみるとどうやら鉄と合金で骨組みがされているらしかった。外に比べ空気が冷えている感覚があって、緊張に身を固めていたアネットの頭は研ぎ澄まされたように冴えていく。
 二人が運び込まれたのは並ぶ小部屋のうちの一室だった。簡易なソファの上にウィゼルを下ろしたレナードは、今度こそアネットから文書を受け取ると、じっとしているようにとだけ言いつけた。そのままナタリーを伴って出て行ってしまう。
 弟が傍にいるとはいえ、意識がなければ実質ひとりと変わらない。所在なさと心細さに取りつかれたアネットは部屋の片隅をうろうろと歩きまわることしかできなかった。彼が目を覚ましたのはそのしばらく後のことだ。
 むくりと上半身を上げて、すぐに顔をしかめる。
「……痛い」
 手を寄せたこめかみには青あざが作られていた。彼はアネットと部屋に順に目を向けて状況の理解に努めようとするが、無為に終わったらしい。眉を寄せ、これどういうこと、と問いかけた。
 アネットがかいつまんで現状を説明すると、その眉のしわはより一層深くなる。
「くそ、やっぱり警察か。滅多なことするんじゃなかった」
「やっぱりって」
「奴らの持ってる継力銃がユークシアの量産型だったんだ。一般にはまず流通しないから、軍や警察ぐらいしかあんなもの使わない」
「詳しいね、ウィズ」
 知識に素直に感心すると、うるさいと一蹴される。怪我の痛みと状況のせいで気が立っているのだろうと判断し、アネットは刺激しないようにと口をつぐんだ。
「それで? 文書は」
「さっき渡したよ。レナードさんが議事堂のほうに届けてくれるみたい」
「じゃあお使いは終わりか。市長に確認を取ってくれるならすぐに誤解は解けるだろうし、あとは待つだけで……うわ」
 嫌そうに声を上げたのは、彼が手をやった腰元が軽くなっていたからだ。
 そこにあったはずの継力銃は、どうやら気絶させられた際に没収されていたらしい。忌々しげに毒づいたウィゼルはソファに座り直し、指を組み合わせる。
「その警官……レナード・ヘルツ。どこの所属だって?」
「特務課」
 どこだよ、と呟かれる。
 アネットにとっても聞き覚えのない名前だった。創設されてまだ間もない部署なのだろうかとも考えはしたが、彼らに確認を取る暇はなかったのだ。
「でも、本物の警察官だよ。手帳を持ってた」
「あんなのが警官になるのか。信じたくないな」
 横顔の青あざは痛々しく、数日は消えないだろうと思われた。
 数度にわたって頭を蹴りつけられ、挙句背中を踏みつけにされたという。受けた暴行の数々を語るのは彼にとっても屈辱的なのか、ウィゼルは終始ふてくされたような表情をしていた。「そんなこと言ったって」とアネットは唇を尖らせる。
「そんな目に遭ったのだって、ウィズが勝手に銃を抜くからじゃないの」
 言うなり、ぎろりと睨みつけられた。
「なにそれ、全部僕が悪いって? アネットだって応戦したんだろ」
「別に全部だなんて言ってないでしょう。そもそも私は被害なんか出してないし」
「それはただの力不足じゃないか。相手が警察じゃなかったら大事な文書を奪われてた」
 あくまでも非を認めない弟の姿に苛立ちが募る。言い合いを続けても不毛なだけだと判断し、ついとそっぽを向いた。
「ウィズはいつもお姉ちゃんの言うことを聞かないんだから」
「毎度毎度迷惑をかけてくるくせに。こういうときだけ姉貴面しないでくれる」
 それきり会話はぷつりと途絶えた。寒々しいものを感じて、アネットは壁をにらみつける。
 アネット、と呼ばれるようになったのはいつからだろう。昔は確かに姉さんと呼んでいたはずだ。しかしそれも今では名前に変わり、姉というよりはむしろ手のかかる妹として見られているような節がある。
 自分がたびたび面倒事を家に持ち込んでいることも、その被害を彼に被せたことも、度々あったことは確かだ。それが原因になるのか喧嘩をすることも多々あった。しかしその頻度が、ここ最近になって一気に増えているように思えてならない。言い負かされるのもやりこめられるのも決まって自分、それはアネットの持ち込んだ種でなくとも同じことだった。
 胃の痛くなるような沈黙は日が暮れるまで続いた。打ち切ったのは再度扉を開いたレナードだ。
 右手の盆には軽い食事と水の入ったコップが乗せられている。背中を向けあった姉弟の間の机にそれを下ろすと、彼は自分を睨みつける視線を軽く受け流し、余っていた椅子に座り込む。
「腹が減っているだろうと思ってね。どうぞ」
 手をつける者はいなかった。それじゃあ俺がと自ら中心の焼き菓子に口をつけて、レナードは背もたれによりかかる。
「そういや聞いていなかったな。名前は」
「……アネットです。アネット・レイ」
 ふたりの視線を同時に受けたウィゼルは、沈黙のあとに「ウィゼル」と小声で答えた。口の中のものを飲みこんで、レナードはふむと声を漏らす。
「友人か……それとも恋人か何かか」
「こっ――」喉で言葉を詰まらせて、アネットは大きく首を振った。「姉弟です。私が姉で」
 へえと声が上がる。彼は目だけでふたりを見くらべて渋面をした。
「似てないな」
「少しでも似た要素があったら僕は人生やり直すよ」
「ちょっとウィズ、それどういうこと!?」
 勢いよく机をたたくとコップの中の水が揺れた。レナードが迷惑そうにアネットを見やったが、ウィズはつんと余所を見たまま彼女に気を向けようともしない。その態度が余計に苛立ちを煽った。勢いに任せて息を吸ったアネットの目の前に、レナードが軽く手を振った。
「悪かった、俺が悪かったから、喧嘩はそこまでにしてくれないか。話が進まない」
 アネットは怒りを煮えたぎらせながらも、浮かせかけた腰を下ろす。張り詰めた空気を打ち壊すような咳払いが響いた。
「あー、身元の確認は取れた。運ばれた文書は本物だったし、パーセルの市長もきみたち、いや、正確にはアネット、きみを送りだしたことを認めている」
 ぼやきながらパーセル市へ向かったニールが戻ってきたのだろう。思い当たってひそかに同情を向ける。列車での旅程より数時間帰りが早かったのは、おそらく公的な理由を元に航空機を用いたためだ。
「文書の内容は、パーセルで発掘された継力鉱石の利用権をユークシアに委譲することを認めるものだった。おそらく即位に時期を合わせたんだろう」
 ユークシアに新たな国王が即位して、まだ一年も経たないのだ。歓喜に沸く群衆の写真を新聞で見たのも記憶に新しい。
 パーセルという地域、まだ独立都市となる前のその地域は、豊富な鉱物資源に恵まれたばかりに数々の戦争に巻き込まれてきた。パーセル市としての主権を認められて以来、その地で掘り起こされた資源の使い道は、彼らが市議会によって決定することと定められている。
 今回ユークシアに継力鉱石の使用を委託したのも、新王に市の穏健な態度を示すためなのだろう。パーセルはもうかつてのような悲劇を望まない。その意志の表れだ。
「議会の方も受け入れる方針で話を進めている。そのうちパーセルに勅使が――」
「そんなことどうでもいいんだよ」
 話を遮られたレナードであるが、不愉快そうにする様子はない。小首を傾げてウィゼルの言葉を促した。
「身元の確認は取れたなら僕たちは自由だろう。こっちはパーセルに帰りたいんだ、早く解放してくれる」
 手招きをするようにした右手は、私物である継力銃の返却を求めるものだ。
 しかしレナードはゆっくりと首を振る。
「それはできない。きみたちにはもう少しここ、俺たちの監視下にいてもらう」
「はあ!?」
「ボルド・トートマン氏は分かるな。パーセルの代表殿だ。彼にきみたちの活躍――うちの部下との立ち回りを伝えたら、氏は顔を真っ青にしてね。きみたちの処遇を、こちらに任せると言ってくれたんだ」
 アネットとウィゼルは揃って絶句する。
 頭に浮かんだのは、売られた、という言葉。パーセル市や彼が責任を負わされることのないよう、ふたりは切り捨てられたのだ。胸を揺らした衝撃はやがて諦念へと色を変える。
「……何を、しろっていうんですか」
 懲罰、労働。頭によぎった嫌な想像をなるべく膨らませないよう、アネットは苦々しく呟いた。
 レナードは話が早くて助かるよと一笑する。
「明日、バームまで同行してもらう。ここからずっと南、ユークシアの辺境にある町だ」