収穫祭が近いのね、と外を眺めたクローディアに、シルヴィアは一抹の寂しさを感じていた。
 娘も盛りという二十の手前。領主の一人娘であるところの彼女は、軽率に外出をゆるされない身となっていた。生来の体の弱さはもとより、クローディアの身分、それに箔をつける器量のよさが、彼女が人目に触れることをよしとしなかったためだ。
 そんな当人も幼い頃は、頻繁に村に降りては及び腰の少年たちを泣かせていたらしい。収穫祭の伝統を知っているのも当然のことだった。
 部屋をあとにしようとしていたシルヴィアに、クローディアはにっこりとほほ笑みかける。瞳に意地悪な光を浮かべて「あなたはどうするの」と尋ねた。
「どうするの、とは」
「花冠は誰に贈るのかしら。特にお相手がいないのであれば、両親に贈るのが通例だったと思うのだけれど。確か去年はそうしていたわね」
「はい」
 贈る相手が見つからなくとも、花冠を作る行為そのものが村人の習慣として染みついている。そのため収穫祭当日は仕事を休み、早朝から花冠を編み始める者がほとんどだった。例年のシルヴィアもその例に漏れず、たった一日の祭のため、前日に村へと続く坂を下り、その夜のうちに再び屋敷へ戻ってきたのである。
 自分の下仕えが収穫祭の思い出を語ったときのことを、クローディアも記憶していたのだろう。彼女は身を乗り出すようにして、膝上の本をぱたりと閉じた。
「他に花冠を贈る相手は決まって? 気を惹かれる殿方は見つかったのかしら」
「い、……いえ、まだ」
「なんだか歯切れが悪いわね。このようすだと、気にかかるお相手ぐらいはいるのかもしれないわ」
「お嬢さま!」
「ふふ、シルヴィアがいけないのよ。あんまりかわいらしいものだから」
 年ごろの近い屋敷の使用人を、クローディアはひときわ気に入ってそばに置きたがる。領主もその夫人も、外に友人を作りにくい娘を哀れに思っているのだろう、いくらかのひいきには目をつむっている節があった。渋い顔をするのは乳母のデボラぐらいのものだ。
 クローディアはくすくすと笑って、もう一度窓の外を顧みた。日はすでに半身を山峰へと沈ませている。週末の日暮れどき、帰路につこうとしていたシルヴィアをその部屋に縫い留めるのは、憂いを帯びたクローディアの横顔だった。
「お嬢さま――」
 ゆえに、幼いシルヴィアには、口から飛び出そうとしたものを押しとどめるすべなどなかったのだ。
「村に、下りられてはいかがでしょうか。収穫祭の日だけであれば、旦那さまも許して下さるのでは」
 凪いだかのような沈黙が漂う。クローディアは目をみはったきり、一言として言葉を発さなかった。
 失敗した、と悟る。シルヴィアが早々に後悔し始めたころ、クローディアはその瞳には珍しい戸惑いの色を浮かべていた。
「どうかしら、頼んだことがないから……でも、そうね、一日だけなら。テオの観光の付き添いにと言えば、もしかしたら外に出してもらえるかもしれないわね」
 クローディアの表情に輝きが戻る。シルヴィアはそれを、ひとまずは安心の形で受け止めていた。直後ににじみだす不安をひた隠しにして笑ってみせる。
「お嬢さまがいらっしゃるなら、きっと村の者も喜びます」
「そう言ってくれると嬉しいわ。ああ、ずいぶん引き止めてしまったわね。今週もお疲れさま、ゆっくり休んでちょうだい」
「はい、お嬢さま。失礼いたします」
 それは収穫祭までちょうど一週間を残した夏の日。
 自分の提案が正しいものであったのか、シルヴィアには判断がつかないでいた。

 シルヴィアの消沈は両親に見通されていた。休日の日課から家事をいくつか免除された彼女は、いたたまれなくなって家を飛び出したのだった。
 戻ったところで、気遣わしげな目が向けられるばかりだ。ジゼルと仲たがいをした手前川べりにも寄りつきにくい。困り果てたシルヴィアは、ひとり村はずれの野原に足を運んでいた。夏を直前にしたこの季節、そこにぐんと背を伸ばした花々が咲き乱れていることを知っていたのだ。
 シロツメクサを一本、また一本と摘み取っては、てのひらのなかで編んでゆく。茎がくるりくるりと宙を舞うのを、無言のままで見下ろしていた。時間をかけて一周の軸を編み終えたところで、今度はその隙間に別の花を縫い留める。手元に集中しきっていたシルヴィアは、背後に迫っていた足音にも気付けなかった。
「相変わらず器用だね」
 きゃっと悲鳴を上げて、シルヴィアはシロツメクサの花冠を取り落とす。茎の束は指先から放たれて散乱した。
 あーあ、と声を上げたのはバジルだ。シルヴィアは手ぶらの少年をふり返る。
「どうして」
「ようすを見て来いって。マーシュさんたちから母さん伝いに。行き先もわかっていないのに、頼むほうは気楽なものだよね」
 バジルは文句をつけながら、当然のようにシルヴィアの傍らに座りこむ。放り出されたままの花冠を拾い上げて眉をひそめた。
「どうやったら作れるんだよ、こんなの」
「どうやったらって、ふつうに、花を編んでいけばいいじゃない」
「シルヴィアのふつうが僕のものと違うことはよくわかったよ」
 バジルは手慰みに花を引き抜くと、見よう見まねで編んでいく。花々のあいだに隙間が空いても、当の本人は気にしていなかった。シルヴィアはしばらくそれをはらはらと眺めていたものの、手持ちぶさたになることを恐れ、自分も一から花冠を作り始めた。
 野花につる草、群生するローズマリー。花々の香りは混じりあい、ひとつに春のにおいとしてシルヴィアの鼻にもぐりこむ。花冠を作るのは、それに区切りをつけるためだ。花の季節を終えて、鮮やかな夏を迎えるため。
 ならば、春に募った想いは、どこへゆくのだろう。
 切り取られた花々は、一日と経たずにしおれてしまう。花冠もその日限りのものだ。手を止めたシルヴィアの膝元で、花がゆるりと首を傾けた。
「……花冠なんか」
 バジルのつぶやきに、シルヴィアは指先をはね上げる。しかし彼は手元を見つめるばかりで、少女を一瞥だにしていなかった。
「作ったって、意味はないんだ。お嬢さまが下りてくるわけじゃなし。シルヴィアだってそうだろう」
 シルヴィアが屋敷に戻るのは祭が終わるころ、日の沈みきった時間帯だ。早朝に編み上げた花冠も当然しなびているだろう。そうね、と答えるシルヴィアの声は、けれども、最後まで暗い色を帯びることはなかった。
 花冠を贈るだけの言い分をふいにしたのは、他ならぬシルヴィアだった。つるに足を取られているような心地がして目を伏せる。
「なら、バジルの花冠は誰に渡すの」
 こぼれてしまった問いかけには、真意を測ろうとする視線が返される。シルヴィアは花冠をにらみつけ、それに気づかないふりをしていた。
 ややあって、さあ、と平坦な声がする。編み終えた隙間だらけの花冠を、少年は渋い顔で膝元に放った。
「渡す相手なんかいないよ。いつもと同じだ」
「それじゃあ私が――」
 貰ってあげても。
 吐き出さずに済んだのは、すんでのところで理性が待ったをかけたからだった。
 首の裏にどっと汗がふき出す。視界がくらむような錯覚を覚えた。なんでもない、と早口で添えた言葉さえ、声になったかも定かではない。
 横目でバジルを伺えば、彼は平然とシルヴィアの指先を眺めている。――耳には届かなかったのだ。シルヴィアはほっと胸をなでおろす。
「私も……きっと、お父さんとお母さんに渡すことになるわ」
 せいいっぱいの平静を取りつくろう。シロツメクサの花冠は、シルヴィアのてのひらの上、いくらか色あせて見えた。
 互いに口をつぐんだまま、野花のこすれ合う音に耳をすませる。腕輪ともつかないほどのちいさな花冠をいくつも編んでいた幼少期が思い出されて、シルヴィアはうすいため息をついた。
 前ぶれもなく風がやむ。昼下がりの太陽を、薄い雲が覆っていった。
「あまり遅くならないうちに帰ったほうがいいよ。……それと、手紙のことだけど、収穫祭の次の日には書きあげておくから。僕の仕事はそれで終わりだ」
 バジルが土を払って立ち上がる。シルヴィアは頬を膨らませた。
「せいせいする、みたいな言い方をするのね」
「どうだろうね。実際、そうなのかもしれない」
 伝え忘れていたけど、とぞんざいに言って、バジルはシルヴィアを見下ろした。強く吹きつけた風が、彼の髪をなぶる。バジルはそれをわずらわしげに払いのけた。
「収穫祭が終わったら、僕たちは都に移り住むんだ。父さんに大きな仕事が入ってね。ここにある書物じゃ限界があるから……スェルタとはもう、さよならだってこと」