序章
 翼を母親の腹に忘れてきた。だからアンゼリカは、ただのなりそこないだった。
 アンゼリカは自分の背中が嫌いだ。つるりとして、痩せっぽちで、肩甲骨がぽっこりと飛び出しているだけの背中。そこには“みんな”と同じ翼がない。ただの人間と同じ、まっさらな肌色だけが広がっているから。

「いや……やだっ、お母さん、お父さん! やだ、助けて、お母さん――!」

 目、目、目。いくつもの翡翠色に取り囲まれて、小さなアンゼリカは大声で泣きじゃくる。手首をつかむ大人の手が硬くて、痛くて、苦しくて仕方がなくて。すぐにでも追い払ってほしくて何度も両親を呼ぶけれど、アンゼリカを助ける者はどこにもいなかった。
 なりそこない。
 翼をもたない翼人。
 周りで交わされているのはそんなささめきばかりだ。彼らが見つめているのは、アンゼリカのむき出しにされた背中だった。冷たい視線がそこをなぞるたびに、鞭で叩かれるような痛みが胸を虐げる。
「おねがい、だからあ……っ!」
 懇願しても、誰も聞き入れてはくれない。
 少女の肩を掴むのは、都市の正装に身を包んだ人間たちだった。翼のない背中、冷然とした佇まい――姿形は同じであるはずの彼らが、幼いアンゼリカには怖くてたまらない。まるで犬猫を扱うように捕まえられて、頭の上から無機質な声が投げかけられる。
「人間が保護区域に住まうことは許されません。追放を」
 もう何度耳にしたかもわからない宣告を、アンゼリカは涙をこぼしながら聞いていた。
「指定区域への移住を命じます」
「そこを出ることも、保護区域に立ち入ることも、一切許可されません」
「アンゼリカ」
「アンゼリカ・ローデン」
「あなたは」

 ――人として生きねばなりません。