クルシエの疑問には、すぐに答えが示された。
フェリトが彼女を引きずっていったのは中枢区だった。クルシエがそこの点検を担う炎人形であること、自分の監視につけられていることを理由に、疑われることなく母の部屋へと潜りこむことこそが彼の目的だったのだ。警備の炎人形が会釈をして二人を中に通したとき、フェリトはしたり顔を隠そうともしなかった。
炎の周囲を歩き回る少年を尻目に、クルシエは日課の計器確認を行うことにする。針が示す数値は通常通り、炎の色や揺らぎにも目につくところはない。機械人形の騒ぎが影響を与えたことを一度は危惧したものの、母は翌日も、泰然とブロムディオンを動かし続けていたのだった。
端末に情報を入力すれば、その日二度目の点検作業は終了だ。クルシエは背後をふり返る。足音はいつからか消えており、炎の陰にあたる位置で、ひとつの影が揺れていた。
大周りに部屋の反対側へ回れば、彼は母の台座の脇に膝をついている。目を一杯に見開き、食い入るように炎の中央を見つめていた。
「フェリト」
呼びかけも耳に入らない様子だった。すっくと立ち上がり、今度は先ほどまでクルシエが触れていた端末へと走り寄る。
壁際に設置された機械端末は、数本のケーブルに接続され、絶えず光を放っていた。主に都市地上部への報告のために用いられている機器であり、地下部の主要地点には同じものが点々と取り付けられている。緊急時でもないかぎり、中枢区の端末に触れるのはクルシエぐらいのものだった。
ケーブルの接続先を一本一本目で追ってから、フェリトは自ら端末に触れる。くり返しエラー表示が点滅するのを確認し「なるほどな」と呟いた。
「操作ができるのは炎人形だけか。炎を持つ奴らだけに権利が与えられている……だとすると」
フェリトはぶつぶつと呟きながら、一室のあちこちへと歩いていく。壁際に取り付けられたコード、振動し続ける頭上のエンジンを眺めては、くり返し端末の元へ戻って独り言を漏らした。
「長居をする場所ではありません。帰りますよ」
業を煮やしたクルシエをふり返る。その頭から足先までを眺めるだけの間があって、少年は得心がいったとでもいうようにうなずいた。
しかしクルシエが背を向けた途端、微かな物音が耳を叩く。胸をよぎった予感に対応することを、背後のフェリトは許さなかった。
体重をまるごとかけた体当たりを受けて、クルシエの体は容易に弾き飛ばされる。うつ伏せに倒れ込めば、すぐに手首を掴み上げられた。続き、かちり、と音がする。両腕をきつく絞め上げたのは、拘束用の金属具だ。
「一体ならひとりで対処できるな。前のやつらが特別だっただけか? まあいい」
フェリトはクルシエの手を離し、もがく少女を器用に反転させる。つい数日前と同じ体制で見上げる瞳は、しかし、当時とは正反対の色を映しこんでいた。
自信と意志に裏打ちされた、鋼鉄のような眼差し。靴を踏むかのような気軽さで、フェリトはクルシエを押し倒し、身を膝の下に敷いている。粗雑な手つきでチュニックの裾に手をかけると、腹の上まで引き上げた。
「やめ……っ!」
「聞かねえよ」
クルシエがいくらあがいても、彼は巧みに自由を奪い取る。露わにされた炎は、地下部の空気に震えるように揺れていた。
「あの炎も、お前らの腹ん中も、大方の仕組みは同じだ。心臓部にあたる炎の台座からコードが伸びて、諸機関と繋がってる。つまりあそこにある端末と同じような接続先が、お前らにも用意されているってことだ」
自らを納得させるような呟きと共に、フェリトの手はクルシエの体内を暴いていく。炎を吹き上げる台座から爪を辿らせ、内壁に存在する孔を見つけ出すと、彼はにいと唇をつりあげた。
「炎に干渉できるのは炎人形だけだ。母から直接情報を訊けないっていうなら、お前たちの口から吐き出させればいい。俺もあんな馬鹿でかい機械を解体するより、お前ひとりを痛めつけた方が楽だしな」
端末に通じていたはずのコードは、今やフェリトの手の中にあった。彼はその接続部をクルシエの腹の中に繋ぐ。かちり、あっけない音と微かな衝撃に、クルシエが指先をはねあげたとき。
布を裂くような悲鳴が、クルシエの鼓膜を震わせた。
断末魔も似た高音は、彼女の脳に延々と反響する。それが自分の外から聞こえたものなのか、内から流れだしたものであるのか、あるいは自分自身が発したものであるのか、クルシエには聞きわけることさえできなかった。
悲鳴は重なっていく。少女や娘の金切り声を束ねて、クルシエの視界を粉々に打ち砕いた。フェリトの姿は闇と消え、代わりにいくつもの炎が燃え上がる。闇は瞬く間に一面の火の海と化し、もうもうと煙を巻き上げた。
叫び声は泣き声へと色を変える。涙の形をした熱がしたたり、クルシエの身を端から焦がしていった。暴れるクルシエを、母は冷然と見下ろしている。彼女はブロムディオン、都市そのものだった。
――見捨てないで。いや。殺さないで。助けて。
懇願は喉に焼きついて、母のもとへも届かない。代わりにクルシエのもとに降り立ったのは、幾人もの男の影だった。顔も姿も曖昧な人影は、しかし確かに笑みを浮かべて、クルシエを地面に押し付ける。灼熱が腹に弾けた。
――かわいそうに。
そう、誰かが泣いたような気がした。
炎は赤い光に変わった。刃に似たそれは、クルシエにのしかかる男ともども、紅の世界を一閃する。クルシエに感じられたのは、轟音に混じったすすり泣きと、なお燃え上がる火の群れ、そして頭を埋め尽くすほどの記憶の洪水だった。内側から、外側から、圧力が少女の体を押しつぶそうとする。
ぷつり、と、雑音が走った。
意識さえ焼き切らんとしていた炎熱は、夢のように消え去っていた。氷像を叩き壊すような衝撃が、クルシエに晴れた視界を連れてくる。
滑らかな曲線を描く壁、地面を覆う鉄の床。組み上げられた台座の上に、母は無感情なまま揺れている。クルシエが見せつけられた激情もなりをひそめていた。
引き抜かれたコードは、クルシエの耳元に首を落としていた。腹の炎にはいつの間にか蓋がされ、服の裾も乱暴に引き下げられていた。
「母、だなんて呼ばれるだけのことはあるな」
少年がひとりごちる。クルシエを捨て置き、フェリトは端末に表示される文字列を目で追い続けていた。
「部外者の干渉にはうんともすんとも言わなかったのに、炎人形にはコード一本でこれだ。……気味が悪いな、人を真似たつもりかよ」
まあいい、と区切りをつけて、フェリトは身を翻した。
求める情報はすでに端末から得られたのか、それとも前言通りにクルシエをいたぶるつもりであるのか、凪いだ表情からは読み取れなかった。フェリトは無言のままでクルシエを見下ろしている。
雑然とした情報の寄せ集めは、今にもクルシエの腹を破ろうとしていた。なだめるようにそこに手を置いたとき、幻になすりつけられた熱の断片が、幻肢痛じみた鈍痛を引き起こす。
クルシエの目元に水分がにじみ、目尻を伝って流れていった。フェリトがわずかに呼吸を止める。
「私たちは、滅びゆくブロムディオンを救うべく生み出された存在でした」
口に出した途端、クルシエの記憶は渦を巻いて収束を始める。文字の海が書物という規則に綴じられようとするさまを、目の前に見ているかのようだった。
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