ハレバッグノスの時計職人

ハレバッグノスの時計職人
仕様:カバー付文庫、212P
価格:800円

頒布: 2016/01/31 COMITIA115
【な01b】移り気つばくらめ
...その他頒布物
委託通販:アリスブックス

Main Story「ハレバッグノスの時計職人」 サンプル
水城都市ハレバッグノスには、絢爛な時計台と、偏屈な時計職人が居座っている。年若き当代の職人のもとに転がり込んだ少年は、彼女を師と呼び慕うようになり――。降り積もる「一日」の奥底には、いまだ朽ち果てぬ亡者が待っている。
(梶つかさ)

Sub Story「遺物語りの時計職人」 サンプル
煢独の身だった。灰色の雨の街、呑まれゆく水を暗澹とした眼差しで見つめる職人は、生きることに疲弊していた。色を失っていた日常は、ある日闖入者によって突然崩される。「ハレバッグノスの時計職人」前日譚。
(真空中)
梶つかさ(移り気つばくらめ)
 http://kotonohaforest.soragoto.net/

真空中(藪蛇と花)
 http://yabuhebitohana.strikingly.com/
「ハレバッグノスの時計職人」

 ハレバッグノスの時計塔の鐘を鳴らすのは、日に二度限りと決まっている。日付の切り替わる深夜と、それからちょうど半日を待った真昼の刻。時計塔の鐘つきは、時計番たちによって連綿と継がれてきた習わしだ。
 霜の降るような宵の刻、透徹した空気に包まれて、都市はしんと寝静まっていた。むき出しにされたミュダの耳につくものといえば、時計塔に吹きつけた風の音ぐらいのものだ。首元、袖口、外套の隙間という隙間から忍びこもうとする冷気に肩を縮め、彼女は塔の機関部から屋上へと続く梯子を上りきる。一段ずつ身を持ち上げるたび、膝裏に届くほどの金の三つ編みが揺れた。
 時計台の鐘は塔の最上部、鋭角の三角屋根の内側からぶら下がるようにして取り付けられている。ミュダは細心の注意を払って背伸びをすると、鐘のぜつに巻き付けられた縄をほどいて階下の機関室へと下ろした。続き、縄先を追うようにして機関室へ。古びた滑車のひとつにそれをくくり付けた。
 手中の懐中時計で時間を確認する――一秒、二秒、三秒。時の声に耳を澄ますひとときが、ミュダにとっての数少ない安らぎだ。
 滑車に続くレバーに手を置き、時を待ち、そして。
 ――ごおん、と。
 響き渡った鐘の音を、ミュダは直下で聴いていた。
 時告げの鐘のゆく先はハレバッグノスの北地区のみに留まらない。都市が抱える大河を跨ぎ、異文化のひしめく南地区まで、果てはその先までも届いていくという。都市にひとつの時計台から新たな一日を送りこむことこそ、ミュダら時計番の役割であった。
 鐘が動きを止めるころ、ミュダは鐘の舌に縄をくくり直してから機関室を後にする。塔の外周をなぞる階段を下りきればすぐに軒先を現す、小さな一軒家が彼女の住まいだ。
 木の扉に手をかけたところで、しかし、視線をよそへと向けた。
 時計塔の階段の脇に、膝を抱えた子供が座っている。指先ひとつ動かさないさまは、まるで吊り糸の切れた人形だった。棒切れじみた細い四肢は否が応にも彼の栄養不足を思わせ、ミュダの額に皺を刻んでゆく。
「……捨て子か?」
 きょうび珍しい話ではなかった。
 文字盤を彩る花の紋様の色硝子、優美な彫り込みの為された短針と長針。かれらのおかげで時計塔を俗世離れした建物と思いこんだ母親が、自らに棄てられる子のせめてもの慰めにと塔の傍らを選ぶのだ。――馬鹿馬鹿しい、教会に街路に時計塔、どこを取ったところで末路は同じことだろうに、と苦い唾を呑まずにいられないのは、ミュダ自身が親の顔を知らないためだった。
 とはいえミュダが死を見届けてきた、そのほとんどが赤子である。物心もとうについているだろう少年が置き去りにされているのは初めてのことだった。「そこの」と声をかけたのも、彼を放り置くことへの忍びなさに耐えきれなかったためだ。
「親はどうした」
 無言を貫くなら行き倒れと変わらない、これまで通り見なかったことにすればいい。むしろそうであってくれる方が気は楽なのだ。しかしミュダの願いに反し、少年は襤褸のケープからのったりと顔を出す。
 まるく大きな瞳に彼女を映しこみ、青紫の唇でどうにか言葉を吐き出す、寸前。
 ぐう、と少年の腹が鳴く。
「あ」
 恥じるように声を漏らした彼を前に、ミュダは頭を抱えるほかになかった。

(梶つかさ)
「遺物語りの時計職人」

 大陸南西部――そこには西方辺境より連なる大山脈に背を抱かれて、海に鼻先を突き出した半島がある。大山脈の流れを継ぐ嶮しい山々の合間には幾多の湖沼が散らばり、中でもとりわけ大きな一つから下り落ちた水流は、他の湖や傍流を呑み込みながら扇状地に、続いて平野に拓け、中洲を囲む複数の河川に分かたれたのち、大海に出るのだ。本流を成す河によって、半島はおおよそ二分されていた。河越しに対面する二つの地区は、北ハレバッグノス、南ハレバッグノスと呼び分けられる。北地区には伝統的な半島文化が、南地区には移民混じりの文化が栄えていた。
 ハレバッグノスには、この二つの街を一望できる時計塔があった。
 王政より前に存在する古びた建築物である。もとは古代都市の神殿の一部を成した尖塔とも、罪人を閉じ込めていた贖罪の監獄とも伝えられるが、その起源は定かではない。今のハレバッグノスに伝えられているそれは、絢爛豪華な色硝子の文字盤と街中に鳴り響く大鐘を備え、数百年の時を経て尚、北地区の街に泰然と居座っているのである。
「アールバーンの革命、シセリリアの大会議、キュストラスの嘆きの月。今や歴史の証人と言っても過言ではない。その時計の針を、若造、お前は止めろというのか?」
「お言葉ですが、氏よ――時代がそれを許さないこともあります。先の大洪水を受けて近隣の街や村々、果ては西方辺境の少数民族に至るまで、人々は皆、助けを求めてハレバッグノスの郊外に押し寄せている。今のハレバッグノスの財政に、動いても動かなくても同じような針に金をかける余裕はありません!」
 事務机を隔てて、二人の男が対峙していた。
 一人は金髪に小麦色の肌をした青年である。かっちりとした議員服に身を包み、眉間にこれでもかと皺を寄せた青年は、堅実そうな眼差しに疲労とうんざりしたような雰囲気を漂わせている。
 対する一人は壮年の、しかも青年よりもずっと背の高い男だった。半島由来の浅黒い肌に高い鼻、白髪交じりの髪と鋭く尖った髭、青年を射抜く目つきは鷹のようだ。古ぼけた外套に身を纏っていたが、その上からもわかるほどにがっしりとした体つきで、青年との間に机が無ければ、今にも飛びかからんばかりの気迫を滾らせていた。
「……何度も言うぞ。あの時計を止めるな」
 重低音を震わせる男に、しかし年若い議員は、臆するふうでもなく言い放つ。
「何度だってお返ししましょう、氏よ。賃金が払えないと言っています。運営資金も満足にまわせない、修繕だって、今は十分な費用を出せません。貴方も大概しつこい方ですね。何だって毎回、同じ問答を繰り返さなければならないんです?」
 議員は明らかに苛立っていた。ただでさえ膨大な仕事に追われている彼にとって、男は仕事を妨害しに来る厄介者にしか思われなかった。
 突然、ずい、と男は身を乗り出した。覗き込まれるかたちになって、青年がぐっと首を反らす。
「聞け」
 威圧するように声が降る。
「意味があるから、言っているんだ。……若造、おまえの血の礎となった男が――始まりの王が、この街を支配するより古くから、存在している塔だ。どうして残されてきたか、その意味をわかっているのか」
「少しは。けれど、貴方よりも多くを。――時計番どの、貴方がこの街に流れ着き、代替わりをしてたったの一年半しか経っていない。そのみじかな間に、一介の管理人に過ぎない貴方が、あの塔のいったい何を知ったというんですか」
 議員は半ば挑戦的だった。知らないことを知っている者が見せる、優位を理解させようとする口調。けれど、男の暗い眼差しは揺らがなかった。
「……あの時計塔のことなら、何だって知ってる。骨の髄が腐るほどに長い付き合いだからな」
 齢を重ねた低い声は一瞬、翳りを帯びる。
 青年が追求する間を与えず、男は机から離れると、背筋を伸ばした。踵を返し、ひらりと手を振って投げやりに言う。
「勝手に動かす分には良いんだな」
「……街の親切な紳士が、善意で動かしてくださるのなら何も問題はありませんが、ね。言っておきますが修繕費は出せませんから!」
「わかった、わかった。また来る」
「もう来なくて結構です!」
 議員の心からの叫びは、ばたんと閉じられた面会室の扉に遮られた。男は小さく息をついて、「待たせた、テトク」と扉の脇に声をかける。
 廊下の壁に凭れ掛かっていた、作業着の老人――皺くちゃな顔に小さな眼鏡かけ、ぼうぼうの髭を生やした好々爺――は、男の姿を認めると、にかっと破顔した。

(真空中)