大陸の端に位置するアルジュ公国の、そのまた端にユ・タスは位置している。
 大河を逸れた土地に花や緑の気配はない。針葉樹や背の低い植物が疲れ果てたように立ちつくしているばかりだ。かつてのユ・タスは、都市に移り住む金銭的余裕のない人々が、死の影に怯えながら暮らす街でしかなかった。
 そんなユ・タスに転機が訪れたのは、四十年ほど前のことだ。
 ユ・タスには狂人がいた。乾いた地面を飽きずに掘り返し、農業を行おうとする男だった。人々に蔑まれていた彼が、ある日、くわの先に確かな引っかかりを覚えたのだ。石や岩を取り除くのと同じ要領でそれを掘り返し、しかし男は首をひねることとなる。精巧な掘り模様の施された壺が、完全な状態で出土したのだった。
「古代文明の資料に示された図柄と一致する」
 ユ・タスを訪れていた学者が、彼を捕まえたことがきっかけだった。壺は早急に都へ担ぎあげられていった末、目もくらむほどの高値で引きとられていったのだ。男は一生の平穏を約束するほどの富を得て、中央都市へ移住していったという。
 当地にはまだ古代の遺構が眠っている――そんな考古学者の見立てが、幾人もの発掘家と資本家を駆りたてた。狂人の発掘は、野望を抱く人々の尻に火をつけたのだ。枯れ果てたユ・タスはそれまでの倍以上の人口に詰めかけられ、遺跡の街の名を欲しいままにすることとなる。
 夢の街。誰かがユ・タスをそう讃えた。
 野望の掃き溜め。街人たちはユ・タスを嘲笑った。
 いくつもの夢と野望が産まれ、潰える場所。ルカの産まれた故郷はそんな街だった。

 土煙越しの太陽がざらついた光を放っている。薄青の空は黄土色に曇り、雲の有無を判断することさえ難しい。その下を、人々はズボンの裾を引きずるようにして歩いていた。
 石造りの建造物が並ぶ街路には、昨今になって鉄製の門が増えている。富を守るべく硬く閉ざされたそれらの前で、物乞いの子供が観光客にすり寄っていた。ルカの目前で振り払われた少年が、耳の汚れるような罵り言葉を吐き捨てる。彼の裸の上半身にはあばら骨が浮いていた。
「見せもんじゃねえよ」
 彼にちらりと目を向けるや否や、痛烈な舌打ちがルカの耳朶を打つ。ルカはフードを引きかぶって顔を背けた。
 路上に放り出される子供の存在は珍しいものではない。それでも強いて過去との変化を探すのであれば、彼らの肌の色、目の色が、現地住民とは異なるものになり始めたことが挙げられる。夢を追っていた家族のなれの果てであることは、誰の目にも明らかだった。
「やあやあお嬢ちゃん、ユ・タス名産の工芸品はいかがかね」
 横合いから声をかけられ、足を止める。赤土に敷かれた麻布の上、露天商が愛想笑いで手をこまねいていた。ルカは腰に手を当て、彼に向かって首を振る。
「お生憎さま。私はここの生まれよ、おじさん。遺跡掘り」
「なんでえ、もぐらじゃねえのか。それならこじゃれた上着なんか着ないでくんな。紛らわしいや」
 露天商は笑顔の仮面をぺろりと剥ぐ。ルカは肩をすくめた。
「女の子に向かって、その言いようはないんじゃない?」
「朝晩土を掘り返してるんだろう、それじゃあ男どもと違わねえよ。かわいこぶるなら胸の筋肉を脂肪に変えてからにするんだな」
「それもそうね。このぶんだと、あなたの手首もへし折っちゃえるかも」
 冗談めかして口にする。露天商は高らかに笑い声を上げた。彼の肌もまた、ルカ同様に浅黒い。ユ・タスの生まれであることは疑いようもなかった。
 現地住民を装って売買を行う商人が増えた今、彼のような人間は珍しい。赤の他人であるとはいえ、ルカの肩の力はすっかり抜けていた。
「商売はどう、好調?」
「いいや、さっぱりだな。俺も発掘品の横流しでもするべきかねえ」
「そんなことされたら、私の方が商売あがったりだわ。やめてよね」
「冗談だって。手首は勘弁してくんな」男はひらひらと手を振って、ふと神妙な表情を見せる。「にしても、困ったもんだな。もぐらのおかげで小奇麗なものはあらかた揃っちまうし。俺たちが汗水流して作ったものなんざゴミ同然だ」
 ルカは声を落とし、そうね、と同意した。
 ユ・タスへ移り住んだ者たちを、現地住民はもぐらと呼んで嫌悪する。金に目をくらませ、土をかき分ける姿を嘲っての呼び名だった。彼らが通ったあとに残るのはずぶずぶに掘り返された大地と生活だけだ。
 もぐらの名は、なにも発掘を目当てに訪れた者だけを指しているわけではない。古代文明に惹かれた観光客や考古学者、儲け話を嗅ぎつけた商人たち――ユ・タスに雑踏を呼び込んだ全ての人間がもぐらたちであり、等しく蔑視を受ける対象だった。先ほどぶつかった相手もその手合いなのだろう、とルカは頭の端で考える。
「お嬢ちゃんからすれば、もぐらが来てくれた方が助かるんじゃないのかい。俺も詳しいわけじゃないが、遺跡掘りってのは雇われ仕事なんだろう? 雇い主が増えれば増えるほど、選んでもらえる可能性は高まるんじゃないか」
「……そうだといいんだけどね。そうも簡単にはいかないの」
「ほお、そりゃどうして」
「斡旋所が私を信頼してくれていないから。小さい土地でちまちま土を掘っている私なんか、誰にも目をつけられなくて当然よね。そんな土地も国指定の発掘現場なわけだから、発掘権を持つにはお金を払わなきゃいけないし。借金がたまってもう大変」
 遺跡掘りが公国から発掘権を買い、その遺跡掘りを資本家が雇用する。そうした資金の流れができて初めて、ユ・タスの発掘作業は行われるのだ。
 雇用者の見つからない遺跡掘りは、どんなに技術があったところで土を掘ることさえままならない。掘り手が同じ土地に固執しており、それが経験の足りない少女ともなれば、資本家がルカを雇用する理由など無に等しいのが現実だった。
「なるほどねえ」
 露天商は相槌を打って、「大変なんだなあ」と漏らす。話の半分も理解してはいないのだろう、彼の目は虚空を漂っていた。
 ルカはくすりと笑う。愚痴を愚痴として受け取られなかったのは幸運だった。そのまま会話を切り上げようとして、突如遠くで上がった歓声に唇を結ぶ。
 ユ・タスの街に、主要な発掘場は三つ。それらには十人単位の遺跡掘りが充てられており、多いときで週に一度の発掘を成し遂げている。ルカが耳にしたのは、北の一箇所から届いた祝いの声だった。露天商が顔だけをそちらに向ける。
「盛大なもんだな。また一山あてたか」
「大きなところじゃ発掘が見せものになっているから。女の人の声がしたでしょう? いい商売よね」
 ルカの声に拗ねが混じる。露天商がぱちぱちと瞬きをした。
「お嬢ちゃんは大きい現場には行かねえのか。山ほどブツを掘りだせた方が得だろうに」
「そういうところほど発掘権が高くつくのよ。とても払えたものじゃないわ。斡旋所に評価してもらわないと、紹介すらしてもらえないし」
「じゃあ今はそこに行くのが目標、ってわけか」
 返答は言葉にならなかった。ルカの沈黙は、再び轟いた声に紛らわされる。男と共に北を見つめたあと、彼女はひとつ息をついた。
「長居しちゃった。そろそろ帰るわ、家を空けたままにもできないし」
「おう。頑張ってくんな、お嬢ちゃん」
 三日後には土地すら取り上げられるのであろう遺跡掘りに、露天商はてらいなく応援を送るのだった。ルカは苦笑して「おじさんもね」と返す。空気に残った歓声の反響から逃げるように、家への帰路を急いだ。