逃げ場はいつも木の下にあった。
心ない言葉を投げつけられた朝、臆病を見透かされた日中。孤児院の廊下を抜けて、人の気を避けるように外へ。庭の木陰に辿り着いたところで、ハルミヤは隠れるようにしてしゃがみこんだ。
孤独だけが自分に寄り添っていた。喧騒も聞こえないふりをして目蓋を閉じる。音を、光を遮断して、ようやく正しくひとりになれるのだと思っていた。
「ミィ」
降りかかる声は、変わらずひとつだ。
けれども目を覚ますのはどうにも癪で、深く眠ったふりをする。意外にも彼女は溜息をひとつこぼすだけだった。
「仕方がないなあ、寝ぼすけさん」
今日だけだよ。
見のがしてあげると囁いて、しかし立ち去るわけでもなく。片割れはハルミヤの傍らに腰を落ち着ける。太く根付いた木の幹は、少女二人の背にもびくともしなかった。
「ほんとにきみは、私がいなくなったらどうするつもりなんだろうね」
(いなくなんてならないくせに)
耐えきれずに飛び出せば、いつか彼女が迎えにくる。どんなに深く傷つけられても、どんなに遠くへ逃げたとしても、まるで始めから居場所を知っていたかのように、彼女は片割れを見つけ出してしまうのだ。
だから彼女は枷だった。
ハルミヤが投げ出してしまわぬようにと、固い大地にしばりつけておくための足枷だ。
「冬の大地に龍ひとつ、凍る木の枝に花ふたつ、透かす御空に雪みっつ――」
数え歌はいつからか鼻歌の形をとりやめて、片割れの唇に韻を紡ぎ出す。十までを数えて詩が途切れると、彼女はまた一からを繰り返すのだ。調子外れのそれにけちをつけるのにも飽きれば、ハルミヤの意識も次第に遠のいていった。
「おやすみ、ハルミヤ」
約束が交わされる。
もう一度目覚めるときは、また、出会えるように。
冷たい寝台で目を覚ました。
冬を忘れていた国に、二度目の春が訪れる。しかし冷気の残滓は未だ寝室を蝕んだままだ。冷えきった耳に痺れを覚え、そっと目蓋を上げれば、夢の名残は引き潮のように薄れていった。
留まっていたいと願えば、まだ逃げ込むことができたのかもしれなかった。それでもハルミヤが目覚めを選んだのは、部屋の端に花の束を見たからだった。
青、赤、黄、そして白。咲き乱れる春の花――今日で、ちょうど一年。夢を見たのもそのせいだ。
胸につきりと痛みを覚え、毛布の外へ裸足を晒す。その微かな音が伝わったのか、殿下、妃殿下、お目覚めですか、と扉を叩く音があった。
「ああ、……今、起きる」
答えて腰を上げる。
冬の冷気が肩から腕へ、指先へ、ゆるやかに沁みていった。