祝祭を控えた家々の軒先には、ユークシアを象徴付ける白と紫の花々が植えこまれた植木鉢が並ぶ。駅から伸びる道には見栄えのするように煉瓦が敷き詰められていた。
 背の高い建築物につられて頭上を眺めていたアネットは、点々と配置された継力灯に目を取られる。ウィゼルの袖を引いて「ね、ウィズ」と指さしてみせると、胡乱げな目がそれを追った。
「ただの継力灯じゃないか。パーセルにだってある」
「でも、形があんなにすっきりしていないし、そもそもこんなに沢山はないでしょう?」
 油を用いるランプに代わり利用されるようになった継力灯は、燃料を必要としなくなったという点で各国の労働形態を大きく変化させた。今や先進国の動力源となった継力の技術的進歩の代名詞だ。継力を生みだす鉱石とその加工技術、回路の知識さえあれば、ほとんど人手も要らずにつくり上げることができる。
 とはいえその継力鉱石が問題であり、一度の採掘量が少ないため、とても一般の町村では手に入れられるような代物ではない。
 町並みを歩くたびにもの珍しそうに左右するアネットの頭を、ウィゼルは後ろから小突いた。
「恥ずかしいからやめてよ。田舎者まる出しだ」
「仕方ないじゃない、田舎者なんだから――ああっ!」
「……言ってるそばから」
 ウィゼルの嘆きも耳に入らず、アネットは顔を輝かせる。上空へと向けられた視線の先には飛空船が浮かんでいた。風を切るプロペラ、ガスを貯め込むための楕円型の形状と、見かけは石油を利用する旧型のものと同様だが、その推進の早さを見る限り継力機器を搭載した最新型に違いない。
 本物だ。アネットは震える声で呟いた。
 新聞の写真で見るばかりの継力式飛空船は、パーセル市内には存在しない。小さな市の中では大人数用の長距離移動手段を用いる必要がないためだ。趣味で飛行機や自家用車といった機器を他国から買い付ける者はいるが、市法のせいでその使用がパーセル市に限られるとあってはほぼ使い道が存在しないも同然なのだった。
「ウィズ、あれ、乗っちゃ」
「駄目」
 アネットが落胆を露わにする。視線だけは一度飛空船に向けたウィゼルであるが、特に関心を持つようなこともなく彼女のもとに戻してしまった。「確認するけど」と切り出して、いくらか真面目な顔をする。
「きみの持ってる文書をユークシアの議事堂に届ける。で、いいんだね?」
 ウェストポーチにさりげなく触れて、アネットはうなずいた。その中に入っているのは丁寧に封のされた一通の手紙である。昨晩、パーセル市の市長を務めるロイ・ソディック氏から預かったものだ。
「議事堂にならパーセル市の代表さんがいるから、受付で呼び出せばすぐに応じてくれるって」
 独立都市として隣国から距離を置くパーセル市であるが、毎回ユークシアの議会には慣例として代表を送ることになっていた。それは同国への友好の証であり、同時に警戒の証でもある。今季の代表として送り出されたのは、市長の遠縁にあたるボルド・トートマン氏であった。
 誠実なソディック市長の親戚ならば、彼もまた信頼の置ける相手なのだろう。アネット自身には何の不安もなかったが、ウィゼルは今もまだ渋い顔のままだ。
「本当、なんでアネットなんかが任されたんだか」
「市長さんが認めてくれたの。私、学校の成績はいいんだから」
 大きく胸を張る。根は真面目である彼女が、学校において優秀な生徒として扱われていることに嘘偽りはない。しかしウィゼルは変わらずじっとりとした目を彼女に向けていた。
「一昨日は確か、ブレンダさんが行く話になってたよね」
「う」
「昨日はフローゼルさんが行くって聞いた」
「…………うう」
「どうせ面倒ごとが廻り廻ってきただけだろ。自慢そうにしないでくれる」
 図星であった。アネットはついにぐうの音も出せなくなる。
 自らの店の経営に忙しい女性たちは、誰もがユークシア行きを断ったのだ。列車の片道だけで半日近くかかるような長旅は、誰にとっても厄介なことに変わりない。昨日の夜になって断りを入れられ、市長は困り果ててしまったという。
 そこで白羽の矢が立ったのが、最近小型機墜落事件を引き起こしたばかりのアネットだった。
 頃よく学校は長期休暇に入っている折。念願のユークシアに行く機会を得たアネットは、裏に潜んだ大人のやり取りをあえて見て見ぬふりをしていたのだ。
「いいの、市長さんのおかげでユークシアに来られたんだから。ちゃんとお仕事して帰るわ。こんなに素敵な町を見られただけで十分」
「素敵、ねえ。どこがいいんだか。あちこちごちゃごちゃしてるだけじゃないか」
「そう?」
 今や継力大国ユークシアの名は大陸中に轟いている。
 百年ほど前、継力を初めて新たな動力源として運用し始めたのが、他でもないこのユークシアであった。当初ユークシアは継力鉱石の加工技術を一国で独占していたため、その特出した技術力をもって、瞬く間に大国の地位へとのし上がった。進んで継力技術の提供を行うようになった現在であっても、今後数百年は盤石な地位が揺らぐことはないとされている。
 そんな継力大国の王都である。趣味と称して日夜継力回路の設計に取り組んでいるウィゼルからすれば、宝の山のような場所のはずだ。にもかかわらず彼は町に溢れる継力機器の数々に関心を向けることすらしない。むしろ今朝方から機嫌の悪さを剥き出しにしているのだった。
「分からないなあ」
 アネットがひとりごちて、それきりふたりの間の会話は途切れた。
 駅から議事堂へと続く道順は頭に入れており、そのため心には余裕があった。幾分か落ち着いた気持ちで歩を進めていたが、途端に雑踏に紛れて確かに響く足音がやけに耳につくようになる。アネットは口の中に溜まった唾を飲み込んだ。
「ウィズ」
 小声で呼んで、大きな通りから道を逸れた。
 遠くの足音は一度うろたえて、すぐに同じ道を選び取る。どんなに入り組んだ路地を選んで歩こうとも、その足音は逸れずにふたりを追った。自分の行動に説明を添えなかったアネットであるが、ウィゼルもある程度状況を察したらしい。
「狙いは文書かもね」彼女にだけ聞こえるように声を落とす。「もしくは、田舎者を狙った誘拐犯か」
 その声色がいつもと変わらないので、アネットもいくらか平静を取り戻した。表情だけを固くしたまま同じ歩調を保つ。
「一人や二人じゃないと思う。……ウィズ、確認するよ」
「どうぞ」
「二手に分かれて議事堂を目指す。文書が目当てなら、男のウィズのほうを狙うはずだから……どちらかが議事堂についたら、すぐに助けを呼ぶこと。くれぐれも応戦なんかしない。いいね」
「りょーかい」
 ウィゼルは軽い調子で返事をするが、アネットは思わず彼の腰元に目を向けてしまう。
 服の裾に隠れるようにしてはいるが、そこには不自然な膨らみがある。彼が“個人の趣味”でつくり上げた継力銃だ。無論傷害を意図した発砲はパーセルの市法、ユークシアの国法の両方で禁じられている。「応戦は駄目、だからね」とくり返して、アネットは嫌な予感をふり払うように前を向いた。
「どうしても合流が難しい場合は――」
「パーセルで待ち合わせ。何度も言われなくても分かってるよ」
 ひらひらと手を振られる。それが迷っていたアネットの背を押した。
 最後に無事を祈りあう。別の道を選んで、駆けだした。