砂塵が鼻先を舞う。
頭上に広がるのはうっとうしいほどに晴れ渡った空だけだ。ぎらつく太陽の炎は容赦なく大地を焦がし、一面の蒼穹には雲ひとつ浮かんでいない。その下にあっても高らかに緑を掲げ続ける木々を、ミセラはひそかな感嘆をもって見上げていた。
「目。つぶれるぞ」
いたわりの声と共に、眩んだ視界が陰る。
ミセラは黒い瞳を覆った手の持ち主へと視線を流したが、吐き出されるはずの強がりはそのまま口の中にとどめられた。渇ききった喉に余計な負担をかけたくなかったからだ。
北国アーシャラフトの夏とは比べ物にならないほどの灼熱は、今もじりじりと彼女の体力を奪ってゆく。全身を覆い隠す外套を脱ぎ棄てたならば、あっという間に焼き尽くされてしまうだろうという確信があった。家に入ればいくらかは楽になると彼は言うけれど、それもどこまでが真実だろうか。
「さて」
ふいに、横を歩む青年が数歩先へ行った。足を止めてふり返る。ゆったりと、大仰な動作で両手を広げた。
「ようこそ俺の故郷へ。長旅お疲れさまでした、お嬢様?」
恭しくも白々しい会釈をひとつ。本当よと返す代わりに息をついた。
――そこは南の大陸、ベルスタンのミヅエ。砂漠の小国に眠る町。
アーシャラフト南岸から海を越え、いくつかの国境を渡り、やっとのことで辿りついたその町は、どこか寂しげな風音に包まれていた。ミセラが町並みを睥睨していることに気付いてか、アルバは小さく肩をすくめる。
「見ての通り、何もないところだ。若い奴はさっさと出て行って、もうここには爺さん婆さんと子供ぐらいしか残っちゃいない。来るのは行商人と国の官吏だけだ。今どき、とち狂った観光客だってこんなところまで足を延ばしたりしない」
「私が狂ってるって言いたいの」
「よく来てくれたって言いたいんだよ」
ぶ厚い皮膚に覆われた手が、フード越しにミセラの頭を叩く。撫でる動作に似たそれを振り払う気力も起きず、ミセラは彼にされるがままでいた。目が合うことを避けるようにうつむけば、凝り固まった疲労がどっと全身へと渡っていく。
(このくらいのねぎらい、受けたっていいはずだわ)
唇を尖らせてじっとしていると、彼はその顔に、異物を飲み込んだかのような表情を浮かべた。
「熱にやられたか。お前がしおらしいと気味が悪い」
「……疲れてさえいなければ、その憎らしい顔に砂を投げつけているところだわ」
「まったく、深窓のお嬢様とは思えない言動だな」
「元、お嬢様よ」
強調してくり返すと、そうだったな、と目を細められる。
アルバの手を取ってアーシャラフトの生家を抜け出したのは、もう二年も前のことになる。今になって箱入り娘を気取るつもりなどミセラにはなかった。ここにいるのはミセラ――ただのミセラ。身一つで家を出た、身寄りのない娘だ。
「ファルツの令嬢でいてくれたころは可愛かった……と言いたいところだが、そうでもないな。あのころからお前は高慢ちきで、意地っ張りで、口うるさくて」
「意志が強くて、芯が通っていて、饒舌で?」
「……そうやって無駄に頭が回った」
ため息をつくのは降参の合図だ。どうもありがとうと眉を上げて礼を言ってやれば、ふてくされた顔でどういたしましてと返される。そのまま背中を向けられるので、どうやら皮肉の語彙はすっかり尽きてしまったらしい。
アルバは早足で十と数歩を進んでは、ミセラが遅れていることに気付いて足を止め、それからまた大股で歩き始める。婦女子のために歩調を緩めるということも知らないがさつな男だ。一体彼のなにに惹かれてあとを追ってきたのだろう、と、ミセラは暇になった頭で思いやらずにはいられない。
アルバ・イニッジ。浅黒い肌と高い上背、筋肉質な体を携えたこの男。
彼と出会ったのは、アーシャラフトの先代の守護者が、まだその天命を終えていないころのことだった。
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もうひとりの少女の物語。本編の前日譚です。