墓標に名を刻む

だも

「手をにぎってくれないか」
 戦火の夜、耳に入ったのは知らない兵士の声だった。
 小柄な見かけのせいか、おれを女の代わりにしようとする輩は多かった。事実前線に上がるまでは、ところかまわず手を出された。
 こいつも死ぬ前に、と思ったのか。
 おれはだまったまま、声に向けて手を出した。
「ありがとう……」
 熱が触れた。
 それが手だと気がつくのに、しばらくかかった。なにせ曇天で月星はなく、火を生み出すことさえ禁止されていたのだから。
「毒矢に当たったのか。魔力が感じられない」
「ああ……」
 大きく腫れた手だった。
 ヤツはそれ以上接近して来ることはなく、しかしぎゅうぎゅうとにぎってくる。痛いのだろう、時折、うめき声を上げながら。
 おれはにぎり返すことなく、好きなようにさせておいた。
「アラン・エイジャー。おまえの魔力は心が安らぐ。だからみんな、おまえに触れたがる」
「はじめて言われた」
「みんな、見かけ以上のことを考えない。欲しいのはこの魔力だ。人肌じゃない。みんな、この魔力を欲している」
「すこし分けてやるよ」
「いや、いい。にぎっているだけで……」
 眠ろうとしているのか、死のうとしているのか、ヤツの声が弱くなっていく。
「起きて、おれが死んでいたら、たましいを呼んでくれ」
 かすかな声が耳に届く。
 おれは返事をする代わりに、手にすこしだけ力をこめた。
「必ず、墓標に名を刻んでくれ。そしておれの名を、呼んでくれ……」
 それは、おれたちの国で、葬儀で親近の者が担う行為だ。
 おれでいいのか、とは訊かなかった。
 この戦場は、親近の者に捨てられた者しかいないのだから。
「あんたに魔力がなかったら、名前がわからないじゃないか」
 つぶやくと、かすかにヤツは笑った。
 やがて寝息が聞こえはじめた。
 おれは、にぎったままの手を通して、静かに魔力を送ってやった。
 生まれたときから使い道もなく、家を助けるためにと幼くして兵に出され、いつのまにか戦争に巻きこまれる原因となったこの力を、安らぐと言われたのははじめてだ。
 魔力のない者からは恐れられ、逆にある者からは手籠めにされてきた。
 これがヤツの最期なのだとすれば、せめて安らかでいてほしい。そのためならば、全部使ってやってかまわない。どうせおれも長くはない。いずれこの地で果てるのだから。
 ――と。
 いつのまにか眠りについたそれが、戦場での最後の夜となった。
 何を賭けて戦っていたのか。
 誰が何を得て、何を失ったのか。
 何もわからないまま敗戦を告げられ、圧倒的な魔力を示されたおれたちは捕虜となった。
 何日も前に、祖国の王族は亡命をはかっていたらしい。
 無様なことに捕まって、ヤツがおれの手をにぎりながら冷たくなっていったあの夜、同じ空の下で刑に処されていたのだった。
 目覚めたとき、ヤツの身体をはじめて見た。
 手の毒どころか、首から胸にかけてやけどにただれ、名札も焼け、足は骨のみで、魔力をかけられた土が筋の代わりを果たしていた。
 同じ戦地に、こんな男がいたとは知らなかった。
 いや、おれはもともと、周りを見ていなかったのだ。
 おれの魔力はからっぽだった。
 全部、持っていきやがった。あの腫れた手で。
 おれは、口の端を持ち上げた。

 魔力のないおれは、敵国にとって使い物にならないらしく、女にあぶれた者どもの慰み者として扱われた。
 他にも同じような男はいた。
 そいつは行為の最中に、おれの前で自害をした。
 そのときはじめて、命を絶つという道があるのだと気がついた。しかしおれは、やらなかった。もう慣れていたせいかもしれない。やりすごす方法が、身体に染みついている。頭のなかからすべての感情を追い出すのだ。そしてただ、身をゆだねる。そうしているうちに、時間は淡々と過ぎていく。
 捕虜となった他の者たちは、みんな、死んでしまったらしい。
 拷問にかけられたり、狩りの的にされたり、奴隷として身を粉になるまで働かされたのだと、敵国の愚かな兵士たちが愉快そうに教えてくれた。
 言葉はわからなかったが、言っている意味は感じられた。おそらくこの国の民の大多数が、強い魔力を持っているせいだ。感情をこめた言葉は相手に伝わる。
 そのおかげで、おれは、こいつらが本当におれの容姿に欲情しているのだと知ることができた。
 ヤツのあれは、戯れ言だったのだ。
 魔力があってもなくても、されることは同じ。
 手をにぎって、それだけなんて。
 誰も許してなんかくれない。

 そんなおれの前に現れたのは、ひとりの老いた女だった。
「しなやかな肉つきをしているのね。もったいないわ、あなた、踊りをたしなみなさい。せっかくだから、あなたの国の踊りを」
 突然、おれが寝起きしているところにやってきて、おれの国の言葉でそう言ったのだ。
 すでにどんな身分でもないおれは、戦時中の無法的な状態から脱しようとしていた国兵団にとって、荷物にすぎなかった。男たちは好きに女を買ったほうがいいのだから。
 老いた女はそこそこ名のある富豪者で、身寄りも学もない若い女たちを引き取って、芸を教え、食い扶持を与えているという。
 そんな教え子たちに、彼女は先生と呼ばれ、慕われていた。
「さすがに年頃の男女の相部屋はできないわね。申し訳ないけど、物置を片づけて、そこで寝泊まりをしてくれる? 眠れない夜は、私の部屋に来ていいから」
 はじめ、その意味が――おれが物置で寝泊まりをする意味が――わからなかった。
 しかし次第に、自分が男であるのだと自覚しはじめたのである。
 いままでは、男ばかりの中で生きてきたから、そう思ったことがなかったのだ。男たちのあいだでは華奢であったおれも、女に混ざれば身体は厚く、手足は大きく、無骨であった。
 その事実が、ひどくつらかった――そう、つらかったのだ。
 どうしてそう思うのだろう。
 昼間は日雇いの仕事や家の手伝いをし、夜は踊りを習う。そうしているあいだにも、冷たい感情が、ひたひたと背中にまとわりつく。
 あんなふうに笑いたい。
 あんなふうに、踊りたい。
 しなやかに、のびやかに。
 あの線が、うらやましい……。
 眠れない夜は、先生の部屋ではなく、広場で踊りの練習をして過ごした。
 あるとき、男たちが、そんなおれを取り囲んでいた。
「なんだ、男かよ」
 そうとわかった瞬間、やつらの目つきが変わった。
 おれは逃げるではなく、助けを呼ぶのでもなく、とっさに相手を悦ばせようとした。しかし気色が悪いと殴られた。
 血の味を覚える。
 意識が遠くかすんでいく。
 もう、この身体に意味なんてないんだ。
 おれは、はじめて絶望を覚えた。

 翌朝、動けないおれを通行人が助けてくれ、言葉もろくに話せないために数日路上を転々とし、先生のもとへ戻った。
 どうやら、もう死んだと思われていたらしい。
 物置には、おれの荷物が一切なく、なにもかもが燃やされたあとだった。
「ここはね、死者のものをとっておくなんてことはしないのよ。あなたの国じゃ、墓を建てるそうだけど、そんなことをしたら生者は引き留められてしまうでしょ。だから、すべて燃やしてしまうの」
 先生はそう言って、きびしい紫の瞳でおれを見あげた。
「アラン・エイジャー。もう二度と、このようなことはないように。生きたければ、きちんとしなさい。本当に無駄な出費だわ。……でも、戻ってきてくれてありがとう。私も配慮が足りなかったわね」
 以来、おれは、一人で眠るのを禁止された。
 通されたのは子ども部屋。数はすくないが、やはり先生が集めた子たちだ。
 自分よりもますます小さな存在に囲まれてすごしたところで、眠れない夜は何度もあった。しかし、必ず子どもたちも起きている。彼らはいつも泣いて、暴れて、何かに激しく怒っている。
 おれは、彼らを無視した。
 無視をしながらも、背中で気配を探っていた。
 そうしているうちに、自らが抱く例えようのない感情が、薄らいでいくのだった。
 だから、あるとき身体を殴られたとき、その腕を取ったのかもしれない。
 細い手だった。
 折れてしまいそうなくらいに。
 そしてきっと、とても久しぶりに、人の顔を見た。
 強い眼差しだった。
 おれは好きなように殴られた。
 弱い力だ、かつて受けた屈辱とは遠く及ばないほどに。

 おれは主のもとで、多くのことを学んだ。
 この国の言葉。かんたんな読み書き。計算。そしておれの国のこと。
 戦うための魔力は持たないという協定を周辺諸国と結んだにもかかわらず、秘密裏に魔力を持つ人々を集めて兵団を作り、無抵抗の隣国の海岸を制圧。協定により、魔力を保有する大国が介入。海岸解放を求められ、応じなかったのが戦争のはじまりだった。
 隣国は、古くから魔力を持つ者を忌み嫌い、発覚すれば赤子でも生き埋めとする風習があった。そのため、大地は常に豊かで飢餓を知らなかった。
 本当は、それと同じことをするために魔力を持つ者を集めたのだという。
 しかし結果を急いだゆえか、それとも何か特別な方法があるのか、なかなか思うようにいかなかった――。
 なんて無様なんだろう。
 おれはそれを教わったとき、思わず笑った。
 国王のことではない、おれ自身を笑ったのだ。
 だってそうだろう、生き埋めのために集められ、戦うために敵地へと送られ、捕虜となった。周りはみんな死んでいった。
 なのにまだ、生きている。
 ――いや。
 おれも、そのたびに死んでいたのだ。
 いまは死した身体を動かしているだけなのだ。
 この指先も、つま先も、すべてが、もう、死んでいる。
 そう思えば、なんだってできた。
 周りの女たちも、気にならない。
 無骨な身体に、同じ衣装をまとって。
 長い衣をひらめかせて……。
 誰よりも高く、長く、舞った。

 小さな舞台小屋で、夜ごと踊り、金銭を受け取るようになった。
 それからすこしして、先生は亡くなった。
 何度も胸を悪くして、長く医者にかかっていた。財産は、すこしずつ教え子に分けていたようだ。
 おれは、市街地にある古い集合住宅の一室を譲り受けた。管理者とは顔見知りで、すでに話も通っていた。
 この国は、死者が出た日に香り火を焚くのみで、あとはなにもしない。
 魔力保有者が多いせいだ。
 彼らはその力をもってして、周囲の空気を感じ取ることができる。たましいも感じられる。
 墓など、死者が気持ちを残しやすい場所をつくることは、彼らにとって、たしかに気持ちを引き留められる要因になるのだろう。
 おれの国は、逆に、魔力保有者はすくなかった。だから墓を建てるのかもしれない。死者を感じられるように。
 墓に集まるたましいを、幼い子頃、おれはたくさん見た。それが嫌な時期もあった。たましいは、魔力を持つ者に寄ってくる。更に魔力を持つたましいは厄介だ。話しかけてこようとする。
 煩わしかったそれも、もう経験することはない。
 おれは、香り火を焚くための道具をそろえた。そして時々部屋で焚いて、先生のことを思った。

 一人暮らしをはじめて、最初の冬が訪れたときのことだ。
「    」
 突然、同郷の言葉で話しかけられた。
 小屋で出番が終わり、客に混ざって食事をしているときだった。おれは一瞬、その女が何を話しているのかわからなかった。
「とても素晴らしい踊りだったわ。一杯おごらせてちょうだい」
「酒は飲まないんだ」自然と昔の言葉が出た。
「いいでしょ。一杯だけ」
 女はおれと同じくらいの背丈で、しかしふくよかで、若く、長い髪を後ろでまとめあげていた。その後ろ姿に、見覚えがある。そうだ、母が、いつもこういう髪型をしていたのだ。
 彼女はたびたび小屋に現れ、一杯だけ席をともにした。
 話す内容は雑多なことだ。
 けれども楽しかったのは、なつかしさのせいかもしれない。もう長く口にしていない数々の音が、舌の上によみがえる。
 彼女は賢く、機転が利き、おれの頭の悪さを汲み取った上で、様々なことを教えてくれた。
 おれたちの国は、戦後、身元がわからない者の入国を制限しているそうだ。そのせいで、この国にはおれのように帰れない者がたくさんいるのだという。そして多くの者が、この国の文化に――死者を悼むことさえできないと――不満を抱いている。
 みんな、戦争で近しい者を失っているのだ。
 生者は決して、墓を通して死者に引き留められているのではない。
 前に進むために建てるのだ。
 彼らは、かの国とのあいだに流れる西の大河に街をつくった。それを知ったこの国の王は、独自の文化がある程度持てるようにと、はからってくれているようだ。
「暴動を抑えるためね。でも、とても大きな進歩なのよ」
 彼女は、西の街を治める団体のひとりなのだという。いまは、その手続きの一環でこの都市に滞在しているらしい。
「あなたの踊りを見たのは偶然よ。とてもなつかしくて、うれしかった。ねえ、一緒に行きましょうよ。戦死者の墓を建てることになったの。そのお披露目には、私たちの国の踊りが必要だわ」
 おれは、自分がその地で舞う姿を想像した。
 墓は、おそらく石が手に入らないだろうから木を代わりに植えるだろう。
 その周囲には慎ましく墓標が立っている。
 ヤツの名前も刻まれている。
 おれはそれの名を探し当てることはできない。たましいも感じられない。しかしこの手の魔力が安らぐと言ってきたヤツのことだ、きっと、見に来る。
 そうだ。
 きっと……。

 雪が溶けたころ、香り火をすべて焚ききり、鍵を返した。
 西の地へ行く列車のなかで、あの夜、暗闇でひととき交わした眼差しの夢を見た。
 おれたちは熱を交わして眠っていた。
 それは幸福な時間だった。
 きっと、生きてきたすべてのなかで。

「みんな、あなたのことを女だと思ってる」
 到着して二日目、祭りの朝。
 おれをこの地に連れて来た女は、衣装を用意しながら面白そうに言った。
「でも、これが終わったら、好きにしていいのよ。きっと踊り以外の仕事が見つかる。なんだって、できるわ」
 用意された衣は、まさしくおれたちの国の踊りで使われているものだった。大切に着こみ、伝統ある化粧をほどこす。他の演者と舞台の端にひかえ待ち、合図とともに表へ出た。
 澄みわたった空の下、多くの顔が迎えてくれた。
 そのなかに、かつての面影を見つけることなんてできやしない。
 なのに何故か、知っているのだ。
 あの顔も、あの顔も、あの顔も……。
 どうしてだろうか。魔力なんて、もう、消え果てているのに。
 おれは、知っている。
 彼らを。
 知っている。
 花道を、笛や太鼓を引き連れて舞い歩く。
 夜のうちに下見はしていた。
 その先には、墓が――木が、死者の名が刻まれた墓標に囲まれて建立している。
「ひとり、名前を読み上げてちょうだい。あなたの肉親がいれば一番いいのだけど」
 儀式の一環として、そう、言いつけられている。
 夜のうちは、暗くてそこに書かれた文字が読めなかった。しかたがない。何も考えずに、はじめに目に飛びこんできた者の名を呼ぼうと決めている。
 高く、高く。
 つよく、しなやかに。のびやかに。
 できれば、ヤツの名を呼んでやりたかった。
 おれは、手足を閉じ、墓の前にひざまずく。
 名のないたましいに――名のあるたましいに。
 笛の音が、遠ざかる。
 うすく、まぶたを持ち上げる。
「戦死者に安らぎを」
 ――手を。
 手を、にぎってくれないか、と。
 ヤツは言った。死んだら、名を呼んでほしいと言った。前線で。
 おれは、口の端を持ち上げた。
 なんて勝手なやつなんだ。魔力どころか、名前さえも持っていった。
 目に飛びこんできたその名を舌に載せる。
「アラン・エイジャーに安らぎを!」
 笛の音が戻ってくる。
 風が舞いあがる。
 高くかかげた指先に、熱が、触れた。
(了)

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