選ぶ道は細く狭いもの。光の届かない裏路地であればより好ましい。
アネットには及ばないものの、ウィゼルもまた王都の地図をあらかた頭に叩き込んできた。通ることはないであろう道はきっぱりと切り捨て、駅から議事堂に至るまでの無数の道を、大きなものから小さなものまで覚え込むことに気力を裂いた。
ついていくと言ったのが自分であることはよく理解している。ただのお荷物になるつもりはない――そもそも、アネットに馬鹿にされることだけは何があっても耐えられなかったのだ。
それが思ってもみない形で役に立った。人通りの少ない道を選んでいけば、やがて道には木箱や廃棄物といった大型の障害物が散乱するようになる。それらを上手く避けながら後方に耳を澄ませば、確かに自分を追う足音が聞こえてきた。
人数は五、六人といったところ。半数以上が自分を追ってきたことを察して、ウィゼルはほくそ笑んだ。
「アネットの策でも、馬鹿にならない、ってとこ、かな」
走り続ければ当然息が上がる。日ごろ運動不足気味の体ではなおのことだ。あまり悠長にしてはいられないと判断し、ウィゼルは腰元の継力銃を引き抜いた。
銃身はかつて流通していた旧式銃と同じ合金製。ゆえに現在軍事目的で用いられるような継力銃に比べれば遥かに重い。しかしその分、中に組み込む回路は精密に、かつ極度なまでの小型化改良を重ねてきた。射撃技術に関すればウィゼルはずぶの素人であるが、そもそもこれは弾丸を発するための銃ではないのだ。目立った故障のないことだけを軽く点検して、右手に握りこむ。
長い直線通路に至ったところでふり返った。揃って角を曲がったばかりの男が五人、慌てて立ち止まる。
皆若い、とはいえ、ウィゼルよりはいくつか年上である。誰もが二十代前半から、多く見積もっても三十には届かないだろうという青年たちだ。想像していた以上に身なりはきちんとしており、粗暴そうな様子はない。
そのうちの一人が、意を決した表情で前に出る。
「おい、君」
彼の声を聞き次第、ウィゼルは銃の安全装置を跳ね上げた。
「……こっちについて来るなんて、本当、運がないよね」
言い残すだけ言い残して、再び駆けだした。相手が追ってくることを確認すると、さらに狭い道へと行く先を変えていく。
角を曲がり、積み重なった木箱を乗り越える。そこでぴたりと動きを止め、片耳を塞いで、背後へと銃口を向けた。足音が目の前に現れた瞬間を狙って両目を閉じ、引き金を引く。視界を白に塗りつぶす閃光が走り、続いて爆音が鼓膜を震わせた。
すぐに、木箱の向こう側から情けない悲鳴が上がった。数秒待ってからウィゼルが目蓋を上げると、目を眩ませて障害物に衝突したらしい青年たちが、山となって倒れている。
「ご苦労様でした」
道化のように呟くも、もう彼らにその声は聞こえていないのだろう。至近距離で轟音を響かせたのだから、数分耳は使い物にならないはずだ。きいんと耳鳴りのする片耳に手をやって、ウィゼルはひとつため息をついた。
傷害を目的とした発砲ではない。罪に問われるようであれば、そう答えようと決めていた。あくまで自衛のため、逃走のために、閃光と爆音だけを発する継力銃を用いたのだ。彼らが怪我を負っていたとしても、それは自ら木箱に衝突していっただけのことである。
「しょうがない、しょうがない」
口先だけでくり返す。――もとからアネットの指示に従うつもりはなかったのだ。
最初にふり返ったそのとき、青年たちは息ひとつ乱していなかった。それはウィゼルが本気で走っていたところで同じことだったろう。体力、その持続力、共に大きく差がある以上、彼らを撒こうとするなら自分から仕掛けるほかにない。
追ってくる気配のないことを確認してから、ウィゼルは呼吸を整えるべく悠然と歩きだす。あとは最短距離を進んでいけばいいだろう、と頭の端で考えていて、――ゆえに反応が遅れた。
視界に人影がちらついた、その一拍後には、強い衝撃を受けて吹き飛ばされている。ねじ込まれるような痛みは腹を蹴られたためだ。肺から空気が追い出され、ウィゼルは立ち上がることも忘れて必死で咳き込んだ。
「……なっ、に」
喉の奥からはくぐもった声が出た。涙に滲んだ目が、数度のまばたきの末に相手の姿をとらえる。
青年だ。三十に届くか届かないかという年ごろだろう。背は高く、細身ではあるが触れれば硬そうな体つきをしている。その実、ウィゼルは彼によって、軽々と蹴り飛ばされた上に地面を転がることになったのだ。
継力銃を離さなかったことだけは最後の意地だった。腹の鈍痛に耐えながら引き金に指をかけると、青年はその銃にちらりと目をやる。
「継力を利用した音響閃光弾か。なるほど、個人で作るにしてはよく出来てる」
奴らにも仲間がいたのだ。ウィゼルは歯がみする。彼の目の前で青年は自らの懐から継力銃を引き抜き、ウィゼルの額に銃口を向けた。
「ただ、及第点はやれないな?」
「……っ!」
ぞくりと背筋を走った冷たさに、ウィゼルはためらうことなく引き金を引いた。同時に青年もまた発砲する。撃たれた、と身を凍らせたが、いつまで経っても痛みも衝撃も襲ってこない。その上、確かに放ったはずの閃光と爆音は、ふたりの目の前で炸裂することもないままかき消えている。
「なにが……」
思考が追いつかない。呆然としたウィゼルの右肩を、二度目の蹴りが襲った。悲鳴を上げることもできずに倒れ伏した彼の背中に重みが乗る。それは直前にウィゼルを蹴りつけた足に違いなかった。そのまま体重をかけられて、筋肉のない背と腹が圧迫される。
「ちょっとおいたが過ぎたな。――おーい、いつまで転がってるつもりだ!」
靴音が地面を踏む。ウィゼルが横目でそちらを窺えば、木箱に体を打ち付けたうちの一人が、よろよろと障害物を乗り越えるところだった。
「なんなんですかもう、こんなの聞いてませんよ……子供を追いかけて、どうして怪我人が出るんですか」
耳鳴りが続いているのか、不平を漏らす声は必要以上に大きい。自分に声をかけた男だろう、とウィゼルはその声で判断する。
「臨機応変に動けなきゃ駄目だなニールくん。ちゃんと仕事しないと給料から点引くぞ」
「ひどい横暴だ……」
ニールと呼ばれた青年が涙目で非難の声を上げた。
身動きが取れない中、ウィゼルは必死に頭を働かせる。彼らの手にしていた継力銃はユークシアで大量生産されるものと同じ形状をしていた。ウィゼルのように個人的な都合で継力回路の設計を行う者が作る銃器とは異なり、それらが一般の市場に出回ることなど皆無と言っていい。加えて彼らは給料制の下で動いている組織だという。
ひらめくものがあった。まさか、と大人しくなったウィゼルを見下ろして、ニールは様子を伺うように瞬きをする。
「それで、その子。どうするんですか」
「そりゃあ、いつまでもこっちにばかり気を取られている訳にもいかないだろうさ。まあ、あっちもあいつ一人で十分だとは思うが」
――アネット。
その名前が頭に浮かんで、ウィゼルは思い出したように体をばたつかせた。突然の反抗にニールこそ身をびくつかせるが、足で背中を踏んだままの青年は意に介する様子もない。
しばらく考え込む様子があって、一言。
「とりあえず、眠ってもらうか」
こめかみに衝撃を受ける。ウィゼルはそのまま、意識を取り落とした。