初めに映したのは、網膜を焦がすような銀色。
 同じ姿をした二人の子供は、産まれたそのときからすぐ傍にあった。果てのない青の瞳、薄い唇に、透けるような白い肌。互いの瞳の中に互いを手繰り、ようやく自分の形へたどり着く。自分とあと一人、片割れの存在に気付いたなら、もう寂しさを感じる必要もなかった。
「ハルミヤ」
 名前を呼ばれたのは、なのに、“もう一人”のほうが先だった。彼女はまぶたをぴくりと跳ね上げ、怯えるように掌を握りこむ。すぐに大きな腕がその赤子を取り上げていった。泣き声もあげずに運ばれていく彼女を、ただ見送っていたのを憶えている。
「エツィラ」
 続いて呼ばれた名前には、突き放すような響きがこもる。――エツィラ・ディルカ。神子になるべく生み出された鏡像。代用の利く模造品のひとつ。すべてを知らされるのは、物心がついた数年後のことだ。
 けれども、もう、そのときには。
 自分こそが“もう一人”であるのだと、エツィラは確かに悟らされていたのだった。

     *

 鋭く息を吐き出して、粉塵の向こうを睨み据える。
(しぶといな)
 立ち込める土煙の中には、しかと揺らめく影があった。何度となく壁に叩きつけたはずの相手であるが、どうやらまだ立ち上がる力があるらしい。
 エツィラがごくりと唾を飲み込むや否や、煙は不自然に渦を巻き始める。直後、いくつもの無色の刃が粉塵を払って飛び出した。
「龍の御翼、その羽ばたき、穢れを払う一閃をここに」
 早口に紡いだのは祈りだった。それと同時、胸元の護符は焼けつくような熱を発し始める。
 法術――護符を媒介に操る、龍の力の一端だ。エツィラの身を中心に巻き起こった暴風のもとに、数多の刃は力なく薙ぎ払われる。続いて土煙から姿を現した人影も、その余波があっけなく吹き飛ばした。
 鈍い衝突音が響く。彼が今度こそ失神するのを遠目に確かめて、エツィラはふうと息をついた。近付く足音に、その主を確かめるまでもなく問いを発する。
「これで五人。以上ですか」
「ああ、今日の補習は終わりだ」
 ご苦労様、とも言われないのだから、わざわざ礼を告げる筋合いもない。エツィラは一度頭を下げるだけに留め、その広間を後にした。
 首元から護符をはぎ取り、法衣にこびりついた粉塵を払い落す。傷がつくのは避けているけれど、少しでも汚れれば片割れが不審がるだろう。乱れた裾を手で整え、まくりあげていた袖を下ろして、ふと目に留めた窓の中に自分の姿を見る。すぐにあっと声を上げた。
「あぶない、あぶない」
 邪魔になるからと結いあげた髪が、まだ頭の後ろで踊っていた。髪紐をほどけば、生来素直な質の髪はふわりと背中にこぼれ落ちる。それを軽く払って、エツィラは苦い笑みを浮かべた。
 片割れは、エツィラが自分と同じ姿をすることをひどく嫌う。
 否、正しくは、自分がエツィラと同じ姿をしていることを嫌うのだ。几帳面に結んだ髪、こわばった表情、のばされた背筋に硬質な足音まで、意識して差異を生み出してきたのは彼女のほうだった。補習を終えたままの姿で会いに行こうものなら、すぐにでもきつく寄せられた眉を見ることになるだろう。
「エツィラ」
 低い声に呼ばれる。
 相手は何度となくエツィラの補習を監督した神官のひとりだ。なにか、とだけ返すと、彼は無表情のまま口を開いた。
「昼告げの鐘が鳴ったら、学院長室へ向かいなさい」
「学院長室? なにか、先生方の気に障るようなことでも」
「神託が下される」
 胸を殴られるような衝撃に、エツィラはひととき言葉を見失う。しかし神官はそれを気にかけることもしなかった。
「その後は神殿地下へ。定期報告と調整だ。遅れることのないように」
「……わかりました」
 また帰りが遅くなる。ハルミヤに伝えなければ――それより、神子の一件をどう説明するべきか。受け取ると知らされたシヴァイの名前は。神殿はいつまで片割れを野放しにしておいてくれるのだろう。いくつもの不安が生まれては、胸の中でとぐろを巻く。神官が去っていくのを見送ってからも、エツィラはしばらく唇をかみしめていた。

「神託を与えましょう」

 その日、司祭クレマンがもたらす神殿議会の命が、なにより残酷な方法で片割れの存在を拭い去っていくとも知らずに。

     *

 風が季節を切り取っていく。白に染まった地平線を、青いばかりの空から遠ざける。
 神殿の窓からその景色を見下ろして、エツィラはひとり嘆息した。続きかけた愚痴をを押しとどめようと、白い裾で口元を押さえる。着慣れぬ法衣は、厚手の布で織られているにもかかわらず、冷え冷えとした感触を体に残していた。
 自分と同じ顔の少女が王都を放逐されて数日。その行方は知れない。けれども音沙汰のない現状から、生存の望みの薄いことだけは悟られた。
(どうして私だったんだろう)
 浮かび上がったそれは、誰にも投げかけられなかった問いだった。
(偽物は私のほうだった。本当に生きるべきだったのはハルミヤだった。母親の胎から産まれて、生きた、あの子が神子になるべきだった)
 考えて、エツィラの唇は皮肉に歪む。胸元では紫の宝珠が光を照り返した。
 神子という位が救いの約束された身分でないことは、もう何度となく言い聞かされている。所詮は命を持った管、命龍の延命のために用いられる人形だ。そうあることを望まれて生まれた以上、エツィラに逆らう意思はない。ふいに響いたノックの音にも、穏やかな声で相槌を打つことができた。
「神子エツィラ・シヴァイ。龍の御前へ」
「……はい」
 神官の指示に従って、長い階段を下りきる。たどりついたのは転移陣が描かれた小部屋だ。中央に取り残され、そこで初めて、転移陣の傍らに立つ神官が年若いことに気が付いた。彼の口元がこわばっているのを見て取って、エツィラは息をつく。
「ここは初めてですか」
 青年が目を丸くする。よもや神子から声が掛けられるとは思わなかったのだろう。しかしすぐに、恥じ入るように顔を背けた。
「産まれはここです。初めてもなにも」
「なら、あなたも?」
「ええ。……あなたと同じ、“兄弟たち”でした」
 過去形を取った言葉の理由を探り、しばらくして答えを見つける。彼にはもう一人の兄弟も残されてはいないのだ。原型となった人物も、幾人も産みだされたのであろう別の個体もまた。
 胸がじくりと痛みを訴える。耐えるように瞬きを挟んで、エツィラは彼から目を逸らした。しかしすぐに続くと思われた祈りの文言は、いつになっても吐きだされない。不審に思って再び青年を仰げば、彼は憐れみとも羨望ともつかない瞳でエツィラを見下ろしていた。
 そうして、問う。
「墓場に向かわれるご気分はいかがですか、神子様」
 エツィラは束の間、呼吸を止めていた。
 それに気付いたのは青年が首を振ったときだ。彼は頭をかき、何ごともなかったかのように息を吸い込んだ。よどみなく流れ出した祈りに呼応して、足元の転移陣は徐々に光を放ち始める。青年の横顔を眺めながら、エツィラはようやく胸中の鬱屈に答えを見つけ出していた。
(墓場)
 そう、自分が籠められるそこは、墓場でしかないのだ。
 死を待つばかりの命龍と、はなむけとして添えられた神子が、ただ終わりを儚む地。永遠を謳うそこが崩落の兆しを見せていることなど誰もが知っている。ゆるゆるとうつむいて、エツィラはぽつりとつぶやいた。
「数日前に、姉が死にました」
 祈りが途切れる。転移陣は穏やかな光を留め、音もなく揺らめいた。
「私にとって、あの子はすべてだった。この心臓も同然だった。私の体が作り物にすぎなかったとしても、あの子はたった一人の姉で、私の片割れでした」
 ゆえに厭うたのだ。
 彼女は自由を眼前にぶらつかせながら、それを掴み取ることもしなかった。人一倍臆病な片割れは、凛と立つふりをしながら、その実誰よりも生きるのが下手だった。
 もしも自分が彼女であったら。彼女が自分であったら。そう何度思ったともしれない。――そうすればふたりは、互いを羨むこともなかっただろうにと。
「それを失ってしまったから、私は、もう墓に入るしかないんだと……そう思います」
 屍が朽ちるのを待つだけなら、それで十分だ。
 それきり口を閉ざしたエツィラに、しばらくの無言が返る。神官の緑の瞳は、先ほどより幾分か憐憫の色を濃くしていた。
「……生死は知れない、と伺っています」
「え?」
 放られるような声に、思わず目を瞬かせる。
「神殿は未だ混乱の中にあります。あなたの姉の死は確認されていない。捜索の手はまだ緩められていない、と。もう顔を合わせることもないのですから、慰めにもならないでしょうが」
 見つけ次第処分が下されるのでしょうし。そもそも慰めるつもりで申し上げているわけではありませんが。早口で添えたあと、ややあって青年は眉を寄せる。エツィラが口元をゆるませていることに気付いたためだ。
「ですから。安らかにお眠りください、神子様。命龍の恩寵が、あなたとともにありますように」
 言い訳を遮るように紡がれた祈りが、今度こそ転移陣に力を与える。ねじまがった視界を暗闇に閉ざしながら、エツィラは決別の夜を思い出していた。

 ――奪い返す。

 一寸の迷いもなく言い放った片割れが、神殿の思惑を悟っていたはずもない。唇に漏れ出た笑みには、いつからか小さな嗚咽がかぶせられた。
(助けて。ハルミヤ。ミィ。会いたい。きみに。……でも)
 どうか、ここには来ないでいて。
 乞い、瞳を開く。瓦礫の重なる修道院跡地には、うっすらと死の臭いがくゆっていた。