聖廟のゴーレム職人

白馬黎

 ゴーレム、とりわけ墓所を護る巨兵の双眸に嵌める魔石はジェードと相場が決まっている。攻城ゴーレムならばもっと強い魔石がいくらでもある。けれど静寂の墓所にふさわしく力も強いゴーレムを創り出すにはジェード、とりわけホワイトジェードが欠かせない。
 蔓草と水晶の意匠が刻まれた函から真綿にくるまれた一対のホワイトジェードをそっと取り出すと、白亜の天使像の双眸にそれをカチリと嵌め込んだ。最初に左目、そして右目。そうして石がきちんと固定されたことを確認し、彫金師がかけた縛を断ち切った。
 天使像が何度かまばたきをし、石の翼をごうんごうんとそよがせる。イサクは古代語で天使に動作確認を求めた。歩け。走れ。大理石の剣を抜け。さらに一緒にいた司教にも指示を出してもらい、魔石が天使像の身体を自在に操れること、人間に従順なことを確かめて、イサクは天使像の翼で隠れる位置にいくつも刻んだ魔方陣から「ゴーレム職人に従う」ことを示す魔方陣を削り取った。これでこの天使像は司教以外の指示には従わないはずだ。
 イサクの指示に天使が従わなくなったのを確認し、イサクは自分の仕事が終わったことを告げた。
「本当に美しいゴーレムをありがとうございます、イサクさん。ここに安置される御方にも喜んでいただけるでしょう」
 司教はにっこり笑い、はしばみ色の視線を聖堂の隅で立ち尽くすもう一体の天使像に向けた。
「あなたの〈左腕〉にもお礼申し上げます」
「あれはただの道具です。あなたは一本の鑿にもお礼を言って下さるのですか」
 棘のある口調になったのだろう。司教は目を丸くして、返答に窮したかゆるりと曖昧な笑みを浮かべた。
(こら、イサク。司教様を困らせてどうするんだよ?)
 不意に自分の声が耳を打った。現実の声ではないとわかっているから無視をする。振り返れば翼をはやした白大理石の自分が笑って肩を叩いてくるはずだ。
「……それでは。次の町へ参りますので」
「あなたに神のご加護がありますように」
 イサクは司教に一礼して、後ろを振り返らぬまま古代語で〈左腕〉に荷物を持つよう指示をした。そうして真新しいホワイトジェードの瞳を光らせるゴーレムに背を向けて聖堂を後にした。
 〈左腕〉は古びた天使像のゴーレムだ。今回作った身の丈三メートルを超える巨像ではなく、背格好は背の翼を除けばイサクとほぼ同じ。さっき作った天使像よりかなり粗いつくりで顔には鑿の跡が無数に残っている。それ以上のことができなかったのだ――かつて大聖堂の仕事で、弟子が誤って倒した大理石の柱に左腕を潰されたから。
 幸いなことにイサクの利き手は右だった。だが不幸なことにイサクはゴーレム職人、左手で鑿を握り右手にハンマーを握る職に就いていた。隻腕になり仕事ができなくなったイサクは破棄が決まった作りかけのゴーレムに従順な僕となるようまじないをかけ、己の左腕の代わりとした。
 〈左腕〉は作りかけだったが手の造作は完璧で、指示さえ細かく与えていれば並の職人よりずっと巧みに鑿を振るえた。だからイサクはゴーレムを遣い、細かいところは己の右腕で補ってこれからも仕事をしていくつもりだった。けれど。
 自分と似た背格好の〈左腕〉にどうしても己を重ねてしまうのだ。どころか粗削りで目鼻立ちも定まらぬその顔が不意に自分と瓜二つに変わり、自分の声で気さくに話しかけてくることさえある。ところがこれはイサク以外には見えも聞こえもしないらしかった。命じてもいないのに勝手に話すなと〈左腕〉を怒鳴りつけるうち、イサクは狂人と呼ばれるようになっていった。
 隻腕の狂人に任せる仕事はない。それにゴーレムに命を宿すのは人の手でなければならない、ゴーレムにゴーレムの命を宿させてどうすると、受けていた依頼を片っ端から取り下げられた。職人もみな離れていった。イサクの腕を潰した弟子だけが最後まで残ったが、結局イサクの方から行き先も別れも告げずに工房を出た。きっと今ごろ路頭に迷っているのだろう。
 そうして隻腕の職人でも格安でなら仕事をさせてくれる小さな聖廟を渡り歩き〈左腕〉に鑿を振るわせながら、あてのない旅を始めたのだ。自分が生きられる場所を探している、自分の死に場所を探している――なぜ旅をしているのかと問われれば、どちらを答えたものかと毎度毎度イサクは悩む。
「仕事を探しているんだが」
 そう教会の門扉を叩き続けて何件目だったろうか。出てきたところを郵便配達夫に呼び止められたのは。
「ゴーレム職人のイサクというのは、あんたか?」
「そうだが」
「ミヒャエルという男から伝言を預かってきた。彼は危篤だ。最後に一目、あんたに会いたいと言っている」
「なに?」
「もっとも俺がこの伝言を受け取ったのは半年前だ。本当に危篤ならまったく間に合わんだろうが、ひとまず伝えたぞ」
 男が手を広げてチップを要求したので、適当な額をポケットから渡しイサクはその後ろ姿を見送った。
「俺に会いたがっている? ……どのツラ下げて」
 ミヒャエル。それは他でもない、イサクの左腕を潰した弟子の名だ。

     *

 かつてのイサクは十五人もの職人を抱えた工房の親方だった。仕事場は主に大聖堂や、高貴な人物のための納骨堂。作るのは美しさと力強さを兼ね揃えた大理石の天使像やガーゴイル。魔石を両眼に嵌めこんだゴーレムも普通の彫刻も、そのどちらも作っていた。
「ミヒャエル、ビュランの五番持ってこい」
「平タガネの十八番と、でかいハンマーを頼む」
 当事十四の小僧だったミヒャエルはまだハンマーや鑿は握らせてもらえずに、道具をとったり片付けたり、大理石の塊を運んだり作り終わった像の梱包をしたりしながら、一番下っ端の見習いとして毎日忙しく働いていた。
当事のイサクはいかにも芸術家といった風の鷲鼻と、物憂げだけれども何かに飢えているような独特の目つき。五十歳とは思えぬたくましい体つきをしているのに、石粉で肺をやられ時々背を丸めて咳をする姿は、ゴーレム職人以外にありえぬ風貌で。他の職人たちが時を経るに従ってイサクに少しずつ似ていくのを、いつか自分もそんな風になるのだろうかと、ミヒャエルは憧れに似た気持ちを抱きながら眺めていた。
 十二の歳に天涯孤独になりイサクの工房前で行き倒れ、幸運にも拾ってもらえたミヒャエルは、それから二年にわたり工房で下働きをしているのだった。
「おい、小僧。お前はこれからどうしたいんだ」
 休憩のとき何の脈絡もなく、そうイサクに尋ねられたことがある。
「これから?」
「職人になりたいか、それとも金を貯めたら別の何かをやりたいのか」
 ぷかり、と葉巻の煙。肺を病んでいるのにイサクは葉巻が好きだった。
「考えられません、そんなの。僕はここにいられるだけでいいんです」
「ずっと下働きをしていたいと?」
「なんでもいいです。ここに、いられれば」
 わけがわからんと言いたげに頭を振り、イサクはミヒャエルの姿を上から下までじっと観察するように見つめた。隠している秘密を全て暴かれるような居心地の悪い感じがして、ミヒャエルはもじもじと視線をさまよわせた。
 本当に、本当にこの工房にいられるだけでいいのだ。もちろん職人になれれば嬉しいが、それはきっと高望み。なぜかって、ミヒャエルは――
 びくり、とミヒャエルの肩がこわばる。〈彼女〉のことを考えてはいけない。考えてはいけないと思うのに考えてしまうと、来てしまうのだ。ほら、工房の窓の向こうに栗毛の女の子がいる。まるで初めてこの工房を訪れたお客のようにそっと窓を覗き込む女の子の姿が。
 見えないふりをするのだ。この子はミヒャエル以外には見えていない。その証拠にほら、ミヒャエルの視線の先を追ったイサクが怪訝そうに眉をひそめている。窓際から姿を消した女の子が、いつの間にかイサクの横に何食わぬ顔で立っている!
「おう、ミヒャエル。天使の名をもつ小僧よ、また幽霊が見えるのか?」
 ミヒャエルは席を立った。本当は恐怖からだけども、二年もミヒャエルを見てきたイサクにはおそらく気づかれているだろうけれど、からかいに気分を害した風を装って。
 作業場に、イサクの造った天使像のもとへ避難してほぅっと深い息を吐く。ここまではあの子も追ってこれない。
 神聖なイサクの天使。天窓からの光に照らされた白亜の天使は、見る人の誰もが無意識にぴんと背筋を伸ばすほどに荘厳で、悪しきものを寄せ付けぬ力強さに溢れている。じきに完成したこの像は聖廟に飾られて、ステンドグラスの光を受けながら人々の祈りを一心に受けることになる。だからその前に、ひとつくらい祈りを捧げておいても罰は当たらないだろう。
 ――護ってください、僕につきまとうあの子から。この暮らしができるだけ長く続きますように。
 こんな天使を造り出すマエストロの傍にいる限り、自分は安全だと、そう信じて。

     **

(行かないのかよ、イサク?)
「黙れ」
(行ってやれよ。死を前にした人間の言うことは可能な限り叶えてやるもんだ)
「正論なのは認めてやるが、相手が相手だ。俺は行かん」
(ほら、ちょうどいい石があるぜ。馬のゴーレムを彫ってやろうか?)
「行かんと言ってるだろう」
 〈左腕〉と話す時は自然、押し殺したうなり声になってしまう。イサクも好き好んで狂人と呼ばれたくはない。ただでさえ等身大の天使像を連れて旅をしているのだ。周りの奇異な視線にも随分慣れたが、ぶつぶつ独り言を呟き続ける人間が周りから嫌われるのはよく分かっている。
 イサクは安酒をあおった。葉巻が欲しいが、経済的事情でご無沙汰だ。
(ミヒャエルはまだ生きていると思うか?)
「本当に危篤なら死んでいる」
(でもあんたに逢いたくて嘘を吐いたなら)
「それなら当然、生きている」
 失ったはずの腕が存在を主張する。足元の鞄、その中に入った道具の重みが。
「なぜ、俺に会いたがる?」
 左手に握りこんだビュランの、慣れ親しんだ柄の感触。魔石をゴーレムの双眸へ嵌めこむその前に、手のひらに転がすあの重み。過ぎし日の名声。工房で作り上げた聖アリア大聖堂の巨大な天使像が身をかがめ、いち参拝者のように大聖堂へ入って行くさまが、その美しさや動きの滑らかさに誰もが驚嘆の息を吐いていたあのさまが走馬灯のように駆け巡り。
「俺に合わせる顔などないはずだ……」
 葉巻が欲しい。
 げほっ、ごほっ。

     ***

 少しぶかぶかのシャツを身に着けて襟をたてる。少しでも眉が濃く見えるよう、眉の下にほんの少しの木炭をなすりつける。それがミヒャエルのいつもの日課。イサクの葉巻も真似しようとしたが、これは高価でなかなか買えない。
 その日は朝から具合が悪かった。どうにも風邪っぽいのだ。頭が重いし、なんとなく腰と腹も痛い。
 それに、朝から、〈あの子〉がいる。
「どっか行け」
 立ち上がり手近な服を投げつけたところで、ミヒャエルは異変に気づいた。
 椅子に染みがついている。暗赤色の、嫌な臭いのする染みが。
「どっか行けって言ってんだよ! 消えろ!」
 ミヒャエルはトイレへ駆け込み、必死で処理をした。下腹部の痛みが増す。あなたは「小僧」じゃない。「女の子」なのよと、それはその証なのよと、〈彼女〉がささやく。
工房に行かなくては。あの天使のところへ。必死で「ミヒャエル」の顔を作り、家の外へ飛び出した。
 ミヒャエルは、否、彼の正体である女の子のミッシェルは死神に憑かれている。ミッシェルの死神は彼女と瓜二つの姿をしていた。ドッペルゲンガー、自分とそっくりの〈もうひとりのミッシェル〉。彼女に出会うたび、父は馬車の事故に逢い、母は死病に苦しみ、祖父母は強盗に殺された。そうして十二歳にして天涯孤独になってしまったミッシェルは生まれ育った町を飛び出し、男装してミヒャエルと名乗ることにした。
 ミヒャエルでいる間は〈もうひとりのミッシェル〉に出会っても不思議と何も起きないのだ。それにホワイトジェードの瞳のゴーレムの傍にいる時はミッシェルが現れない。きっと悪しきものだから、聖なる存在の近くにいられないのだろう。
「どうした、ミヒャエル。また幽霊でも見たのか?」
「大丈夫です。次の石を運びますか」
「いや、いい」
「具合が悪いなら休め。女に仕事は任せられない」
 それは、ミヒャエルが一番おそれていた言葉。
「……いつから、気づいてたんですか」
「気づくもなにも。女と男の区別がつかないほど馬鹿じゃない」
「ここに、置いてください」
「そんな顔色の奴にビュランだの大理石の塊だの運ばせられるか。今日のところは」
「僕、がんばりますから。追い出さないで!」
 ――そして、事故は起きた。

     ****

 数年ぶりに訪れたイサクの工房のあった町は、イサクにとって町は決して居心地いい場所ではない。等身大のゴーレムを連れた男、かつてマエストロの誉れ高かった男はよく目だった。みな〈左腕〉とイサク自身の左腕に好奇の視線を向け、わざとらしく目をそらす。
(誰に聞くんだ?)
〈左腕〉がにやにやしている。この顔つきの変化もイサクにしか見えないというのが腹立たしい。
(ヨセフの工房に引き抜かれたジョセフか? それとも家族のために大工に転身したラミエルか?)
「黙れ。命じてもいないのに話すな」
(ロイがいいんじゃないか? お前の十数年来の相棒。なのになんでサミュエルの工房へ行っちまったんだろうなぁ?)
イサクは振り向き、〈左腕〉の顔に右ストレートを見舞った。大理石像は当然その程度ではびくともしない。イサクは手を腫らしてようやく黙った像を睨みつけた。ーー結局、俺はこいつの言うことを聞くしかない。
家を尋ね、出てきたロウは二年前とほとんど変わらぬ姿で。
「ずいぶん老けたな」
それがロウの開口一番。
「その天使像、まだ連れ歩いてるんだな」
「壊したいんだが、こいつがないと仕事にならん」
「なにか困ったことがあれば声かけてくれ」
「何様だ、お前は」
反射的に声がでた。イサクの怒気にロウは心外だとばかり目を見開いて、それから哀れだなと言わんばかりにちょっと笑った。
「お前の助けなんざ必要ない」
だから工房がらみの人間と話すのは嫌だったのだ。早く話を切り上げなくては。
「ミヒャエルのことなんだが。あいつ、まだ生きているか」
「かわいそうに。とうに、死んだよ」
「あの伝言はお前がしたのか?」
「伝言?」
「ミヒャエルが危篤だから戻れという内容だ」
「行方不明のあんたにどうやって? もちろんみんな知らせたかったさ、でもせめてあんたが立ち寄りそうな場所くらいわからないと手紙は出せない」
 たしかに。ロウがイサクに何か伝えたいなら伝言ではなく手紙を使うはずなのだ。ミヒャエルの事以外にもいろいろ書いてよこしたろう。
「それに、ミヒャエルは凍死だった。何の理由でだか外で倒れてて、みんなが見つけた時には死んでたんだ。危篤もなにもあるか」

     *****

 職人たちはひとり、ふたりと消えていった。まず養うべき家族のいる者がいなくなった。次にギャンブル好きが消え、酒好きが消え、実直に残っていた者も他の工房から次々に引き抜かれ……そうして気づくと、イサクの工房の職人はミヒャエルひとりになっていた。
 片腕の重みをまるごと失い、上手くバランスがとれずよろめくイサク。ベルトを上手く締められずに苛立つイサク。ゴーレムを連れて仕事に出るイサク。酒浸りのイサク。葉巻の吸い殻の山の前でうつむいているイサク。ある朝行ってみれば工房は売りに出されていて。その主は忽然と姿を消していた。
 どうして置いていかれたの。
 置いて行かれて当然。でも。
 償いたかった。
 あんな不自由な身体で。助けが必要なはずなのに。
 裏切られた。
 大切にしてほしかった。
 誰でもいい、私のことを大切だって言って。
「〈ミッシェル〉」
 ああ。結局最後まで一緒にいてくれるは、こいつだけ。
「僕を――私を連れていって」

     ******

 イサクは墓地を探して歩いた。ロウらがたてた墓があるという。
あの日、ミヒャエルに仕事をさせてはいけなかったのだ。今にも絞め殺されそうな顔をして、仕事をさせてくれと叫んでいた彼。あのとき哀れに思って受け入れたのが間違いだった。帰らせていれば、今頃イサクの腕は。
あいつさえいなければ。行き倒れていたあいつを拾わなければ。下働きとして雇っていなければ。何かに怯え始めた時に追い出しておけば!
(でも、あんたは必要とされたかったんだろう)
ぽつり、とイサクの背後で〈左腕〉が呟いた。
(あれだけあんたを必要としたミヒャエルを、あんたは突き放した。そりゃあ孤独にもなるさ)
「助けてやる」と言われるのではなく言える側になりたかった。イサクにしかできないことだと仕事を頼まれるのが生きがいだった。捨てられた子犬のような顔をしたミヒャエルが、ゴーレムを見せた時の歓声が、耳の奥に蘇る。
(伝言を出したのは、俺だよ。あんたに化けて頼んだのさ)
〈左腕〉が指差す先に、小さな墓標。ロウらが作った小さな十字架。刻まれた文字は「ミヒャエル」ではなく「ミッシェル」と読める。
(あんたを待ってたよ、マエストロ。わざと誇りを失い、哀れまれて生きていくのか?)
不意に目の奥にイサクの工房の前で、売りに出された工房の前でうずくまるミヒャエルの姿が浮かんだ。冬のさなかに一晩中そうして、そうしてミヒャエルはひっそりと誰に看取られることもなく死んでいった。
(終わらせろ、ここで。何もかも)
天使像が腰から大理石の剣を抜く。それをイサクの頭上に振り上げ、そして。
イサクは〈左腕〉の目の端に親指を突き入れた。
瞳の動力魔石が――強い魔除けの力を持ったホワイトジェードが二粒、イサクの掌中に落ちる。
普通のゴーレムならばこれで動かなくなるはずだ。けれど〈左腕〉はそれどころかイサクと瓜二つの姿に、イサクの色彩と肉の柔らかさを得た姿に変わって、何かを諦めたように両腕をだらりとおろし、墓標を見つめた。詫びるようにうなだれて、本物のイサクにはない大理石の翼をゆるりと動かし墓標を守るように包みこむ。
ずっと前からこれはただのゴーレムではなかった。ホワイトジェードの魔力に無害化されただけの、別のもの。
 イサクは黙ってハンマーを振り上げた。
 〈もうひとりのイサク〉の、〈左腕〉の、大理石の頭にヒビが入った。もう一打撃で、ぼろりと崩れた。頭を潰す。腕を潰す。魔方陣を残さず削り取り、人の胴体と翼だけになった天使像を墓標に据える。
「甘えるな」
 相手は天涯孤独の、たった十四の女の子。
「……甘えるんじゃない」
 イサクに甘えさせてやるだけの余裕があったなら。腕の一本くらいなんだと嘘でも言ってやれる優しさがあったなら。
「さよならだ、ミヒャエル」
 死神は殺した。
 俺の左腕を置いていく。
(了)

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